永谷園、ベテラン社員に「二代目ぶらぶら社員を命ず」 新商品開発を強化 初代ぶらぶら社員は「麻婆春雨」の生みの親
2023年3月下旬、永谷園のベテラン社員が突然、永谷園ホールディングスの永谷栄一郎会長から電話で呼び出されました。会長室に行ったその場で、辞令を受けます。2023年4月1日付で「二代目ぶらぶら社員を命ず」というものでした。
ぶらぶら社員のミッションとは、新商品開発に結びつくような情報をどんどん会長に入れること。そのためには、どこに何を食べに行っても良い、そのための交通費・経費は会社で支払うというものです。特別な報告は不要で、メール・写真・メモ・サンプルなどどんな形でもいいので、情報を持ってくることで、任期は2023年4月1日から2024年3月31日の1年です。
このベテラン社員は64歳の木内美章さん。1981年入社し、開発部に配属。販売促進部宣伝課長、販売戦略部副部長、宣伝部長を経て2015年から執行役員(宣伝部長)です。
■初代ぶらぶら社員は1979年から2年間
初代ぶらぶら社員制度は1979年から2年間実施され、「麻婆春雨」というロングセラー商品を生み出しました。
同社の商品サイトでは、初代ぶらぶら社員を漫画で紹介しています。それによると、1979年9月初旬、社長室に呼ばれた営業部のAさんが緊張した面持ちで聞いたのは、永谷嘉男社長(当時)の信じられない言葉。「当社は、次に何を開発するかという点が弱いと感じている。そこでこれからの2年間、食べたいものを食べ、行きたいところに行き、とにかく“ぶらぶら”して新商品のアイデアを考えることに専念して欲しい。出社は自由。経費は使い放題。報告書も不要だ」という驚くべき発言でした。
永谷嘉男社長は永谷園の創業者。会社設立のきっかけとなった「お茶づけ海苔」をはじめ、「松茸の味お吸いもの」「すし太郎」といったヒット商品を世に送り出しました。「会社の中で机に向かっているだけが商品開発ではない。意外な場所で意外な時に斬新なアイデアが生まれる可能性が高い」が持論でしたが、社長としての業務がある自分自身がぶらぶらするわけにはいかない。ならば、商品開発の能力とセンスに長けたAさんに、代わりにぶらぶらしてこいと白羽の矢を立てたのでした。
Aさんは当初、社内の会議や試作試食会などに参加したものの、アイデアが浮かびません。「外に出て、新しい体験をしたり、食べたことないものにチャレンジしないとダメだ」と向かったのは東北と北海道。秋田では、ハタハタ(魚)の塩漬け汁を使う「しょっつる鍋」と海のパイナップルと言われる「ホヤ」、札幌では凍らせた生鮭をスライスした「ルイベ」に感動したそうです。南国の郷土料理にもヒントを求めました。鹿児島では薩摩揚げと宝石のように光る魚「きびなご」の刺身を食べ、奄美のカエル料理にも挑戦しました。旅はヨーロッパへ。モスクワ、ウィーンを経て食の本場フランスへと続きましたが、これは!というヒンとの出会いには至りません。
2年間のぶらぶら期間も終わりかけようというある日、とある料理店で食べたのが中華スープでした。「この味、こってりしていてご飯に合いそうだ」。そう感じたAさんの頭にある食材が思い浮かびました。それは春雨でした。「中華スープと春雨、これはいけそうだ!」とAさんは帰国しました。
このアイデアへの社内の評価は高く、商品化が決定。春雨と様々な味の中華スープを組み合わせて試作を重ねた結果、春雨が豆板醤を使った辛みのある中華スープと相性が良いことを確認。ぶらぶら社員制度発足から2年後の1981年11月、全く新しい中華そうざいの素「麻婆春雨」が誕生しました。