「こんなに大きくなれるんですね」生きる姿を見せることが、誰かの希望になる 先天性心疾患者のYouTuberが生まれた理由
「生きるコンテンツになりたいんです。人生を遊び倒す僕の生き方が、誰かの糧になったら嬉しいから」
そう語るのは、先天性心疾患を持つ田嶋陽貴さん。田嶋さんはYouTubeで自身の病気を配信。先天性心疾患者への理解を広めている。
■「フォンタン手術」を受けて、大好きな子どもと関われる学童に就職
田嶋さんは心室の間の壁がない、単心室症。肺動脈の弁が狭くなる「肺動脈狭窄症」も患っている。
生後間もない頃はチアノーゼが見られたが、生後2カ月の頃に肺血流を増やす「BTシャント術」を受け、2歳7カ月には単心室症では最終的なゴールだと言われている「フォンタン手術」を受け、症状は改善。
チアノーゼはなくなり、日常生活が普通にできるように。小学校ではマラソン大会の時には校長先生が短い距離を伴走してくれるなど、理解ある教師に恵まれた。
だが、目に見えない障害を同級生に理解してもらえず、悩んだことはある。
「体育は、自分ができるものだけ参加していました。だから、昼休みに、はしゃいで走っていると、クラスメイトから、『なんで昼休みは走っていたのに、体育では走らないんだよ』と言われたことはありました」
中学生になり、心不全の数値が上がって、運動がよりできなくなった時には動けないもどかしさを味わったそう。
「後輩から、『そんな体じゃ、お前は俺についてこれないんだろう』と言われた時は、やっぱり悔しかったです」
そうした生きづらさと向き合いつつ、田嶋さんは大人に。子どもが好きだったことから、大学卒業後は、在学中にボランティアで行っていた学童に就職。学童保育支援員として働くようになった。
学童では、子どもと遊ぶために体を動かさなければならないこともあったが、周囲から「辛かったら、遊ぶのは他の人に任せて監督的な立ち位置でいてくれればいい」と言ってもらえ、体調を気遣うことができた。
「子どもたちが遊びたがった時には代替え案を提示したり、パワーポイントや紙で心疾患を説明して状況を伝えたりしました」
大好きな子どもたちと関われる学童での仕事は、田嶋さんにとってやりがいがあるものだった。
■誰かの希望になりたくてYouTubeをスタート
だが、就職から2カ月も経たないうちに体調が悪化。カテーテルという細い管を用いて、不整脈の原因となる異常な回路や興奮を発生させている部位を焼灼する「カテーテルアブレーション術」を受けることになり、学童を退職する。
同時期、かつて受けたフォンタン手術が古い型であったため、新しい型にする「フォンタン変換(TCPC)手術」も受けた。術後は、アルバイトやパートで生活を繋ぐ日々。そんな中、田嶋さんはYouTubeでの配信をスタートする。YouTubeでは持病の説明だけでなく、検査入院の様子や他の心疾患者との対談も公開。
動画配信を決意したのは、自分の命の捉え方を考えさせられた経験があったからだ。
実は田嶋さん、幼い頃からずっと主治医に『お前は生きているだけで希望になる』と言われていたそう。それを肌で痛感したのは、大学生の頃だった。群馬県立小児医療センターで開かれた心疾患児とその親が参加する座談会で自身の半生をプレゼンしたところ、何人もの人に泣きながら「希望になりました」と言われ、衝撃を受けたのだ。
「ああ、希望になるって、こういうことか…と、その時、初めて実感したんです」
また、カテーテルアブレーション術を受けるために入院した際、新生児の親から目をキラキラさせて「こんなに大きくなれるんですね、希望になります」と言われたことも持病を発信するきっかけになった。
「その人たちのためにも、生きたいって思いました。実際、配信を始めてみたら色々な繋がりも生まれて嬉しかったです。当事者の方からコメントをいただくようにもなり、もっと頑張んなきゃっていう気持ちも出てきましたね」
■悲劇のヒロインを演じずに、人生を遊び尽くしてほしい
現在、田嶋さんは障害者雇用枠を利用し、東京で事務職に就いている。健常者と働く中では、体調管理に対する悩みや内部疾患を説明することの難しさを痛感することもあるという。
「自分の中での“頑張る”は無理をすることに繋がるので、どこまで無理をして、どこまで無理をしないかを図っていくのが大変です。それと、自分が感じている“体が重い”などの微妙なラインの体調不良を言葉で説明するのが難しいですね」
そうした悩みはあるものの、田嶋さんは自身の心疾患をハンデではなく、武器と捉えている。
「過去に体調が悪化した時は落ち込んだし、心臓病がなければ…と思うことは今も時々、あります。でも、そうやって暗くいると、さらに悪くなりそうだから、デメリットだと思えることを武器に変えていこうかなと。せっかく、心疾患を持って生まれたんですから」
悲劇のヒロインになるのではなく、心疾患を武器にし、一緒に生きていく…。そんな生き方を選んで、人生が明るくなる心疾患者が増えることを田嶋さんは願っている。
「持病を受け入れるには段階があります。何も受け入れられない時や、どこに視点を向ければいいのか分からない時もある。だから、自分の生き方を伝えて、そういうどん底から、どうあがっていくかを提示したいと思っています」
また、田嶋さんは心疾患児を持つ親御さんには、過保護になりすぎない見守り方をしてほしいと訴える。
「なるべく小さな頃から、子どもを色々な人と触れ合わせて、社会に慣れさせてあげることも大切だと思います。可哀想と言われて育つと、自分をそう捉えてしまうし、外の世界に慣れていないと、周りを敵だと思ってしまうこともあるから。親自身も、我が子の障害をひとりで抱え込みすぎないようにしてほしいです」
そう語る田嶋さんは同じ心疾患を持つ仲間に、「遊び倒せ」というエールを贈る。
「目標を決めて動くと、自分がどういう人間なのか分かってくる。だから、人生を遊び倒して、何がよくてダメなのかを自分で知っていくことって大事だと思うんです。そのほうが人生、楽しいですしね」
そういう心疾患者が増えるには、社会が少しずつ変わっていく必要もある。田嶋さんが望むのは、誰が何を言っても否定しない世の中だ。
「障害の有無にかかわらず、誰に対しても、頭ごなしに否定せず、その人の気持ちを一旦受け止められる環境っていいなと。例えば、誰かが辛いと言った時、自分のほうがもっと辛いと思うのではなく、その人にとっては辛いことなんだなと受け止めてあげることが大事だと思うんです」
社会に出て、辛さを口にすると、甘えだと言われてしまうことも多いが、当事者が感じている辛さをどうすれば解消できるのかを共に考え、一緒にステップアップしていけるような共生社会が築かれることを、田嶋さんは願っている。
まずは、自分が好きなことをどんどんやっていきたい。全国をまわって講演会をしたいし、武道館でライブをするのは、人生のなかでやり遂げたいことのひとつ--。そう意欲を燃やす田嶋さんは人生を遊び尽くしながら、同志に希望を与え続ける。
(まいどなニュース特約・古川 諭香)