亡き娘の夢だった心理カウンセラーに 「病気と闘ってる子の気持ち、一番わかるでしょ」母親が仏前に報告
難病で14歳の娘を亡くした女性が、心理カウンセラーの資格を取ったことを娘の仏前に報告しました。心理カウンセラーは、闘病中の娘が「私みたいに病気と闘ってる子の気持ち、一番わかるでしょ」と語っていた憧れの職業でした。「娘がなりたかったものになれるわけじゃないのも、それを叶(かな)えたとして何にもならないことも知ってる。だけど何もせずにはいられなかった」。harukaze(@HarukazeMi)さんは娘の椿さんが旅立って間もなく、資格取得に向けたテキストを取り寄せ、仕事や家事、育児の隙間を縫って資格の勉強に打ち込みました。harukazeさんに聞きました。
■「もしなれるんだったら、心理カウンセラーになりたい!」
harukazeさんの娘、椿さんは生まれつき脾臓がない「無脾症候群」(指定難病)や、本来二つある心室が一つしかない「単心室症」(指定難病)を患い、2歳で「フォンタン手術」という心臓の大手術を受けました。その後、フォンタン手術の術後症候群として、血管内の水分や栄養分が漏れ出る「蛋白漏出性胃腸症」と診断され、長い闘病の末、中学2年生だった2021年2月に亡くなりました。14歳でした。
ーー椿さんが「心理カウンセラーになりたい」と言っていたのはいつごろでしょうか。
「中学2年生の6月頃だったと思います。なりたい職業について考える授業が始まった頃です。不登校気味だった娘と家で2人きりで話していた時の事です。椿は小学3年生まで授業内容を理解している様ではありましたが、入院が多く、たぶん学習障害もあったりして勉強が嫌いになり、それ以降は授業もまともに受けることができず、授業についていく学力はありませんでした。小学5年生の頃に余命宣告を受け、しんどい時期でもあり、他の子どもたちの様に自分の未来を思い描くことができませんでした。その後も学校生活はできる範囲で頑張りましたが、病気が悪化していき、将来のビジョン自体がありませんでした」
「そんな時に、将来なりたい職業について考える授業がありました。病弱でもできる仕事、自分はしゃべるのが好きだからと、YouTuberやラジオのMCになりたいという夢もありました。大好きな梅干しと納豆のお店を開きたいとも言っていました。だけど、どれも現実的ではなかったし、もっと身近に何かなりたいものがあるのでは?と思った私は『ほかに何かないの?勉強ができるとかできないとか関係なくやってみたいことは?』と聞いてみました。すると、『椿は勉強できんから無理だとは思うけど、もしなれるんだったら、心理カウンセラーになりたい!だって椿は、椿みたいに病気で闘ってる子の気持ちわかってあげられるでしょ!』と話してくれました」
■「娘が抱いた夢の続きを見せてあげたい」
ーー椿さんが旅立たれて1カ月経たないうちに、心理カウンセラーの資格を取ろうと思った理由を教えてください。
「たぶん、一番大きいのは、娘の無念を私ができる範囲でつないでいきたいと思ったからです。『心理カウンセラー』という夢はきっと、椿が入院中に来てもらっていた心理士さんのことが大好きだったから。椿が病気と闘っていた時期に、優しく寄り添って心の寄りどころであってくれた存在に、少しでも近づきたかった。娘が抱いた夢の続きを見させてやりたいと思った。自分が娘に教えてもらった世界の中で役に立てる人になれたら、娘とまた一緒に過ごしていけるような気がして、自分が救われる様な気がした。私は娘が旅立ったあと、娘が自分の中から消えてしまうのではないかと怖かったんです。娘と繋がっていたかったんです。だから旅立って間がない頃に、何もせずにはいられなくて申し込みました。もちろん、自分も興味のある分野でした。難病を抱える娘との生活のなかで、自分たちが迷ったとき、社会とうまく繋がれず迷ったこともありました。誰かが救いの手を求めたとき、私たちが救われたように、誰かに寄り添えるチカラになれることをしたいと強く思いました」
「『もし、娘がこの先も生きていたならどんな未来があったのか…』を何度も想像しました。私ができる範囲のことで、できそうなことに挑戦することで、『ママ、頑張って立ち直るからね!』と応えていこうと、娘に見ててもらおうと精一杯顔を上げた結果のひとつが、資格取得挑戦だったのかもしれません」
ーー仕事、家事、育児の隙間を縫って、資格の勉強をすることはご苦労が多かったのではありませんか。
「休み休み、無理せず取り組めたからです。主人が支えてくれたから、思い詰めず“普通の日常を送る”ことができました。息子が居てくれたから、愛情を注ぐ先があり、子どもと過ごせることの幸せを噛み締めながら乗り越えることができました。仕事もしていたから、“自分”を保つことができました。友人やTwitterやインスタのフォロワーさんたちも、私が苦しくなったときに耳を傾けてくれて、応えてくれて、本当に大きな支えになりました。『焦らなくていいよ。十分がんばってるよ』。みんながそう言ってくれたから、ゆっくり焦らず進めることができました」
■「病児家族や当事者に寄り添いたい」
ーー心理カウンセラーの資格を生かし、「こんな仕事をしてみたい」という思いがあったら教えてください。
「これについては模索中です。支援員、相談員、相談支援員、ソーシャルワーカー、児童指導員、スクールカウンセラー、病床心理士、グリーフケアなどに興味があります。病児家族や当事者に寄り添いたい、困難を抱える子ども、家族に寄り添いたい、そういった方々の手を取れるひとになりたいと思っています。残念ながら、今回取得した資格だけでは仕事に活かすことは出来ません。自分のスキルアップには繋がったと思っています」
「心理カウンセラー(スクールカウンセラー、病床心理士など)を職業にしようとすると、臨床心理士の資格が必要です。取得条件には第1種指定大学院を修了した者、第2種指定大学院を修了し、修了後1年以上の心理臨床実務経験を有する者とされていて、現実に向けて進むにはまだ検討が必要です。相談支援員、児童指導員などは働きながら資格を取得できるようなので身近かもしれません。私は高卒で就職して、21歳で娘を出産して、それ以降は娘と闘病生活を共にしてきました。難病児を抱えての仕事はなかなか定まらず、職を転々としてきました。でも、どんなにしんどくても仕事は続けました。娘に働くことの大切さを知ってほしかったのと、自分自身の居場所をつくるためだったのかもしれません。仕事をしていると自分が自立できるので、付きっきりの看病になる難病児の子育てにおいては、母子隔離の意味でもそういう居場所は必要だと考えます」
■「ママはママの好きなことをしてほしい」
「娘が旅立ったあと、『ママはママの好きなことをしてほしい』という娘の言葉を思い出し、自分のしたいことについて向き合いました。私は保母さんになりたい、という夢があったのですが、家庭の事情もあって目指すことが出来ず、『いつか…』という思いを抱えていました。今の仕事をしながら、空いている時間に勤めることが可能な保育補助の仕事を見つけ、隙間時間に保育の仕事をしながら、子育て支援員の資格を取ることができました(コロナ禍のため、蘇生術は未取得ですが)。保育補助の仕事に就いたのは娘が旅立って9カ月くらい経った頃でした。今も現職と子育て支援員として、保育の仕事に関わりながら過ごしています」
「今は息子もまだ小学3年生です。小学生だから一緒に出来ること、一緒に過ごせる時間を大切にしたいと思っています。なので、現状では、焦らずスキルアップしながら、家族との時間も大切にしながら、『なりたいもの』『したいこと』を考えつつ過ごそうと思っています。仕事にするのはまだまだ先になるかもしれませんが、ボランティアとして活動できることがあれば、現状の生活をしながら携わっていきたいと思っています」
■娘と一緒に取った資格「挑戦させてくれてありがとう」
ーー椿さんにはどのように報告されましたか。
「この資格は娘と一緒に取ったものだと思っています。娘がしたかったことの続きなので、勉強を始める時は椿ベアをかたわらに置いて、娘が使ってた筆記用具を使って取り組みました。椿ベアは、娘が大切にしていた誕生月ベアのぬいぐるみのことで、お出かけしたり、ご飯を食べたり、一緒に過ごしています。なので、報告したときは『資格取れたよ。一緒に頑張ってくれてありがとう。挑戦させてくれてありがとう』と報告しました。娘はきっと生前よく言ってくれた様に『ママすっげ!』と言ってくれただろうと思います」
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harukazeさんは「娘が一生懸命生きた証を残したい」「娘との闘病生活で感じた生きづらさを語ることで、同じように生きる人たちの道しるべや救いになれたら」という思いから、闘病生活を詳細に綴った手記「病気と共に生きる」を書いています。医療的ケア児の避難支援ネットワーク「ひなんピング」ホームページ内の家族のホンネ「病気と共に生きるWeb版」で読むことができます。
(まいどなニュース・伊藤 大介)