「可哀想」は卒業したい…4歳で旅立った娘さんを想う母のツイートに共感 一緒に過ごした歳月は「一生の宝物」

「私の娘は、4歳で天国へ逝くことになってしまったのですが、娘の人生全てが『可哀想』ではなく楽しかった想い出もたくさんあります。こどもの旅立ちを知った時や、遺影を見かけることがあったら『かわいいね』と言ってくれると嬉しいです。『可哀想』は卒業したいのです。#初盆」とツイートしたのは、うさぎのあくびさん(@kinako_oinari)。

このツイートには、同じ経験を持つ親御さんたちから共感を呼び、

「19歳だった娘も、『私はかわいそうじゃないよ、幸せだったよ。だから、かわいそうって言われるのが嫌なんだ』って言っていました」

「我が家は男の子だから可愛いねと言われると嫌がると思うので(笑)いっぱい頑張ったんだね、と言ってもらうようにしています」

「我が家も似ているかな。生後27日で空に行ってしまいました。残された私達は悲劇として隠すことなく話をして、子供がこの世に居たことを周りに知ってもらおうとしています。」

という反響があり、「いいね」は8.9万件にもなりました。

投稿者さんに話を聞きました。

ーー告知された時はショックだったでしょう。

「小児がんの疑いがあって、緊急で小児がん拠点病院に転院入院になった日から1週間くらいの記憶があまりありません。ショックが大きすぎて、最初は脳外科病棟にいたのですが、看護師さんがゆかなのことだけではなく、母親の私にも気を遣ってくれて、シャワー浴びにいきましょうとか気分転換できるように声をかけてくれていたのは覚えています。1週間後に小児科に転科したのですが、そこで主治医から小児がんAT/RTと告知され、今後の治療スケジュールや病状を聞き治療が始まりました」

ーー治療や検査は、小さな子どもにとって決して楽なものではなかったでしょうね。

「ゆかなの病気は悪性度が高い病気で、病気の告知の時から治療事態が過酷になることや副作用についても説明されました。予後についても厳しいことを言われました。ですが、最初から余命についての告知ではなく治療法が全くないわけではないからと、希望を持たせてくれるような感じでした。主治医から治療を強制されたことはないのですが、ゆかなが家で家族と過ごせる日々が少しでも長くなるようにと治療を開始しました。化学療法、大量化学療法→ 自家末梢血幹細胞移植→放射線治療で約8カ月の入院をしました。高熱が何日も続いたり、眠れなくなったり、機嫌も悪くてしんどい日々でした」

ーーそれは側で見ている人も辛いですね。

「ゆかなはもともと自閉スペクトラムがあり、当時2歳でしたが、生後10カ月程度の発達でしたので、発語はなく歩くこともできませんでした。そのため、痛みや吐き気、辛さが言葉にできなかったので、私が直ぐにわかってあげられないこともあり、かなりしんどい思いをさせてしまったと今でも申し訳なく思っています」

ーーでも、前向きな気持ちで戦ってこられたのですね。何かきっかけはありましたか。

「小児がんの病棟は『暗い悲しい辛い』というイメージしかなかったのですが、部屋から出ると、子ども達がキッズルームで元気よく遊んでいたり、付き添いの方々が廊下で話していたり、保育士さんが一緒に遊んで歌をうたってくれたりして、あたたかさを感じました。自分が思っていたイメージとは全く違いました。暗い気持ちだったのですが、同じ小児がんで頑張っているこども達から勇気と希望をもらい、次女も元気に遊べるようになってほいしいと願いました」

ーー治療の甲斐あって、自宅療養できるようになったのですね。

「ゆかなが治療を頑張ってくれたので、放射線治療後に腫瘍が新たにできることなく、通院は必要ですが自宅で療養できるようになりました。家では、訪問看護師さんリハビリ、訪問歯科、薬剤師さんデイサービス、ゆかなの日常を支えてもらえる方達に沢山サポートしてもらいました。病院でも可愛がってもらいましたが、ゆかなは、自宅に戻って毎日来てくれる看護師さんにとても懐いていました。家族でみな一緒に過ごせるようになって長女も泣く日が減りましたし、日々が穏やかになりましたね。ゆかながテレビ番組を見てリズムをとったりして笑ったり、何気ない日常が本当に嬉しかったです」

ーー楽しい思い出も増えましたか。

「そうなんです!小児がんになったからもう成長はしないのかな、と思っていましたが、ハイハイをするようになり、膝立ちまでできるようになり、身長も少し伸びてこどもの生命力に驚き感動しました。余命の告知をされてから福岡こどもホスピスプロジェクトを紹介してもらい、最後の家族旅行に行きました。医療ケアが必要なこともあり、受け入れてくれるホテルの手配や、長女の誕生日会ができるようにパーティーの準備もしてくれて、義父母と一緒に旅行に行けました」

ーーそれでも病魔はゆかなちゃんを蝕んでいったのですね。

「自宅療養して1年と少し経過した頃、昨年の7月、定期検査で再発していることがわかりました。覚悟していたとはいえ、治すための治療ではありません。なかなか受け止めることができず、辛かったです。主人は心労で体調を崩しましたし、長女に妹には命の限りがあることを伝えなければならず、いつも通り過ごしていても、家族の間でギクシャクしていました。それでもゆかなは、好きなTVを観て笑い、楽しく通ってるデイサービスに行き、一日中可愛かったです」

ーー緩和ケアに移行されたのですね。

「病院では、緩和のための化学療法と放射線治療を数カ月しました。副作用で入院すると家で過ごせる時間が少なくなるので、主治医が丁寧に薬を調整してくれました。お別れの時期が近づいている現実を思いだすと苦しかったです」

ーーそれでも、「かわいそう」だとは思われたくなかったのですね。

「小さいこどもが天国へ旅立つ現実は悲しいものなので、『かわいそう』と思う気持ちはわかります。病院で治療中も他科受診する際に、高齢の方に『あんなに小さいのにかわいそう』と、通りすがりに言われたことがあります。その時は気にしませんでしたが、いろいろな場所で言われることが多くなって疑問に思うようになりました。『ゆかなはかわいそうな子なのか?声をかけてくれる大人は悲しそうに「可愛そう」と言うけれど、ゆかなは嬉しいのか?』。でも、笑顔で話しかけてほしいですよね。もし私が天国へ行って、『かわいそう』という言葉で人生を総括されていたらそれは違うと思うし、ゆかなも天国でそう思っているかもしれません」

ーーもう「かわいそう」から卒業する時を迎えられたのですね。

「病気になってしまったことは悲しく残念なことですが、ゆかなは精一杯生きました。私たちの日常を支えてくれた、沢山の医療従事者の方のおかげで楽しい思い出ができました。ゆかなと過ごせた4年8カ月は一生の宝物です。これからもずっとずっと、ゆかなとの想い出とともに私たち家族は生き続けます。ゆかなが旅立った後も、『かわいいね』と言ってくれる方々に感謝いたします」

(まいどなニュース特約・渡辺 陽)

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