「戦艦大和って結局何したの?」無邪気な発言主を睨む周囲の人たち 大和ミュージアムでの出来事が示すもの
戦艦大和が果たした役割についての考察がSNS上で大きな盛り上がりを見せている。
きっかけになったのは養殖まりも卿さん(@abdcxiiivi)が投稿した「ウチの母は大和ミュージアムに行った際に『大和って結局何したの?』という全く悪気の無い(本当に知らなかっただけなんです…)ド畜生発言をして周囲の人から睨まれたことがある」というエピソード。
戦艦大和は大日本帝国海軍が莫大な予算をかけ建造した、当時世界一の大型戦艦。しかし、就役した太平洋戦開戦直後1941年末の時点で、空母や長距離飛行可能な航空機の台頭によりその戦術的価値は薄くなっており、戦争中ほとんど活躍の機会を見ないまま、1945年4月7日、沖縄方面への作戦の途上で撃沈された。
戦果という意味ではたしかに何かを成し遂げられたわけではない戦艦大和。その事実をあらためて突きつけられるこのエピソードに、SNSユーザー達からは
「戦艦スレで戦いの火ぶたが切られる奴……。(震え声」
「本来ぼくらの父母や国民が受けたかもしれない砲弾や爆弾をたくさん引き受けて、国を護る使命を全うして沈んだ船なのだから。そしてその技術は戦後日本の造船やその他分野に引き継がれた。何を成したか、ではなく何を遺したか、ですよね。」
「一般国民にその存在が広く認知されるようになったのは戦後だから、まだ長門のが『海軍の顔だった』と説明しやすい…」
「小学生の頃宇宙戦艦ヤマトに興奮し戦艦大和の書籍を買いました すごく強そうだったけど結局はほとんど戦果を上げられずに沈められた、と言うことを知り悲しくなったことを覚えております。」
などさまざまな意見が寄せられている。
■投稿者に聞いた
養殖まりも卿さんにお話をうかがってみた。
ーーお母さまが大和ミュージアムを訪れた経緯をお聞かせください。
養殖まりも卿:確か家族旅行で広島行った時だったかと思います。たまたま少し別行動していたのかと思います。母は普通の一般人ですし、大和に特に思い入れがあるわけではないと思います。大和ミュージアム行ったのも多分有名観光地だからという理由だったかなぁと。
ーーこのエピソードを聞かれた際のご感想をお聞かせください。
養殖まりも卿:「大和ミュージアムで何いうとんねん!」という思いと、実際大きな活躍を見せなかったにも関わらず博物館の名前となる(※正式名称は「呉市海事歴史科学館」)ほどの人気を得ているあたり、大和型戦艦(大和と武蔵)というイメージに対する本質を突いているとは思いました。
ーーこれまでの反響についてお聞かせください。
養殖まりも卿:「無駄だった!」とか「当時は必要だった!」など大和型の建造意義とか、果ては日本人の民族性だとか、これまでよく繰り返されている話題になっているのはやや残念なところではあります。一方、世界最大最強であったとはいえ、大和と武蔵という戦艦に、これだけの反響が集まることに、現代日本人の大和型戦艦に対する愛着や執着の強さが現れているのではないかと思います。
私としては、主に戦後に形成された大和型へのイメージの変遷は、ひいては海軍や戦争に対するイメージ、あるいは観光に利用した呉市などの需要の変遷もふくめ、文化史的にとても面白いものだと思います。そういったことをみなさんと一緒に考える機会になったのならとても楽しいと思います。
◇ ◇
戦艦大和の戦果は歴史で示されているが、その製造技術が戦後の復興に役立ったり、世界一の戦艦を持ち得たという記憶が敗戦により打ち砕かれた日本人のプライドのよすがとなったことは確か。また、失われて80年近く経ってもなお論争の題材になるというのもある意味貴重な存在だ。日本人にとって大きな遺産である戦艦大和。その存在について知ることで未来への学びとしたいものだ。
(まいどなニュース特約・中将 タカノリ)