10年後に価値が出る!? 街角のマスク像たち、在りし日の記録写真 同じ趣味を持つ大学教授と意気投合「調べごとの面白さに触れる良い機会」
コロナ禍でマスクを着けさせられていた街角のマスコット像たちが、この春、マスク着脱自由化や「5類」移行などの動きを受けて、あっという間に“脱マスク”してしまった。大半の人は気にも留めていないと思うが、マスク像の観察と記録を密かな趣味にしていた私にとっては、かなり大きな変化である。当たり前のように街に馴染んでいた光景が、気づいたらほとんど失われているというこの状況を、どう受け止めればいいのだろう。ヒントを求めて、大衆文化史や都市社会学に詳しい関西大学社会学部の永井良和教授に会いに行った。
-マスク姿のマスコット像、先生はどう思われますか。
「まずは像について整理しましょうか。かつて井上章一さん(国際日本文化研究センター所長)が著書でカーネル・サンダース像のことを書いたりもしていたように、お店や街のシンボル的なキャラクターをつくって、季節ごとの服を着せたりするというのは、昔から日本人の大好きな行動です。古くは、昔話の『笠地蔵』なんかもそうかもしれません。石でできたお地蔵さんに、寒そうやからと着せてあげる。欧米ではあまり見られない、土俗的な感覚と言えそうです」
「街中の世俗的な宣伝のために設置された人形や看板の類も、何かというと服を着せられがちです。そういった歴史的、文化的な背景を踏まえて考えると、像のマスク姿は最初はギョッとしたかもしれませんが、『像に何かを身につけさせる』のはもともと根づいていた文化と見るべきでしょう」
-笠地蔵!なるほど、わかる気がします。
「季節やイベントに応じてマスコット像が特別な衣装を着せられることはよくありますが、今回のマスクが難しかったのは、外すタイミングがわからなくなったことです。結局2023年春になり、マスクの着脱は自己判断にするなどの動きを受けて、私たち人間(日本人)に先行してどんどん外していきましたよね。私はそこから『早く終息してほしい、コロナ禍の前に戻ってほしい』という人々の願望が読み取れるように感じます。特に、飲食や観光などに携わる人たちはずっと、『一刻も早く外れてくれ』と祈るような気持ちだったはずですからね」
-私の観察活動に意味はあったのでしょうか。
「ホンマに面白くなって、価値が生まれるのは、10年20年経ち、コロナ禍のことをみんながすっかり忘れた頃に、マスクを外され忘れた像がひょっこり見つかった時だと思います。その日まで、ぜひ観察を続けてください。もちろんコロナ禍で亡くなった人や、後遺症に苦しんでいる人、仕事を失った人もいらっしゃるので、そうそう簡単には忘れられないですし、笑い話にもできません。でもいつかこのパンデミックが記憶の彼方になる日まで、記録は継続するべきです」
「日常のこういうささやかな記録は、“熟成”期間を置くことがすごく大事。何年か経った後に、『あの時どうだったのか』と対比するものとして、値打ちが出てくるんです」
-何となく始めた活動なので、「コレクション」が充実する前に脱マスクしてしまったという反省があります。
「そういうものです。僕も街にある公衆電話を撮影しているのですが、それが今どんどん減っていき、跡地みたいになっています」
-公衆電話の跡地、ですか?
「携帯もスマホも持たない僕は、出先で公衆電話がないと困るので、最初は設置場所を覚えておくために撮って記録していました。それが携帯やスマホの普及で急速に姿を消しつつあるんです。すると、あの台ってかなり頑丈に作られているので、今はそこに別のものが置かれていたりする。よく目にするのは、有料で使えるスマホの充電器。それに、おっちゃんたちの飲み会ですね。ちょうどいい高さの台なので、惣菜やつまみを買い込んで立ち飲みしているのを見かけます。外国人旅行者が宴会しているのに遭遇したこともあります」
「そんなことを言っても今は『そらそうやろ』で終わる話ですが、今後どうなるかはわかりません。10年くらい経つと、思わぬ形で再利用されていたりするかも。それは、マスクを着けられていたマスコット像に関しても同じことが言えるでしょう」
-観察、記録の大切さ。身が引き締まる思いです。
「マスク像の記録なんかは個人単位でできる調べごとですが、SNSなどを活用すれば、全国規模でユニークな比較やコンテストなんかができるのでは。身近なことから、皆さんに調べごとの面白さを知っていただく良い機会かもしれませんね」
(まいどなニュース・黒川 裕生)