原発処理水放出を「利用」する習近平政権 中国国内に渦巻く不安をそらす“打って付けの機会”

日本が福島第一原発の処理水放出を開始したことにより、中国は日本産海産物の全面輸入停止という措置を講じた。対外的に見れば、中国が軍の近代化を押し進めるにあたって欠かせない先端半導体について、米国は同盟国や友好国とともに対中輸出規制を強化するなど、貿易面において習政権の不満は既に沸点に達している。そして、中国は米国と足並みを揃える日本などにも不満を募らせ、今回の日本産海産物の輸入停止もその延長線上にあろう。

だが、輸入停止の狙いは国内向けにもある。日本が処理水放出を開始して以降、日本各地には処理水放出に反対する中国国民から次々といたずら、脅迫じみた電話が鳴り止まない。電話をとってもすぐに相手側から切られ、侮辱的な日本語で怒鳴るケースもあるという。筆者も電話を取った複数人からメールをもらったが、相手側の番号が中国の国番号「86」から始まっているので間違いないようだ。

また、中国各地に日本人学校、日本領事館や大使館に対して石や卵が投げ込まれ、幸いにも負傷者は出ていないものの、在中邦人の安全が脅かされる事態となっている。7月からスパイの定義が大幅に拡大された改正反スパイ法も施行され、今後の行方が懸念される。北京にある日本大使館も、外出するときは大声で日本語を話さないよう呼び掛けるなどしている。

こういった中国国民からの嫌がらせが横行しているにも関わらず、中国政府はそれを抑えるどころか黙認している。中国のSNS上では現時点でも反日的な内容のメッセージが閲覧、投稿できるようで、これは中国政府にとって都合の悪くない、むしろ上手く利用しようとしている何よりの証拠だ。反政権的なメッセージは瞬時に削除されるのとは大違いだ。

なぜ、習政権はこういった対応を取るのか。これが輸入停止のもう1つの狙いである。実は今日、中国経済、国内の雇用状況は極めて悪い。21世紀以降、中国経済は高い成長率を維持してきたが、近年はそれが鈍化傾向にある。コロナ禍のゼロコロナによって市民は日常生活での制限を余儀なくされ、企業は自由にビジネスできなくなり、人々の社会的、経済的不満が強くなり、その矛先が中国政府に向いている。16歳から24歳の若年層の失業率は脅威の20%越えで、若者たちの習政権への不満もかつてなく強い。

昨年秋の共産党大会の直前、北京市北西部にある四通橋では、「ロックダウンではなく自由を、嘘ではなく尊厳を、文革ではなく改革を、PCR検査ではなく食糧を」などと赤い文字で書かれた横断幕が掲げられる動画が一時ネット上に拡散した。同じ時期、上海でも女性2人が「不要」「習近平退陣」「封鎖解除」などと書かれた横断幕を持って行進する姿が目撃された。さらに、チベット自治区の中心都市ラサでは新型コロナ政策に抗議する数百人レベルの大規模デモが発生し、一部が警官隊と衝突した。抗議デモに参加した多くはチベット族ではなく、同自治区に出稼ぎに来た漢民族とみられる。

こういった国内からの脅威に直面する習政権は、それをそらすもしくは沈静化を図るため、上手く利用できるものはないかと常に考えている。そして、今回の福島第一原発の処理水放出は打って付けの機会となった。

「処理水放出による脅威から中国人民の命と安全を守るため、日本産海産物を全面輸入停止にした」というアピールは、情報統制が強い中国であればかなりの支持が集まるはずだ。「国内的には課題はありますが、政府は対外的な脅威から人民を必死に守っていますよ」とアピールできれば、習政権は自らに向けられる不満や怒りを少なからず逸らすことができる。反日的メッセージが発信できるのは、若者らのストレスを日本を相手して発散させる役割を担う。

習政権にとって、福島第一原発の処理水放出が自らの政権安定性に貢献する道具になったことは間違いない。

◆治安太郎(ちあん・たろう) 国際情勢専門家。各国の政治や経済、社会事情に詳しい。各国の防衛、治安当局者と強いパイプを持ち、日々情報交換や情報共有を行い、対外発信として執筆活動を行う。

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