昭和から平成の大阪・湾岸 風景の中には放し飼いの犬や野良犬がいた 画家は鉄工所で生まれた子犬を家族に迎えた
ギャラリーに展示されているアクリル画に描かれている風景は、どれも30年ほど前の大阪市・湾岸部の工場地帯。大正内港や渡船、建設中の京セラドームなどのほか、今では見られなくなってしまった風景もある。昭和世代ならきっと「懐かしい」と思うはず。作者の小川雅章さんに、絵に込めた想いを聞く。
■調理師専門学校を卒業した元料理人……40歳後半から絵を描き始める
思い返してみれば平成の始まりは1989年で、もう34年も前のこと。「平成レトロ」という言葉を耳にするようにもなって、昭和はきっと大昔のイメージかもしれない。
小川さんがアクリル絵の具で描くのは、そんな昭和の末期にあたる80年代後半から90年代の平成初期にあたる大阪・湾岸エリアの風景だ。絵のタッチと色遣い、そしてテーマに選ぶ風景が、どこか懐かしさを覚えるのはそのせいだろう。
じつは小川さん、もともと画家を志していたわけではない。1983年に辻調理師専門学校を卒業した2年後の1985年に、楽天食堂という中華料理店をアメリカ村で開店した料理人なのだ。
しかし、アートとは無縁ではなかった。20代の頃から、趣味で版画作品をつくっていたという。絵を描き始めたのは、40歳代の半ばからだそうだ。
「版画は彫るのに手間がかかるんですよね。それが面倒になって、絵を描き始めたんです」
集中して描き始めたのは、2018年に店を畳んだ後からだという。
ちなみに、1日のうちどれくらいの時間を制作に充てているのだろう。
「体調によります。調子が良かったら1日じゅう描いていますし、しんどいと思ったら1~2時間でやめるときもあります」
制作ペースは年間で20枚ていどだそうだ。
作品はどれも30年以上前の風景なので、現地で写生するわけにはいかない。
「写真をたくさん撮ってあるのです」という小川さん。じつは写真を作品にしようと考えて、撮り歩いていた時期があった。その当時に撮り溜めた膨大な写真から絵のテーマを選んで、自分のイメージに合うようアレンジを加えて描いていくそうだ。空の色や全体の雰囲気だけでなく、そこに存在しないものも描き加える。そのひとつが、ほぼすべての作品に登場する、子犬のテツだ。
■鉄工所の作業場でススとホコリにまみれていた子犬
小川さんが写真を撮り歩いていた当時、街には放し飼いの犬や野良犬が多かった。
「あの頃はそれも街の風景の一部だったのですが、管理が徹底されて、今は街をウロつく犬を見かけなくなりました。ですから、作品の中に犬がいてもいいなと思って描いています」
作品に描かれている犬は、自由だけれども、どこか寂しげにも見える。当時はこのような犬が、街を当たり前にウロウロしていたのだ。
作品中の犬は、じつは小川さんの家族でもある。出会いは、ある鉄工所の作業場に繋がれている、ススとホコリにまみれた子犬だった。
愛嬌のある子犬で、小川さんがしばらく眺めていると、鉄工所の経営者らしき人が出てきた。母犬を放し飼いにしているせいで、毎年春になるとどこかのオス犬と通じ合って子供を産む。引き取り先を探すのに苦労しているという。
小川さんも強く勧められ、迷った末、家族に迎えることにしたそうだ。
連れて帰るとき、母犬が小川さんのあとをついてきた。子犬は前足を突っ張って抵抗していたが、母犬のほうは我が子を取り返そうとする素振りは見せなかった。ある辻まで来たとき、母犬の足が止まり、それ以上は追ってこなかった。小川さんがあとでその場所を地図で確認すると、その辻はちょうど町の境界だったという。小川さんは自身のWEBサイトに、このときのことを「きっと何度も子別れを経験しているのだろう」と書いている。
連れ帰った子犬は、鉄工所で生まれたからテツと名付けて、その後19年の長きにわたって小川さんのもとで暮らした。
小川さんがこれまでに描いた作品数は100点を超えているそうだが、ほぼ売れていて、残っているのは本稿を取材した時点で20点ほど。
「年金をもらえる年齢になった」という小川さん。撮り溜めた写真が多いからテーマは尽きないといい、今後も手が動く限り描き続けたいと語っておられた。
個展はほぼ2~3年に一度不定期に開いており、SNSで告知される。
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▽WEB
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(まいどなニュース特約・平藤 清刀)