3年ぶりの神戸マラソンで完走も…両膝が走ることを“拒絶”~鉄爺、神戸を走る#2
11月20日、コロナで2年間延長になっていた第10回神戸マラソンの号砲が無事鳴った。1週間前から雨予報が続いていたが、フタを開ければ気温16~17度の曇り空、結局雨はまったく降らず、絶好のコンディションでの開催と鳴った
さて、3年前にこの大会でマラソンデビューを果たした私にとって、人生2度目の42.195キロ。目標は前回タイムのクリアに置いた。
前回、地獄の苦しみを味あわされた左ふくらはぎ対策は自分なりに準備をした。まずはこむら返りに即効性があると言われる芍薬甘草湯の錠剤を自宅を出る前に服用し、レース中用に2回分、ウエストバッグに入れた。ふくらはぎを強く締め付ける専用のサポーターを着用、さらに万が一のための筋肉消炎剤のスプレー缶の小さなものをこれも腰のバッグに準備した。
神戸マラソンのスタートは2ウェーブ制。2万人の参加者の半分ばかりが9時にスタートを切り、残りのランナーは少し間を置いて9時15分に出る。この時差が各自のタイムに反映されることはない。胸のゼッケン裏には消しゴムほどの大きさのICチップが貼り付けられており、個人々々がスタートラインを通過してからのタイムを刻み、記録に生かされる。
後で確認したことだが、私のスタートは9時15分10秒となっていた。
スタートエリアでの長い待ち時間で体が冷えたせいか、走り出すとすぐに軽い尿意を感じた。大会が準備したトイレがほどなく目に入ったので早々に用を足し。道路を埋めるランナー集団に戻った。
ここで目に入ったのが、背中に遠くからでも見えるように風船をつけたふたりのペースメーカー。ゼッケンには「4時間00分」と受け持つゴールタイムが書かれている。しばらく並んで走ってみると、ちょうどいいペースに感じられたので、このペースメーカーを目標にペースを刻むことにした。たった1回走ったきりの、自己タイム4時間58分12秒の高齢者が目標にしていいタイムだったのかどうかは後で身に染みて思い知らされることになる。
それでも5キロ28分、5~10キロ28分、10~15キロ28分と計ったようにラップを刻むことができた。15キロ過ぎの給水ポイントで腰のコムラ返り対策の錠剤を飲むことにしたため、いったん立ち止まって風船からは遅れることになり、ラップも30分に落ちたが、気持ちは落ち着いていた。快調な前半のレースだ。
ところが、3年前にコムラ返りを発症した中間点あたりで、やはり同じ左ふくらはぎにピリッときた。ただ薬やサポーターのせいか、前回よりは軽度だ。すぐに立ち止まり、患部にスプレーを吹きかけ、再び走り始めた。しばらくすると、今度は右の大腿二頭筋にピリッときた。同じことを繰り返す。結局、この軽度の症状が収まることは最後までなかった。
というよりも、自己流の治療を終えて軽いジョギングで再スタートを切るという3年前のやり方に頼ろうとしてがく然とした。いったん止まってしまったことで、左右の膝が強張ってしまい、ジョギング程度でも走ることを拒絶するのだ。経験したことのない膝の状態だった。
その結果、膝の症状が表れて以降の約20キロは、ほぼ一歩も走ることはできず、ひたすら速歩に頼って前に進んだ。前半、鼻高々だったラップも何もあったものではない。3年前の記録更新も途中であきらめた。結果は5時間12分32秒。完走の記念品、メダルは手元に残ったが、心には傷が残った。
この間刻んだ3歳という年齢は、やはりただ者ではなかったのか。加えて膝の痛みはレース後もますますひどくなり、階段の昇降はおろか、普通に歩くことのできない状態という初体験の状態に苦しむことになった。
(まいどなニュース特約・沼田 伸彦)