世襲の宿命、恩義も恨みも延々とつながっていく 豊田真由子が分析「政界の世襲」のリアル(2)
「日本の政界における世襲」は、各国と比べても飛びぬけて多く、国政選挙のたびに問題とされます。世襲や有力企業一族の議員が多いことは、ある意味、日本政治の制度上の必然の結果で、複雑で底深い歴史と事情があり、これを変えるのは容易なことではないですが、されど、政治だけが旧態依然としたままでよいわけもありません。問題点や今後について、5回シリーズ(①世襲の実態 ②世襲の問題点 ③世襲が多い本当の理由 ④公募のリアル ⑤海外から学べること・議員に求められること)で考えてみたいと思います。(全5回の2回目)
■世襲はなぜ問題とされるのか?
政界に世襲が多いことは、結果として、新規参入を阻み新陳代謝を阻害する、同質化・固定化し、発想や政策が守りに入りやすい、幼少期から経済的には恵まれた環境にある人が多いため、世の中の格差や多様性などを実感しにくく、困難な状況にある国民への真の理解が働きにくい、また、国民からは、利権のために行っているのではと受け止められ、政治への信頼を損なう、といったマイナスが生じる可能性があると思います。
そして、そもそも不平等・不公正、質の担保がなされない、ということがあります。
以前、私大医学部の不正入試で、金銭の授受等により、一部の受験生の点数にゲタを履かせて合格させていたことが大きな問題になりましたが、これは、①機会の平等を奪い、不公正である(一見開かれているように見えて、実は不平等・閉鎖的である、ということへの嫌悪は、今どきは非常に強いと思います)、②「人命を預かる医師になる者として、最初にクリアすべきとされるレベルに達していない者」が、将来医師になってしまうことによって、患者(国民)に与えるリスク、というものもあります。
もちろん、世襲議員にも、「高い能力があり、豊かな見識や経験を生かして、国民のことを考え、努力を重ねる方」もたくさんいます。しかし、残念ながらそうでない方もいます。そういう方々に、国政という、山積する複雑深刻な国内外の課題に対処し、大局的な観点から国の方向性を見定め、国民の生活と未来を左右する重要事を考え判断することを任せることになり、地域と国と国民の生活に多大な影響を与えます。
そしてこれは、政治の側だけの問題ではなく、実は、国民が国会議員に何を求めるか、何をしてほしいと望むか、何で評価をするか、という有権者の意識の問題とも、密接に関わってくることでもあります。
■他の職業における世襲との違い
芸能界や企業等の一般社会でも、世襲は広く行われています。では、なぜ、政治の世襲が特に問題とされるのでしょうか?
まずはやはり、議員は「公職」であるということです。その活動の基本部分が公費によって成り立ち、公のために働く職業であり、同じ一族によって長きにわたり私的独占されることは許容されない、と考える方が多くなっているということだと思います。
これに対し、「選挙という民主的プロセスを経ているのだから問題ない」という主張がありますが、政治における世襲の問題というのは、何よりもまず、選挙に出る前提となる「政党の公認候補になる」という入口段階での世襲の圧倒的優位性を問題にしているので、抗弁になっていません。
非上場企業に限らず、上場している大企業においても、創業者一族が経営陣を世襲で引き継いでいくということは、日本に限らず海外でも非常に多く見られることですが、一族が当該企業の株式等を保有し活動のベースを作っているといった背景や、その企業が提供する商品やサービスの質という客観的指標により、消費者や取引先にシビアに評価されること、またやはり、民間の私企業であるという点と比較すれば、政治という公職の世襲は、公益性の観点からより問題視される、ということだと思います。
また、芸能界(※歌舞伎などの伝統芸能はまた特殊な世界なので、ここはあくまでも一般の芸能界を指します)において、強い人気を得続けるには、やはり本人の才能や魅力が圧倒的にものを言い、「親のファンだったから、自動的にその子どもの熱烈なファンにもなり、同じような熱意でずっと支え続ける」というわけではないでしょう。
しかし、世襲政治の世界では、最も大事なのは、その人自身の能力や経験よりも、「〇〇家の血統であること」ということになります。
■世襲議員もつらいよ
政界に限らず、著名人の子どもは、小さな頃から、重圧がかかる、利害で人が寄ってくる、常に「〇〇の子ども」という色眼鏡で見られる、嫌がらせを受ける、親と過ごす時間が少ない、といった苦労があると思いますが、実際に身近で見ていると、世襲も楽じゃないんだな、ということが、よく分かりました。
いろいろありますが、印象的だったエピソードのひとつに、例えば、地元の公立小学校に通っていた議員は、「小学校の先生に、みんなの前で自分の着ているセーターを引っ張りながら、『〇〇君の着ているセーターは、皆さんの親御さんが払っている税金で買ったものですよー!』と晒し物にされた」といった話がありました。(でも、公立小学校ですから、その先生の生活も「税金」で成り立ってますよね。そもそもどなたであれ、正当な労働の対価として受け取っているものを、原資が税金だと非難されるものでもないと思うのですが。)
子どもを地元ではなく、東京の学校に通わせる議員も多いですが、こういった目に遭わせたくないといった理由もあるのだろうと思いました。選挙区には、当然、その議員や所属政党に対して反対の立場の人もたくさんいるので、そうしたネガティブな感情が、「議員の子ども」という、より狙いやすいターゲットに向かってしまうということでしょうか。
朝のテレビ番組で小泉進次郎議員が、
・同級生に、「『お母さんが、小泉君は政治家の子どもだから、仲良くなって来い』と言うから、仲良くして」と言われた。
・街頭で演説していると、世襲批判で、ペットボトルを投げられたり、足を踏まれたりした。
いう話が紹介されていました。
そして、永田町で見ていて分かったのは、政界では、議員同士でも、地元の方からでも、「その人の親から受けた恩を、子であるその人に返す」というケースがたくさんある一方で、「その人の親に受けた恨みを、子であるその人にぶつける」というケースも、たくさんあるのだなと思いました。政治は、権力闘争の激しい世界で、恩義も恨みも延々とつながっていく、本人の責任ではないことで、人に恨まれる、というのは不合理ではありますが、プラスもあれば、マイナスもある、世襲の宿命といえるのかもしれません。
(続く)
◆豊田 真由子 1974年生まれ、千葉県船橋市出身。東京大学法学部を卒業後、厚生労働省に入省。ハーバード大学大学院へ国費留学、理学修士号(公衆衛生学)を取得。 医療、介護、福祉、保育、戦没者援護等、幅広い政策立案を担当し、金融庁にも出向。2009年、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部一等書記官として、新型インフルエンザパンデミックにWHOとともに対処した。衆議院議員2期、文部科学大臣政務官、オリンピック・パラリンピック大臣政務官などを務めた。