「いずれは…と理解していても、死ぬ訳ないと思ってた」天国からのお迎えが来た様子に乱れる心 21歳の三毛猫を看取って
21歳の三毛猫Mちゃんが亡くなりました。
亡くなる半年前に診察に来られた時は、ちょうど夏だったこともあって蒸し暑くて車に酔ったのか、来院してすぐに嘔吐して呼吸が荒くなり、その後横になってハアハアハアハア…が続きました。
診るとモフモフの毛の下には枯れ枝のような手足が…。背中の筋肉はげっそりと落ちており、これでは体力が無いだろうと思いました。便秘ということで来院されたのでしたが、これでは踏ん張って出す筋肉が乏しいのだろうと診断いたしました。
酸素吸入をして呼吸が落ち着いたMちゃんでしたが、これからは病院に連れていらっしゃるのではなく、必要があれば私が往診にうかがいますということで診察を終えました。
Mちゃんの血液検査の結果はシニア猫にありがちな値でした。つまり、ちょっと腎機能が落ちていて、肝酵素の数値も高めで、脱水もあり。でもどこかに腫瘍があるという訳ではなく、身体が全体的に弱っているという感じでした。長く使っている機械もそうですが、あちこち傷んだりネジが緩んだりして、歪んできたり性能が落ちたり…そんな感じでした。このような状況でしたので、私はこれまでの経験から、心の中で「Mちゃんはあと1年もつかな…」と思いました。
そして、季節は秋になり冬になり…年末になり、Mちゃんはそれでも無事に新しい年を迎えることが出来ました。Mちゃんは高齢で体の水分が足りなくなりがちのため、出汁スープを飲ませるように飼い主さんにお伝えしておりました。毎日、ミネラルやいろいろな栄養がたっぷりのスープを飲むようになって、Mちゃんの便は多少柔らかく水分を含むようになり、自力で何とか出せるようになっていました。どうしても出せないときは、飼い主さんが介助なさるように、やり方はお教えしておりましたので、何度か介助されたようでした。
◇ ◇
そんなある日、飼い主さんからLINEが届きました。
「Mちゃん
朝晩の昆布出汁
朝晩のベランダ徘徊
マグロ、牛肉は2日に1回
寒いのに行きたがるから週2の散歩
お灸は毎日10分程度
漢方は毎日
ウンチは約週1
こんなリズムで生きてはりますが、お年寄りにしてはなかなか元気です。」(原文のまま)
Mちゃん、まだまだ元気やな…そう思っていたところ、その翌々日にはこんなLINEが届きました。
「おはようございます。
先生、ちょっと相談です。
Mちゃん二日前からご飯食べません。催促はするのに出すと食べない。マグロも牛肉も、猫缶も。
お出汁のみ半強制で飲ませます。
ウンチは昨日、介助して出しました。
おしっこはそこら中で小出しします。
そして、徘徊がひどいです。
家の中とベランダを同じコースで昼夜問わずしてます。
ときどき大声で鳴きます。
お顔はシャキッとしてます。
これはどうするべきでしょうか?ご飯食べないのが心配です。」(原文のまま)
以前より飼い主さんとは「Mちゃんの最期は、尊厳死を目指す!(尊厳死=延命治療によって生かされ続けることは止め尊厳を保ったまま死を迎えること)」と、改善する見込みのない場合の治療は希望しない旨を承っておりました。私はこれまでの診察から、Mちゃんが食欲を戻すことは難しいのではないかと判断し、思い切って返信しました。
「驚かないでくださいね。ご飯を食べないのは、天国からお迎えが来ているからかも知れませんね。徘徊はヒトの認知症のような状態だと考えられますが、それをどうにかするとなると眠ってもらうか、子供用のプールに入れて思う存分歩き回らせるかです。眠らせてしまう薬物を使うのは気の毒ですよね。」
すると、飼い主さんからすぐに返信が来ました。
「ショック!
いずれはと思ってたけど…
けど、カッツ先輩みたいに(=我が家で老衰で亡くなった猫のことです。)見守り尊厳死にしたいので、泣かんように頑張ります。
あぁ無理。いや、頑張ります!」
その後、Mちゃんはヨタヨタ~フラフラ~転びながら徘徊を続けていましたが、だんだんと横になる時間が増え、次第に眼は閉じずに開きっぱなしで、じいっと1点を見つめている時間が増えていきました。その間、飼い主さんは何もしてやれることが無いと悩んでおられましたが、私は「たくさん話しかけてくださいね、暖かくしてくださいね」とお伝えいたしました。
そして4日後、Mちゃんは天国に逝きました。
「9時48分、Mちゃん永眠しました。
9時40分くらいから急に呼吸がおかしくなってきたのでベランダ全開にして青空へ導いて…ありがとうって100回くらい言って、手を握って、胸に指置いて、最後は体をピーンと反って、心臓の音が止まるのを確認しました。
口がパカッて開いて、手足がピクピクしてお終い。
ちゃんと見送れて良かったけど、今はまだ泣いてます。
先生には色々お世話になりました。
ありがとうございました。」
亡くなった後に送られてきたLINEです。
その後、飼い主さんと別の猫チャンのことでお会いしたときには、こうおっしゃられました。
「あの時はホンマにドキッとしたー。終活のお手伝いしてて、Mちゃんトイレも失敗ばっかりで、いつコケるかもわからへんし、で毎日大変で疲れてたくせに、このお世話が一生続いても苦じゃないって、あのときはガチで思ってた。いつかは…って理解してても、Mちゃんに限って死ぬ訳ないって思ってた。やから、先生のあの一言は、Mと私にとって良い『気づき』だったと思ってます。残り少ない時間をアセアセせずに過ごせたんちゃうかなーって思ってます。」
◇ ◇
最近、飼っている犬猫が終末期になって、どうしたらよいかわからないというご相談を受けることが多くあります。ご連絡を受けてお会いし、お話をしてみると、私よりも年上の方であることも少なくありませんが、これまで人間の死にゆくところを見守ったというご経験が無いのであれば、そうなるであろうとは思います。死に関して、特に初めて死を目の前にする人間にとっては、不安でこれほどつらいことはないでしょう。
昔、ほんの数十年前には日本では人間は家で亡くなるのが一般的でしたが、近年は医療の発展の結果からか、死を病院が囲い込んでしまい、死が隠されてしまいました。それなのに、医療は病気を治すところであり、死は医療の対象とはならないという矛盾…。でも、最近では再び、在宅専門の医療機関が整備されつつあったり、尊厳死などが叫ばれたりするようになりましたね。
思い起こせば、私も獣医師に成りたてのころは犬猫の死に際してドキドキしたり、どうしていいのかわからず、飼い主さんにかける言葉もわかりませんでした。それまで人間の死にゆくところに遭遇したこともありませんでした。そして、もっと違う治療をしていれば助かったのだろうか?などと自問自答したこともありましたが、実際には「治らない」という状況がごまんとあるのでした。
今でこそ、人間も含めて動物の死は生きるのと同じ自然現象だと思えるようになりました。そして、自分自身はどうやったら周囲に迷惑をかけずに、自身も穏やかに逝けるかを考えています。当院の患者さんとその話で持ちきりになることもあります。Mちゃんの飼い主さんも、これまでも何匹かの猫を亡くされておられたこともあり、尊厳死についてお考えでしたが、それでも実際にはMちゃんの終末期を前に上述のようになられてしまうのですね。
私は先日「看取り先生の遺言」という本を読みました。1997年、現在の在宅医療の黎明期に自ら緩和ケア医院を立ち上げ、自身もがんでお亡くなりになった岡部健(おかべ・たけし)先生の終末期にインタビューする形でまとめられた本書の中で、岡部先生はこうおっしゃっています。
『「治らない集団」を専門に診ようとする医者はどこにもいない。肺癌学会に加入している医者といっても、全員が治すための専門家であり、治せない患者に対する専門性は何も持っていない。4分の3も治らない集団がいるのに、その専門家がいないなんて、バランスが悪すぎるじゃないかと思った。』
その通りですね。治せない患者の専門医…獣医師にもせめて『治せない動物のための看護』といった授業があればと思います。そして、岡部先生はこうもおっしゃっておられます。
『これまでたくさんの患者さんを看取ってきて、自然に任せておけばそんなにつらくなく逝けるんだということを、たくさんの患者から(自分は)学んだのだろう。』
もちろん、助けられる・回復の見込みがある場合には積極的な治療をするけれども、その希望が無い場合には、積極的な治療はむしろ苦行なだけだったリする場合もあるでしょう。私は、終末期を迎えた犬猫に、できるだけ穏やかな時間を持ってもらい、飼い主さんには「これまで一緒にいてくれてありがとう。」と必ず伝えてくださいと申し上げております。そうすると、きっと天国で彼らは待っていてくれるから、と…。
(獣医師・小宮 みぎわ)