「犯人はあそこのおばはん」被害妄想は症状のひとつだった…漫画家が直面した親の介護のリアル

漫画家の夫と2人の子どもの母で、自身も漫画家である喜多桐さん。「同居していたパートナーが急死した」という一報を受け、東京から大阪の母親の元へ。夫妻はそのとき初めて母親が認知症であることを知りました。この先、一人では生活できないことがわかると、一緒に東京に連れて帰ることにしました。そのときから介護のリアルを経験することになったのです

■心の中に泥棒がいる

 母が60代後半、東京で暮らす私に頻繁に電話してきては「また、お金を盗まれた。犯人はわかってるねん、あそこのおばはんやねん!」と、騒ぎ立てていました。

 こういうことが続き、母親からの電話に出るのが嫌になり、こちらからも大阪に電話をすることもなくなり、なんとなく疎遠になっていきました。

 今だと、高齢の親がこういうことを言い出すと「盗難妄想」で「認知症の症状のひとつ」と、少しは知られるようになりました。ですが、当時はまだまだ知られておらず、ただただ、親が面倒なことを言っている、ぐらいの認識でした。

 友人のお姉さんも20年ほど前、実の母親を介護していたときに母に泥棒扱いされ、お世話をしていて泥棒扱いされるのはとても悲しい、と言っていたことを思い出します。泥棒と決めつけるのは性格や人間性のせいではなく、病気の症状だとあの頃分かっていれば、嫌悪感を募らせずに済んだのになぁと、残念でなりません。

 母が現在もお世話になっている「グループホーム」というのは、高齢者支援施設の中でも「認知症」の人が共同生活する施設で、入所者のご家族と交流させて頂いたことは、認知症に対して理解を深められるいい機会になりました。

■アクティブじゃないことが幸い

 元々、私の母は外出するより家の中で本を読んだりテレビを観たりする事が好きなインドア派。自宅で母を看ていたときも、外に出て徘徊する心配はありませんでした。

 アクティブだった父親が認知症になった友人は大変そうでした。家族の目を盗んで外に出ちゃ、迷子の繰り返し。もう、話を聞いているだけでドキドキハラハラです。母親より父親の方が身体も大きくて、何かと大変でしょう。

 このタイプの認知症の親には、玄関に「カウベル」を設置して対処した話を聞きました。玄関のドアを開けると、カウベルの音。誰だ、外出したのは!またパパか!連れ戻せ!広大な農地で飼われる牛が移動したことを知らせるカウベル。いい音で響く。もう、父も母も、認知症になって移動するときは牛と同じ扱い。父よ母よ、ごめんね。

■色んなことが出来なくなっていくけれど

 子どもが生まれて、ひとつひとつ色んなことが出来るようになる姿は親として喜びしかない。高齢の親がひとつひとつ色んなことが出来なくなっていく姿を見るのは、寂しい。

 ですが、身体的なことは衰えていくのに心は子どもの頃に返っていく親の姿もまた、面白くもありました。

 「脳血管性認知症」で、まだらぼけの母も、日に日に忘れて行くことが多くなり、一番最初に忘れたのは、亡くなる日まで面倒を見てくれていたダーリンの名前。「誰やJって、そんな人お母ちゃん知らんで」って言ったときは、さすがに、Jさんに申し訳なかった。それ、忘れるか。でも大丈夫、Jさんの恩は私たち家族が覚えている。

 新しい記憶からどんどん無くなって行くのは仕方がないようです。そして月日は母から記憶を少しづつ奪い、10年も経つと、面会すれば「元気か?元気やで」と、それしか口にしなくなりました。まあ、元気なことは嬉しいのですが。

 ところが昨年末、私の娘が結婚して妊娠の報告を母にしたとき、「あんたなんか、こないだ、お母ちゃんからポンと生まれたくせに」と、母が親の顔に戻って、私と私の娘に言い放ちました。全てのことを忘れてると思ったら、そこ、覚えてる!しかも、「こないだ」って。気持ちはわかります。まだ、認知機能が健常な私ですら、27歳になる娘を産んだのは「こないだ」です。

 認知症であろうがなかろうが、人はいろんなことを忘れて生きているのに、産んだことと生まれてきたことを決して忘れないのが、人なのか、と思う私でした。

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