なんとかなるという考えは甘かった、介護疲れがピークに…漫画家が直面した親の介護のリアル
漫画家の夫と2人の子どもの母で、自身も漫画家である喜多桐さん。「同居していたパートナーが急死した」という一報を受け、東京から大阪の母親の元へ。夫妻はそのとき初めて母親が認知症であることを知りました。この先、一人では生活できないことがわかると、一緒に東京に連れて帰ることにしました。そのときから介護のリアルを経験することになったのです。
■介護サービスを受けるためには「介護認定」が必要
大阪から連れて来た母の住所を東京に変更するため、母と共に役所へ。夫も数日は仕事のやりくりをして送り迎えをしてくれ、助かります。
役所には高齢者支援センターがあり、転居の手続きと同時に高齢の親の今後の相談に乗ってくれます。私の母の場合、どの角度から見ても認知症だとみんなが言っても、医療機関でお医者様に「認知症認定」してもらわないことには、行政サービスが受けられません。
高齢者支援センターでその日、出来ることは何もなく、まず、病院へ連れて行くというミッションが与えられました。
私のかかりつけの個人病院に母を連れて行き、色んな検査を受けます。
結局、母が大阪で長く掛かっていた病院の診断書がないと認知症の認定ができないという結果に。認知症であるには間違いないのですが、どのタイプの認知症か分からないと「認知症認定」出来ない、と。この時はまだ、認知症って「タダの認知症」ぐらいの知識しかなく、タダの認知症でいいんじゃないの、と思うのでした。
母の認知症を証明してもらえるまでは介護保険証も作れないので、大阪の病院に連絡し、ほんとうにめんどくさいやり取りの末、診断書をもらったのは、年の瀬でした。今思い出しても、泣きそうなぐらい、めんどくさかった。
母を大阪から慌てて東京に連れて帰ったので、仕方なかった。
■母をショートスティに
認知症とはいえ大阪に居たときは普通に見えた母ですが、東京に連れてきてからみるみる様子がおかしくなる母。親としてのプライドで頑張ってたのだけれど、環境が変わったことや張りつめていた何かが緩んだようで、どんどん訳のわからないことになっていきました。
夜中はトイレに行く母が転倒しないか、トイレの度に起きて母を見守る。転倒の心配よりトイレが詰まる心配をしていた私。紙おむつの中に敷いてある尿取りパッドがたっぷり吸水してるとそれをトイレに流してしまう母。ポリマー入り吸水シートは確実にトイレを詰まらせる。一度詰まってしまうと、どうにもならない、大惨事だ。ゴム手袋をして吸水シートを引っぱり出すこと幾度。
母を大阪から連れてきた当初、なんとかなると思っていたのは甘かった。自分の疲れがどんどん溜まってくると、もう、どうにもならない。頭も回らない身体もガタガタだ。とても、仕事にならない。申し訳ないけれど連載の仕事を断ってしまった。とほほです。
家族と話し合いをして、母を預かってもらうことになりました。
介護認定がまだの母を預かってくれる施設はあっても、高いです。1泊1万5000円でした。ホテルですか?とりあえず、ショートステイで数日預かってもらうことになりました。
そして、人ひとりを預かって頂くというのはとても大変です。説明だけで、施設の職員さん二人掛かりです。分厚い契約書を口頭で読み上げての説明。なぜ、二人掛かりかというと全ての説明をするのに3~4時間掛かるからです。職員さんが交代で読み上げてくれます。お疲れさまです。介護契約サービス、施設の説明、コンプライアンス、等々。
10年前、当時の法律では、口頭にて全て伝えなければならなかったそうです。現在はずいぶん簡素化されて契約更新の際の説明時間もグッと短くなり、介護職の方々の負担も預かって頂く家族の負担も減り、良かったなぁ、と思います。
母を施設に預けて、久しぶりにホッとひと息ついたのですが、後ろ髪をひかれるような気持ちも同時に襲ってくるので、気持ちの整理がつくのに少々時間がかかりました。