【トルコ大地震】東日本大震災後、トルコで1カ月避難生活した女性「今こそ恩返しを」支援呼びかけ 当時を振り返り「現地の人は涙ぐんでハグしてくれた」
トルコ南部のシリア国境近くで起きた「トルコ地震」から10日が過ぎ、福島県在住の女性(37)がトルコへの支援を呼び掛けている。2011年3月11日に起きた東日本大震災で被災し、直後の1カ月間、旅行会社を通じた援助で、トルコで避難生活を送った女性。「現地の人は温かいおもてなしをしてくれ、ずっと心配してくれた。今度は日本が恩返しする番だと思っている」と話す。
震度6を観測した福島県内陸部の郡山市のアパートで一人暮らしをしていた佐々木美智子さん。当時25歳で、被災時は遅い昼ご飯として、家でおでんを食べていた。大きな縦揺れが始まり、木と木がこすれるような「みしみし」という音が怖かった。家は無事だったが、勤務先のレストランは店内が荒れて営業ができない状態。毎日、1日10回ほどの余震も続き、心細かった。
■ 情報錯そう「ここにいては危ないかも」
幸いなのは、インターネットが繋がり、ネット放送で情報を集められたこと。福島第一原子力発電所では核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」が起きていた。情報は錯そうし、何が正しい情報なのか分からない-。1週間がたつ頃には「ここにいては危ないかも」と強く思うようになっていた。
地震がなければ3月末からワーキングホリデーで海外に行く予定だった。新幹線は止まり、成田空港まで行けないためキャンセルした。そんな時にネットで見つけたのが、旅行会社「H.I.S.(エイチ・アイ・エス)」を通じて、トルコで1カ月間、被災者が避難生活をおくれるツアーだ。出発は4月11日か14日で募集は40人。費用は5万円のみ。当時の燃油チャージ分にもならない金額。すがる思いで申し込んだ。
■ ホテルや食事など無償で歓待
バスで成田空港まで行き、トルコへ到着した。日本人は風呂で湯船に浸かる文化があると、用意された部屋は湯船付きの高級ホテル。食事も無償で提供された。現地では日本人の被災者が滞在していることが知れ渡っており、街を歩けば話し掛けてくれ、「チャイを飲んでいって」「ご飯を食べていって」と歓待してくれた。涙ぐんでハグをしてくれる女性もいた。お金を払おうとしても止められた。
途中からは、現地の人が地震の恐怖を感じないようにとお金を出し合って、観光プログラムを組んでくれたようだった。現地の大学で日本語を学ぶ学生と交流したり、気球に乗ったり…。佐々木さんは「言葉が通じなくて、ほとんどジェスチャーだった。それでも想いがじゅうぶんに伝わってきた。避難のおかげで後のことを冷静に考えられた」と振り返る。
■「助けられた側として支援の輪を広げたい」
帰国後も現地の女性数人と交流があり、手紙のほか、ソーシャルメディアのフェイスブックで「復興を願っている」といつも日本のことを気遣ってくれた。後に知ったことだが、トルコの教科書では日本が好意的に取り上げられている。1890年、台風の荒れ狂う和歌山県串本沖で、オスマン帝国(オスマン・トルコ)の軍艦を日本が援助した「エルトゥール号事件」もその一つで、日本に親しみを持っているそうだ。困った人を助けるという国民性も大きいという。
今年2月6日未明に発生したトルコ地震では、4万人以上が亡くなったとされる。佐々木さんの知り合いは無事だった。そして東日本大震災で助けてもらったことを思い出し、改めて恩返ししたいと思った。方法は、ツイッターで支援を呼び掛けること。東日本大震災でトルコに避難した経緯や思いを投稿すると「初めて知りました」「微力ながら大使館に送金しました」「ユニセフを通じて募金しました」などの反響が続々。佐々木さんは「助けられた側として、少しでも支援の輪を広げたい。一人ひとりの思いが大きな力になると信じています」と話している。
(まいどなニュース・山脇 未菜美)