政治は世襲で引き継ぐものが当たり前ではない海外 豊田真由子が分析「政界の世襲」のリアル(5)
「日本の政界における世襲」は、各国と比べても飛びぬけて多く、国政選挙のたびに問題とされます。世襲や有力企業一族の議員が多いことは、ある意味、日本政治の制度上の必然の結果で、複雑で底深い歴史と事情があり、これを変えるのは容易なことではないですが、されど、政治だけが旧態依然としたままでよいわけもありません。問題点や今後について、5回シリーズ(①世襲の実態 ②世襲の問題点 ③世襲が多い本当の理由 ④公募のリアル ⑤海外から学べること・議員に求められること)で考えてみたいと思います。(全5回の5回目)
■海外の状況から分かること
海外の主要先進国の政治状況を見て、日本への示唆を考えたいと思います。
第1回で述べたとおり、自民党における世襲議員(衆院)の割合は、近年3~4割で推移しています。イタリアでは世襲が見られる一方、他は、(選挙によって変動はありますが)、英(下院)で1割、米(上・下院)で5~10%、ドイツや韓国はほとんど無い、という状況です。さらに、英米においても、「親の地盤をそのまま引き継いで、同じ選挙区から出るケース」となると、多くても1%程度で、ほぼ見られないとのことです。(米国というと、ケネディ家やブッシュ家など、著名な政治家一族が思い浮かびますが、全体においてそれが多数を占めるわけではないということになります。なお、米国政治は、とんでもなく巨額の資金が動きますので、米国を参考にするべきかというと、私は否だと思います。)
主要国においては「政治は世襲で引き継ぐもの」が当たり前ではなく、さらに、地盤や後援会システムをそっくり引き継ぐものではなおさら無い、と考えられているということだと思います。
そして、ここでの注目点は、各国とも、制度として世襲を禁止・制限しているわけではなく、不文律として、議員という公職に就こうとする者が、そうした特権的地位を求めるようなことをしない、ということや、有権者が候補者や議員を評価する基準が違う、といったことだと思います。
公認候補を選ぶシステムの違いもあります。英国は地域の党員による面接や候補者の政策力や演説について厳しい審査が行われ、落下傘候補も一般的、また韓国は、各選挙区の党員等が選挙を行って、その選挙区の候補者を決める仕組みになっています。日本の公募のように、党と都道府県連の国会・県会議員の数名のみが面接をし、密室で決める、という制度とは、大きく異なっているといえます。
日本と同じ議院内閣制の英国の制度を少し詳しく見てみます。
「イギリス政治システムの大原則」(田中琢二氏著:第一法規)、「イギリス政治はおもしろい」(菊川智文氏著:PHP新書)、在英ジャーナリスト小林恭子氏の記事から、原稿字数の都合上、要約して載せさせていただきます。
英国では、公正な政治を行うためには、選挙が公正でなければならない、という考えのもと、19世紀から、政治制度の改革が続けられてきました。下記で述べる候補者選定の仕組みもそうですが、選挙区で候補者が使える選挙費用や、政党が使える資金に上限が設けられ、政党に対する献金の規制強化、議員に対する利益供与の登録制度等など、透明性を高め、利益誘導が行われないような仕組みを作ってきました。もちろんそれでも、政治とカネの問題は今もたびたび出てきており、どの国も試行錯誤であることが分かります。
さて英国には、貴族院と下院がありますが、貴族院における世襲貴族は1割程度(他は聖職者や、功績によって国王から任命される一代貴族)、そして、選挙で選ばれる下院では、議員の親族で議員になった者は1割程度(2015年)となっています。
下院の世襲の場合でも、親の地盤を継承するということは行われず、一般の候補者と同様に、地域の党員が行う面接による予備選別を経て、「査定者」として認定を受けた党の幹部、議員、党員らからなる「査定委員会」で審査を経て、「議会候補者認定リスト」に載ります。その査定が正しかったかどうかを監視する仕組みも作られています。
さらに、公認を目指す複数の候補者たちが、その選挙区で、党員等に対して演説を行い、党員投票で一名が選ばれることになります。最終的にどの選挙区から出るかは、政党本部が様々な要素を加味して決めることになっており、候補者は、希望は出すものの、その通りにいかないことも多くあります。
英国では、候補者選定プロセスの透明性や客観性が担保され、「政党のための地方の政党組織」がしっかり作られている一方、日本では「各地域の政党支部=議員本人の個人後援会」となっている、などの違いがありますが、その根本のところにあるのは、英国では「なにより本人の能力を見る」(ただし、「演説力に長けた高学歴の白人男性が選ばれやすい」といった問題点も指摘されています)」、「地盤をそのまま継ぐことを不公正と考え、そうしないことが不文律になっている」ということであろうと思います。
一昔前は当たり前だった「陳情対応・利益誘導型」か、「公平に国全体のことを考えることを求めるか」といった、有権者の意識の違いもあるように思います。
では、日本でも公募の仕組みを変え、地域党員による選別プロセスを入れればいいのか、というと、今の日本の状況では、結局は“藩主の家柄”が選ばれることになる可能性が高く、今と変わりません。そもそもの、有権者と議員との関係性の在り方、有権者が議員に求めること、選挙に勝つため・政界で力をつけるために必要なこと、そういったことが根本的に変わらないといけないということだろうと思います。
■有権者が議員に求めることは
候補者や議員は、「地元での活動をさぼったら選挙に落ちる」とよく言われます。では、ここで言う『地元での活動』とは、具体的にどういったことでしょうか?(日本政治の問題のひとつはそこにある、というご指摘もありますので、反省も込めて、少し詳しくご説明します。)
落下傘で一般人の私は、とにかく地元の人に受け入れてもらわなくてはと、真夏真冬も一年中、早朝から駅に立って演説をする、普段から数万軒の家や商店を訪問して回る、土日はもちろん、平日も国会から急いで地元に戻って、会合をはしごして数百人にお酌をして回る、夏祭りは一日30件、大みそかは神社を50件回り、お祭りでは、すべての出店(地元のお店や、町内会・保護者会の方等がやっています)で食べ物や手作り雑貨を買う、浴衣で盆踊りを踊り、半纏・鯉口シャツ・股引き・地下足袋に着替えてお神輿を担ぐ、冠婚葬祭はもちろん、各種スポーツ大会や町内会の集まりにはどこにでも行く、連日そういった状態でした。
地元の方や団体のご要望は、どんな細かなことも聴いて回りました。集中豪雨のときは、1000件のお宅を回って、土嚢や畳の片づけをお手伝いし、被害状況をうかがい、どうしたら軽減できるかを考えました。駅前ロータリーの再開発の国の予算取り、古くなった小学校のトイレの改修、設置された道路標識をずらす、荒川の土手の草刈り、医療・介護・子育てのご相談…、昔のように、地元に空港や道路を持ってくるような時代ではなくなりましたが、地域全体の利益(特定の個人や企業の利得ではなく)となることで合法的なことは、なんでもやろう、と思っていました。
これは決してパフォーマンスではなく、地元の方と直接関わりを持てること・お役に立てることは、心底うれしかった(最初は全く相手にされなかったのでより一層…)のですが、ただやはり、そうしないと、元々何もない自分は、地元の人に好いてもらえないという不安や、応援してくれている人も離れて行ってしまうという恐怖もあり、常に生存を脅かされる小動物のような心持ちでした。
しかし、政治を離れた今だから冷静に考えられ(かつ票を失うことをおそれずに言える)のですが、有権者の国会議員の評価基準が、「どれだけ地元に張り付いて頻繁に顔を出しているか」、「直接身近に触れ合っているか」に偏ってしまっていることは、国と国民にとって、本当に望ましいことなのだろうか?と思うのです。
議員のときも、「お酌をして回るのが国会議員の仕事か」と問われることもありましたが、「直接お話を聞く良い機会だし、喜んでいただけるのはうれしい。それに、これをやらないと、当選できない・当選し続けられないのであれば、国のために仕事をするには、やらないわけにはいかないのです。」という気持ちだし、議員にはそういう方は多かったと思います。
もちろん、本務と考えられる国会や政策立案の仕事にも必死でした。いろんな政策分野にきちんと対応できるように。そして、日々現場でうかがうお話をできるだけ反映できるように。
なので、時間がどれだけあっても足りず、自分はまだまだダメだと思い、ようやく得た支持者を失うことが本当に怖く、何も持たない自分は、とにかくもっとがんばらなきゃと、常に焦っていました。
…こう見てくると、地盤やカバンを持つ議員は、もともと票があり選挙に強く、地元を駆けずり回らずに済むのであれば、時間やエネルギー的にも断然有利ということになりますが、-そもそも、24時間365日、政治に注力して活動せねばならないとすると、一般人が「政治の世界に入っていくハードル」は、ますます高くなります。そして深刻な問題は、そうした活動や評価基準には、真に政治の質を高めることとは関係が薄いと考えられることも多く含まれている、ということです。(もちろん、直接近くでお話を聞く、お気持ちを受け止めることはとても大切なのですが…)
■「票が欲しいんだろ?じゃあ、我慢しろ」の呪縛
政治を離れた今、最初の立候補の頃のことを思い出して、不思議だったな・・と思うことのひとつに、一般の方の中には、候補者や議員に対しては、なぜか「どんなにひどい言葉を投げつけても、何をしてもいい」、「反論は許さない」と考えて、実際に行動に移す方が結構いる、ということがあります。
まず、いわゆる「票ハラ」といわれる有権者からのセクハラ(ボディタッチや抱きつく等)は、むしろ当たり前と思い、気になりませんでしたが(よいと言っているわけでは全くありませんが)、ここでご説明したいのは、もっと悪意に満ちているというか、例えば、握手をしたら捻挫するほど強い力で握られ、離してもらえず、「泣いたら応援しないぞ~」と言われる(地元有力企業の管理職の方でしたが、毎回なので、その方に会うのは本当に恐怖でした。)、早朝の駅立ちをしていたら、怒鳴られる、石を投げつけられる、あるいは、「俺は〇票持ってるんだぞ。当選したかったら俺の言うことを聞け。」と言われる、など、万事、「ほらほら、お前は票が欲しいんだろ?だったら、我慢できるだろ?」という感じの威圧的・侮蔑的な取扱いでした。
当時は、政治はこういうものなんだと納得して我慢していましたし、同期の議員たちに聞いたら、多かれ少なかれ、皆そういったことはあるよ、とのことでしたが、考えてみれば、相当おかしなことなのではないでしょうか。
■では、どうするか?
政界の世襲について、ここまでいろいろと考えてきましたが、では、どうしたらよいか、が、実はとても難しい問題です。「世襲であることは必要」vs「世襲はけしからん」、どちらにも、それなりに理由があり、政治に生きる人たちの苦悩も、国民のいら立ちも、分かります。
同一選挙区からの血縁者の立候補を禁止する、当選回数や在職年数に上限を設ける、といった案が出されることもありますが、方法論として各党の内規等で制限をかけることは可能だとは思いますが、憲法の職業選択の自由(22条1項)との関係や、また、人生100年時代に逆行している面もあり、なにより、経験がものを言う日本政界の価値観とあまりに相容れず、ハードルが高いと思われます。
多様な人材の確保と政治の透明性の確保には、選挙や政治活動に多額のお金がかかる現状を根本的に変えた上で、ノウハウと選挙や政治活動に必要な資金や人材の支援を党が責任を持って行うこと、有権者が議員に求める活動や評価基準を変えること、など、長年続いてきたシステムの根幹や人々の考え方を変えることが、やはり鍵になると思います。
元最高裁判事の福田博氏は、「一票の格差」を是正しないでいる国の不作為が状況を悪化させているとし「国勢調査のたびに選挙区割りがきちんと引き直されれば、既得権的に地位を保持し続ける議員またはその後継ぎが、ある程度は自然に淘汰され、結果として、あらゆる事態において国の柔軟性を保つ政策を選択する能力の高い議員が選出される可能性が大きくなる。」としています(「世襲政治家がなぜ生まれるのか? 」(日経BP社))が、選挙区割りの変更は、政治・行政のみならず有権者にとっても大きな負担となり、混乱を招くことは避けられないと思います。
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私は、それでも希望はあると思っています。なんであれ、「当たり前だと思われているけど、実はこれっておかしいんじゃないか」と考えることが、未来につながっていくと思いますし、あるいは、世代や価値観が変わっていくこと、世界に目を向けて自国を客観的に見る視点も、そうしたことを後押しすると思います。
世襲・非世襲、資産家・一般家庭、そういったことに関係なく、能力とやる気のある方が、政治の世界に入れる、そして、私心なく懸命に取り組んでいけるような環境になり、いろいろな立場の方の多様な意見が反映され、国と国民の未来をより良いものにしていけるようになったらよいと思います。
そして私は、議員になるということは、それ自体が「目的」なのではなく、あくまでも議員になって国を良くすることが「目的」だと思うので、その世界に入って何ができるか、が大切で、そのために、どの分野のどんな仕事でもよいのですが、他の職業を本気で経験されてから、「自分はプロフェッショナルとして、これができる」という見識と経験を持って、政治の世界で力を発揮していただくことが、真に国と国民の利益に資するのだと思います。
そして、国民の皆さまの側も、政治が「悪いことをしようとしている」と決めつけてしまわず、必死にこの国をなんとか良くしたいと思ってがんばる人たちもちゃんといますので、どうかご一緒に国の未来を考えていただくことが、困難な課題に直面する日本を救うことにつながるのではないかと思うのです。
◆豊田 真由子 1974年生まれ、千葉県船橋市出身。東京大学法学部を卒業後、厚生労働省に入省。ハーバード大学大学院へ国費留学、理学修士号(公衆衛生学)を取得。 医療、介護、福祉、保育、戦没者援護等、幅広い政策立案を担当し、金融庁にも出向。2009年、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部一等書記官として、新型インフルエンザパンデミックにWHOとともに対処した。衆議院議員2期、文部科学大臣政務官、オリンピック・パラリンピック大臣政務官などを務めた。