2度もかかってきた爆破予告…宴会場では元政治家を「励ます会」が行われていた “緊急事態”なのに隠蔽したホテルの裏側
選挙に落選して一般人になっても、命を狙われる元国会議員。宴会場を貸し切ったパーティで危険を予測したホテル側から、警備員の増員を要請された。実際、パーティが行われている最中に「爆破予告」の電話が2度もあって、不審物の捜索をする事態となった。筆者が警備の仕事をしていた、バブル景気に社会が沸いていたころの記憶だ。
■ふだんより厳重な警戒態勢をとっていたところ…
あと数日で元号が平成に変わることなど、誰もが夢にも思っていなかった昭和64年(1989)1月の初め、ホテルの宴会場では年初の大きなイベントが開かれようとしていた。
ある元国会議員を励ます会と称して、新年会を兼ねたパーティが行われるのだ。主役の元国会議員は直近の選挙で落選してしまい浪人中だったが、地元の選挙区では影響力の大きい人物らしい。逆の見方をすれば敵も多い。対立する勢力による妨害や嫌がらせが予想されるため、ホテル側が神経をとがらせていた。この日、我々警備隊はホテル側から要請を受けて、ふだんより厳重な警戒態勢をとることになっていた。
筆者が勤務していたホテル警備隊は24時間体制の勤務で、朝8時に日勤と夜勤の勤務者が交代する。夜勤が終わったら帰宅できるのだが、この日は「超過勤務」として夜勤者も残留して日勤が命じられた。さらに会社からも3名の増援を得て、日勤の勤務者がふだんの2倍という勢力になっていた。
パーティは夕方6時から、2時間の予定で行われる。この時間帯の前後に、ホテル外周の巡回を強化してほしいというのが、ホテル側からの要望だった。これに応えて、警備隊では朝から1時間おきの定期巡回に加えて、時間を設定しない不定期巡回も行うことにした。
宴会場でパーティの準備が行われている午後2時15分、総支配人から警備室へ連絡が来た。
「たった今、フロントに爆破予告の電話があった」
これは大変と、外周2名、館内1名で不審物の検索を行った。もし本当に爆弾でも設置されていたら大変だ。しかし、1時間近く探し回っても、不審物は見つからなかった。
「いたずらだったか……」
それ以後はとくに変わった様子はなく、厳戒態勢の中でパーティが始まった。その直後、今度はフロントから警備室へ電話がかかってきた。
「実は5時45分頃に、また爆破予告の電話があった」
なんと20分も前ではないか。「すぐに知らせてほしい」と文句をいうのは後回しにして、再び検索が始まった。宴会場では乾杯が行われ、参加者のほとんどにアルコールが入っている。こんなとき本当に爆発が起こったら、大パニックに陥るのは必至だ。そんな状況にもかかわらず、警察への通報は「不審物が実際に見つかってから」というのが当時のホテル側の姿勢だった。今ならすぐ通報だと思うが、無差別テロを経験する前は呑気に構えていたのが実情だった。
日が暮れて夜間ということもあって、外周の検索が念入りに行われた。とくに車の下や植込みの草の根をかきわけて探したが、不審物は見つからなかった。
結果として、爆破予告は2度ともいたずら電話だった。犯人の思惑は、おそらくパーティ会場を恐怖に陥れようとしたのだろう。ところが実際に神経をすり減らしたのはホテルの支配人クラスと、我々警備隊だけ。爆破予告の電話があったことなど、パーティ会場では誰も知らなかったはずなので、犯人の目論見は大きく外れてしまったのである。
もっとも、こういった「爆破予告」といった事案はきわめて珍しい。本来ならすぐ警察へ通報するべきだろうが、ホテル側がそれを望まなかった。我々が頻繁に巡回したり人数を増やしたりして警備体制を固めているのを見た犯人が思いとどまったのだとしたら、本物の警備を提供できたということだろう。
(まいどなニュース特約・平藤 清刀)