悪女か善女か…家康を支える謎多き正室・瀬名役 「どうする家康」出演の有村架純、名字のルーツ

NHK大河ドラマ「どうする家康」に家康の正妻役として出演している有村架純。家康の正妻は、一般的には「築山殿」という名前で知られているが、ドラマでは「瀬名」という名で登場している。

「瀬名」とは築山殿の父関口義広が今川一族の瀬名氏の分家にあたることに因むもので、本当の名前はわからない。当時の女性は実家の名字で呼ばれることが多かった。

また、これまでは「今川家の名を恃(たの)んだ悪女」として描かれることが多く、ネタバレをいえばのちに武田家との内通の罪で長男信康は切腹、築山殿は遠江の佐鳴湖の近くで家臣によって斬首される。

そのため、傲慢な女性とされることも多かったが、今のところはそういう雰囲気はない。これからどうなっていくかが楽しみだ。

さて、瀬名を演じる有村架純は兵庫県の出身だが、「有村」という名字は鹿児島県の名字である。

そのルーツは桜島の南側に位置する大隅国大隅郡有村、現在の鹿児島市有村町である。現在ではごくわずかの住民しか住んでいない有村地区だが、ここにはかつて温泉が湧き、江戸時代には薩摩藩主島津家の別荘である御仮屋があったなど、桜島を代表する保養所の1つであった。

しかし、江戸中期の安永8年(1779)に起きた桜島の安永大噴火で温泉が埋没。さらに大正3年の大正大噴火では役場や郵便局はじめ、集落全体が桜島の溶岩によって覆われ、住民は集団移住を余儀なくされた。

この有村地区には、ここをルーツとする有村氏があった。江戸時代には薩摩藩士となり、幕末には有村俊斎、有村雄助、有村次左衛門の3兄弟が活躍した。

雄助と次左衛門は、水戸浪士が井伊大老を襲撃した桜田門外の変に水戸浪士にまじって参加した。そして、次左衛門は井伊直弼の首級を挙げたものの深手を負ってその場で自害、雄助は捕らえられて薩摩藩に送られ、切腹した。

事件後、残った長男の俊斎は本来次左衛門が継ぐはずだった日下部家の婿養子となり、さらに日下部家の旧名字である「海江田」を称して「海江田信義」と名乗り、幕末・維新の荒波を乗り切って明治になると元老院議官や枢密顧問官を歴任、子爵に叙せられた。

今でも「有村」の過半数は鹿児島県にあり、県内では広く分布している。

◆森岡 浩 姓氏研究家。1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部卒。学生時代から独学で名字を研究、文献だけにとらわれず、地名学、民俗学などを幅広く取り入れながら、実証的な研究を続ける。NHK「日本人のおなまえっ!」にコメンテーターとして出演中。著書は「47都道府県名字百科」「全国名字大事典」「日本名門名家大事典」など多数。

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