マスターズとオーガスタの思い出~その2~鉄爺、旅の徒然#7
1992年のマスターズ開幕前々日の取材、会場のオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブでプレスのエントリーを済ませて、宿舎のモーテルに戻った。その前に道路沿いのスーパーに立ち寄り、バドワイザーの6本パックを2、3個買って部屋に入った。部屋には冷蔵庫などない。まずやったことは、モーテルに備え付けの製氷機のところに行き、部屋に備え付けのアイスペールに氷を山盛り入れて洗面台のボウルにぶちまけた。さらに一往復。氷で埋まったボウルに買って来たバドワイザーの缶を沈めた。
日本との時差はほぼ半日遅れ。当時はまだ海外からの送稿を電話での吹き込みに頼っていた。神戸の会社にデスクが出勤してくるまで時間は十二分にある。粗末な椅子に身を沈め、冷えた缶を開けた。アメリカが身に沁みる…そんな気分に浸りながら。
翌日は開幕前日。コースではマスターズ名物のパー3コンテストなどが開催される。朝早くにコース入りし、駐車場に車を停めた。プレスセンターに向かって歩いていると、目の前の道ににわかに人が押し寄せ、ざわついている。その人波を押し分けるようにしながら、歩くようなスピードで進む車が目に入った。
キャデラックのランドウトップタイプ。リアのピラーに埋め込まれた金色の熊のアクセサリーが輝いている。ゴールデン・ベア、ジャック・ニクラウスの車であることがひと目でわかった。周りの人波に負けないように前へ進み、車に近づいた。ニクラウスが運転席の窓を下ろし、ファンに手を挙げて挨拶しているのが見えた。「ジャック、ジャック…」。誰からともなく始まったシュプレヒコールが広がっていく。帝王来臨の迫力は圧倒的だった。
今年の大会でもそのニクラウスは恒例のオナラリースタートに顔を見せた。83歳。さすがに年齢を感じさせたが、始球式のような一打はしっかりしたスイングから繰り出されていた。
開幕前日の取材が終わる頃、同業の先輩記者から夜の食事に誘われた。地元に住む日本人の女性が自宅に招待してくれるのだという。詳しい事情も分からないまま、タクシーに乗った。連れて行かれたのは住宅街の中のごく普通の民家の前。アメリカ映画に出てくる家みたい、そんな印象だった。
タクシーの中であらましの話を聞かされた。その家で独り暮らしをしているのは横浜出身の日本人女性で、戦後、日本に駐留していたアメリカ人の軍人と結婚した。その後、夫の転属によってアメリカに渡り、オーガスタに居を定めることになったのだという。ご主人はすでに亡くなっており、子供たちも独立。マスターズの時期になると、日本からやって来るスポーツ記者を自宅に招いて食事を振舞ってくれるのが毎年の恒例なのだそうだ。米軍の基地のあるオーガスタには、同じような境遇の日本人女性が結構な数、住んでいるということも教えられた。
用意された食卓は床に敷いたカーペットの上に直接座る座卓だった。テーブルいっぱいに並べられた料理を見て目を丸くした。手作りの玉子焼き、納豆、そしてなんと干物のサンマ!! 彼女によると納豆はスーパーに行けば普通に手に入る、サンマはちょっと大変だけどね、と笑いながら次々に料理を勧めてくれた。
部屋のタンスの上には優しそうな笑顔のご主人の写真が飾られていた。実家のある横浜を離れてから、20年ほどは日本に帰ることもできなかったのだという。そんな話を聞かされると、縁もゆかりもない来訪者を招いて過ごすわずかな時間が、彼女にとってのマスターズ、年に一度の楽しみなのかもしれない、と思えた。
帰国してから、一度礼状を送ったことがあるが、それきりの不義理となってしまった。ご存命ならもうかなりの高齢のはずだ。いまも変わらず、世界中からオーガスタに人の集まるこの時期を楽しみにおられるのだろうか。
横浜からオーガスタへ。それにしても故郷は遠い。
(まいどなニュース特約・沼田 伸彦)