「甲子園の土」産地はどこ? 高校球児が涙ながらに集める土、兵庫県産かと思ったら…意外な事実が

 高校球児たちの熱戦が繰り広げられている夏の甲子園。新型コロナウイルス感染対策で禁止されていたある行為が、2019年以来、4年ぶりに再開されました。それは「甲子園の土」の持ち帰り。負けたチームの選手が一列に並び、ベンチ前の土を涙ながらにかき集める姿には胸を打たれます。

■春と夏で配合も変えていた…その理由は?

 そもそも阪神甲子園球場(兵庫県西宮市甲子園町)の土は、どこから運ばれた土なのでしょうか。

 球場の公式サイトによると、球場の土は「黒土」と「砂」で構成されており、複数の産地のものをブレンドし、使用しています。

 黒土の産地は、毎年決まっているわけではないそうですが、岡山県日本原、三重県鈴鹿市、鹿児島県鹿屋、大分県大野郡三重町、鳥取県大山など。

 一方、砂の産地は、甲子園浜および香櫨園浜社有地から始まり、瀬戸内海産の砂浜、中国福建省、京都府城陽と変遷しています。

 季節により配合も変えており、春は雨が多いため砂を多めに、夏は白球を見やすくするために黒土を多めにブレンドしているといいます。

■「あえて持ち帰らない」選手の思い

 高校球児が持ち帰った土は、自身の想い出の品として手元に置いておく以外に、家族やお世話になった人たちへ記念品として渡す人も多いようです。

 中には「あえて持ち帰らない」という選択をする選手もいます。理由は、再び甲子園に戻ってくるため。

 プロ野球日本ハムで活躍する清宮幸太郎選手もそんな一人。早実の怪物ルーキーとして2015年夏の甲子園大会に出場した際、準決勝で敗れたあと、土を集める列に加わりませんでした。インタビューで問われると「絶対ここにまた戻ってくるので、いらないです」と誓い、何度もグラウンドを振り返りました。最近では16日に敗退した広陵(広島)が「土は集めないのが伝統」と持ち帰りませんでした。

     ◇

 複数の産地の土や砂が使われていたことは意外でしたが、選手の力が存分に発揮できるよう、独自に配合された「甲子園だけにしかない、特別な土」だということがわかりました。19日から始まる準々決勝ではどんなドラマが待っているのでしょうか。土にも注目しながら声援を送りたいですね。

▽阪神甲子園球場…1924(大正13)年8月1日竣工。施工は大林組。当時の施設名「阪神電車甲子園大運動場」の通り、野球のほかにも陸上競技やラグビー、スキージャンプの大会なども開催され、室内には温水プールや体育館なども併設されていた。1951(昭和26)年7月5日、銀傘(ジュラルミン製)完成。現在の収容人員は47400人。

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