仮面ライダー慰問に認知症のおばあちゃん感涙 甘酸っぱい記憶呼び起こした理由 レイヤーが亡き妻と25年育んだライダー愛「妻が生きていた証に」
仮面ライダーのコスプレで病院のクリスマスイベントに参加したら、認知症のおばあちゃんが「初恋の人です…また逢えた」と感涙したというツイートが話題を呼んでいます。おばあちゃんはライダーと対面後、失っていた言葉や記憶を取り戻し、退院したといいます。
ライダーに仮装したRare(@onodrea)さんは義肢装具士で、コスプレはネタではなく医療的アプローチだったといいます。25年前、仮面ライダーのコスプレイベントで義足だった妻と意気投合し、結婚。「妻の義足を作りたい」と義肢装具士を志しました。愛する妻を白血病で失った後も、伴侶と育んだライダー愛を貫き、患者を励ましてきました。コスプレに込めた思いをRareさんに聞きました。
■半世紀前の記憶に訴えるライダーコス
ーー勤め先のクリスマスイベントに、仮面ライダーのコスプレで参加した理由を教えてください。
「私はいろんなイベントでライダーコスをしていて、病院の同僚の作業療法士から、ライダーコスでのクリスマスイベント参加を提案されました。入院患者様の多くが昭和の仮面ライダーを覚えていますので、作業療法士の回想法に基づいて、50年ほど前の記憶に訴えかけるためには、昭和世代の心に残る仮面ライダーは最適でした」
ーー仮面ライダーに「初恋の人…」と涙したおばあちゃんと面識はあったのでしょうか。
「もともとご入院なされた日から、おばあちゃんがいるフロアは(義肢装具士として)僕が担当する回復期病棟でした。訓練用短下肢装具も僕が試作を作り、義肢メーカーに発注しました」
仮面ライダーとの邂逅後、おばあちゃんは言語能力がみるみる回復し、とんとん拍子で退院。医師からは「私達医者が何人束になっても仮面ライダー1号一人には勝てません」と驚かれたといいます。仮面ライダー効果でしょうか?
「衣装を脱いでしまえば僕はもう(仮面ライダーに変身する)本郷猛ではありません。言語聴覚士との日々の訓練で、見る見る上達されました」
「うちの病院は脳血管疾患のリハビリに関しては、近隣にない高いレベルの医療を提供するので、専門職は全員ベストを尽くしました。そして年明けに退院の運びになりました」
■ライダーコスで意気投合した妻
仮面ライダーコスによる医療的アプローチには、亡き妻への思いもあったといいます。
「妻は若い時に骨肉腫を患って右下腿切断し、義足を自分で作るために義肢装具士の国家資格を取りました。妻は京都のコスイベに仮面ライダーストロンガーの格好で参加し、友人の紹介で親交を深めた僕たちは結婚しました」
奥さんは仮面ライダーのビデオをすり切れるくらい見ていたといいます。生前、奥さんはライダー愛を満面の笑みで話していました。
「仮面ライダーは、ある日突然、仮面ライダーという不治の病にかかってしまった普通の人たちが、苦悩しながら人としての誇りや、人を愛することを忘れずに生きている」
「私も足を失くしてから、仮面ライダーからたくさん生きる勇気をもらってきた」
「彼らのようにはなれないけど、出会う患者さんに『仮面ライダーみたいに生きれるんだよ』って言いながら義肢装具を作っていきたい」
結婚後、二人は晩ご飯の後、仮面ライダーを1話見るのが習慣となりました。奥さんの白血病で再発し、天国に旅立った後も、Rareさんが仮面ライダーを見る習慣は続き、ライダーコスで患者を励ましています。Rareさんは仮面ライダー生誕50周年を記念した文集十五選に選ばれた作文で、「それが妻が生きていた証明にもなるから」とつづっています。
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Rareさんは兵庫県三田市の義肢装具専門学校に3年通い、義肢装具士の免許を取りました。その時、奥さんは亡くなっていました。
「家内が国際協力をやりたがっていたので」とRareさんは妻の遺志を受け継ぎ、「アフガニスタン義肢装具支援の会」に参加してアフガニスタンへ渡り、ソ連の地雷で手足をなくした人ために、日本の中古パーツで義手義足を作りました
アフガニスタンでの活動はその後、「アイラブピース」という映画になりました。時空を超えた妻とライダーへの深い愛。Rareさんはこれからもライダーコスを続けていくといいます。
(まいどなニュース・伊藤 大介)