アニメや漫画の10代の主人公 以前は「ただの学生」→最近は「学生であり職業人」 現実世界でも若者からモラトリアムが消えた?

アニメや漫画から読み取れる、若者のモラトリアムの喪失がSNS上で大きな注目を集めている。

「私は93年生まれで、アラサーのノスタルジーだといわれればそれまでなんですが、私の世代が10代の頃、『10代』とは夏休みの最終日が無限に続くような永遠でありました。

一概にはモラトリアムと呼ばれ、何者にもならない、ならないことを許される時間がありました。

翻って、今の10代はみな、『10代のうちから何者かになることを志向せねばならぬ』という強迫観念に駆られているように見える。将来設計を考え、将来のために仕事を、学校を、趣味を選び、貯金をし……。立派なことだが、とても大変そうだと思う。

これは、創作物にも表れている傾向でありましょう。つまり、我々が10代の頃、アニメや漫画の主人公はただの『学生』だった。それ以上の身分は持たないのが主流だった。

一方で現代では『水星の魔女』や『リコリコ』に見るように、単に学生であるだけでは足りない。『学生であり職業人』であることが求められる。職業がアイデンティティの大きな部分を占める。

つまり『学生の社会人化』が起きているのだと見えるし、それは現実の10代にも同様に起きているように見える。モラトリアムはその権能を喪失し、夏休みは終わる。

これは単に『昔はおおらかな時代だった』という話ではない。『なぜおおらかな時代だったのか?』という問いを孕んでいるのであり、裏側から照らせば『なぜ現代の10代は"将来に備えなければならないほど"不安な日々を強いられているのか?』という問いでもある。

経済の悪化は無関係ではあるまい。我々が10代だった頃は不況不況と言われてもまだ身に染みるほど経済が落ちぶれていなかった。状況は悪くなり、これからも悪化し続ける」

と自論を紹介したのは三兎群青さん(@azurite_mito)。

たしかに「ドラえもん」にせよ「ドラゴンボール」にせよ「ちびまる子ちゃん」にせよ、昔の漫画やアニメでは子供はただの子供だった。1980年から1981年にかけて放送されたアニメ「無敵ロボ トライダーG7」では、主人公の竹尾ワッ太が社長であるというだけでも異質な感じがしたものだ。

それに比べると近年の作品では子供、学生であるにも関わらず職業を持っていることが多い。これは子供とは言え、日々をただ無為に過ごしたり、遊んでいることが許されなくなった日本の経済的低迷が影響しているのだろうか…。

三兎さんの投稿に対し、SNSユーザー達からは

「人間の寿命が伸びていく一方で若いうちから成熟することを求められるのは辛いですね…寿命が長くなるならもっとゆったり生きていきたい」

「日本社会がメンバーシップ雇用からジョブ型雇用に切り替わっているのが根底にある。ジョブ型雇用社会では学生時代にジョブを身につけないと誰でも出来る底辺職にしか就けなくなるのでメンバーシップ雇用時代のような学生生活は文字通り別世界の話になる」

「インターネットとSNSが他者との距離を近づけさせ過ぎてる。自分よりも容姿に優れ、知能に優れ、経済力で、運動で、芸術の才能で…etcそれらを以前の時代よりも近い距離で毎日見せつけられ続ける。人類の集合知・能力なので誰も勝てる訳ないんですけどね。それでも焦っちゃうじゃないかなぁ。」

「どこにでもいる普通の高校生、というフレーズで始まる作品最近聞かない気がしますね これからの時代何か一芸持ってないと生きていけない、という不安みたいなものがあるのでしょうか」

など数々の共感の声や考察が寄せられている。

読者のみなさんは三兎さんのお話を読み、どう感じるだろうか。日本経済が苦境にあえぐ中、創作物で描かれる子供たちの姿もこれからさらに変化してゆくのかもしれない。

(まいどなニュース特約・中将 タカノリ)

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