「インボイス制度は日本のエンタメ業界を破壊する」 声優の甲斐田裕子が反対の声を上げる理由
消費税の仕入税額控除の方式として「インボイス制度」が2023年10月から始まるのを前に、フリーランスや個人事業主、各種団体が続々と反対の声を上げている。 制度の導入によって文化が破壊されるのではないかと危惧する仲間と「VOICTION(ボイクション)」というチームを立ち上げ、国会議員に陳情するなど積極的に行動している声優の甲斐田裕子さんに、反対する理由を聞いた。
甲斐田さんは主に海外ドラマや映画の吹き替えで活躍し、アン・ハサウェイやブレイク・ライヴリー、レイチェル・ワイズの声などで知られるほか、数多くのアニメ作品にも出演。20年以上にわたって第一線を走り続ける、人気、実績ともにトップクラスの声優だ。直近ではアニメ映画「四畳半タイムマシンブルース」(9月30日から3週間限定で劇場公開)で羽貫さんの声を担当している。
「一見すると華やかそうな声優業界ですが、その実態はほとんどの人が免税事業者(課税期間の基準期間における課税売上高が1000万円以下の事業者のこと)です。VOICTIONが実施した収入実態アンケートでは、300万円以下の人だけで7割を占めていました」
■インボイス制度で業界に深刻な損害が?
適格請求書(インボイス)を発行できるのは「適格請求書発行事業者」に限られ、この適格請求書発行事業者になるには、登録申請書を提出し、登録を受けなければならない。免税事業者が登録を受けるためには、原則として課税事業者になる必要があり、そうすると当然、消費税の申告・納税などが課せられるようになる。
「決して多くない収入からさらに消費税を納めるとなると、死活問題です。それに、私も経験があるからわかるのですが、個人で消費税の申告作業をするのは死ぬほど大変。あの膨大な事務作業は、ギリギリの収入で生活している声優たちから、本業に向き合う時間や経験を積む時間を奪いかねません」
「インボイス制度によって、この業界は間違いなく深刻な損害を受けます。いえ、声優だけの問題ではありません。エンタメ業界、文化全般を守るためにも、今きちんと声を上げなければいけないと覚悟を決めました」
■免税事業者は「ズル」なのか
一方で、インボイス制度の話題になると、必ず聞こえてくるのが「そもそも消費税を納めていないのは不公平」「免税事業者はズルい」といった声だ。消費者が支払った消費税が納付されず、合法的に事業者の手元に残る仕組み(益税)を問題視する意見は根強い。
「私たちの仲間にも、自分が免税事業者であることに負い目を感じている人が少なくありません。しかし免税事業者は税法に従っているだけで、本来は後ろめたく思う必要なんてないはずです」
「実は私も最初にインボイス制度のことを知ったときは、直感的に『自分がもらっているものを払うのは仕方がないのでは』と思いました。それでも、『ちょっと変かも』と感じてあらためて勉強してみたら、そもそも消費税という税制自体がおかしいということがわかってきたんです」
例えばフリーランスや個人事業主、税理士らでつくる「STOP!インボイス」のサイトは、消費税がモノやサービスの価格の一部であって、「消費者から預かったお金ではない」ことを指摘し、「ズルでもなんでもない」と強調。「『消費税』という名前自体、誤解を生じさせる原因になっていますね。実際には消費に課税されるのではなく、事業者の取引活動に課税されているので、日本以外では『付加価値税』と呼ばれています」などと解説している。
■業界を守り、未来につなげるために
甲斐田さんは「制度の歪みを是正するために、インボイス制度を含めて政府が試行錯誤しているのは理解できますが、どれも根本的な解決になっていません」とした上で、「立場の弱い人たちが税を払うことによって生活が立ち行かなくなるなんて、本末転倒です」と力を込める。
「声優志望の若者はたくさんいますし、事務所も今は200くらいあります。でも、業界で輝いて目立っている人は本当に山の頂上付近にいる一握りだけで、しかも入れ替わりが激しい。アイドル声優の子たちも、本当に大変。みんなが上を目指して頑張っている、その大きな山の裾野をごっそりなくしかねないのがインボイス制度です」
「私は自分の仕事を裏方だと思っていて、これまで積極的には表に出てきませんでした。でも2019年の声優アワードで外国映画・ドラマ賞をいただいたことをきっかけに、この先輩方から受け継いだ業界をしっかり守り、次の世代につなげていこうという意識が強くなったんです。声優仲間の咲野俊介さん、岡本麻弥さんと始めたVOICTIONの思いも、その延長線上にあるのかもしれません」
甲斐田さんは、エンタメ業界にインボイス制度を歓迎する声は「皆無」だと言う。実際、VOICTION以外にも、反対声明を出している団体は日本出版者協議会や日本漫画家協会、日本アニメーター・演出協会、日本SF作家連盟、映演労連など多岐にわたる。また9月22日配信の朝日新聞の報道などによると、これまで制度に登録した個人事業主の名前(本名)が国税庁のサイトから誰でもダウンロードできる仕様になっていたが、“身バレ”を懸念する当事者たちの声を受け、公表方法が見直されることになったという。
「日本の文化を衰退させる一手を国が選んではいけません。ただでさえ日本は経済が低迷していて、エンタメ業界は制作費も激減。さらにコロナ禍で大打撃を受けています。インボイス制度が始まると小規模事業者の廃業が増えて、結果的に税収も減るのでは。『ちゃんと未来が見えていますか』と問いたくもなります」
■「政治的活動」がタブー視される社会から脱却を
VOICTIONを始めるまで、甲斐田さんは社会運動とは一切無縁だったそうだ。
「名前を出して活動することは、今も怖いです。一緒に声を上げようとした仲間の中には、クライアントから『政治的な活動をしてるんですか』『仕事がなくなるかもしれないからやめた方がいいですよ』とやんわり言われた人も…。私はVOICTIONを政治的な活動だとは思っていません。業界の未来のために、若い声優の生活のために声を上げているつもりです。でも、結局それは政治に直結しているから、“政治的”と見られてしまう。だとしても、政治的発言をすることが、どうしてタブー視されてしまうんでしょうか。私はできる限り声を上げて『反対した』という事実を残しておきたいし、政治的なことも堂々と言える社会になってほしいと願っています」
VOICTIONには、9月22日時点で829人の賛同者が集まっている。そのうち声優は500人ほどといい、甲斐田さんは「今はまだ声を上げるだけで勇気が必要。仕事に影響するのではないかと恐怖を感じている人もいます」と明かす。
「でもそんな中、これだけの人たちが一緒に戦おうとしてくれているのは心強い。手を組んで大きなうねりをつくり、私たちの声を国に届けたいと思っています。皆さんにも関心を持っていただけると嬉しいです」
(まいどなニュース・黒川 裕生)