あまりに非現実的で「ルール形成の基本を押さえていない」 日本中から批判受け撤回…埼玉「子ども放置禁止条例案」に豊田真由子指摘

「子どもだけでの留守番や登下校、おつかい、公園で遊ばせること」等を禁じる虐待禁止条例改正案が、埼玉県議会に提出され、反対意見が続出し、結局取り下げられました。

「合理的な安全措置を取らずに、子どもを放置してはならない」というルール自体は、欧米では割と一般的なものですが、日本では、それを遵守できる環境が整っているとは言い難く、「実態を踏まえていない。無理!」という意見が出るのは当然です。

ただ、「取り下げられてよかった」で終わりにするのではなく、今回の問題で、我が国の「子育てに対する理解や環境整備の乏しさ」が改めて浮き彫りになったともいえ、それらを根本的に改善することが、子どもや保護者、社会のためにも必要だと思いますので、制度比較や欧州での子育ての経験等も踏まえ、考えてみたいと思います。

■条例案の内容と経緯の問題

今回の条例案では、「小学3年生以下の子どもを放置しないこと」を、保護者等に義務付け(小学4~6年生については努力義務)、具体的には、「子どもたちだけで、学校の登下校をさせる、公園で遊ばせる、おつかいに行かせる、高校生のきょうだいに預けて親が出かける」といった行為も禁止され、県民に禁止行為を見つけた際の通報も義務付けました。

禁止行為に対する罰則はありませんが、施行(2024年4月1日予定)後の状況を見て、罰則を設けることも検討するとされていました。

今回の条例改正は、子どもの車中への置き去りや転落事故等を受け、「放置は虐待」という意識改革を促す、学童保育やシッター等の整備につなげていく、とも説明されており、確かに「新たなルールが、環境をドラスティックに変えていく(「飲酒運転の厳罰化」等がよく例に挙げられます)」という面もあるとは思いますが、いくらなんでも、実現可能性に欠けた中での突然の義務化は、ルール形成の基本を押さえていなかったと言わざる得ないと思います。

一般的に、国が法律案を作るときには、所管省庁の審議会において、時間をかけて、関係団体や有識者の意見を聴き、賛否もいろいろある中で、随時調整しながら決めていきます。審議会はメディアに公開され、資料や議事録等もHPにアップされますので、一般の方も、どういう議論が行われていて、どういう改正内容になっていくか、を早い段階で知ることができます。パブリックコメント(意見公募)は、そうした具体的な様々な議論を経て法律案を作成した後に、最終的な意見を聴取する機会のひとつに過ぎません。

一方、今回の埼玉の条例案については、「パブリックコメントで意見を聴いた」(田村自民県議団長)、「県の執行部は一切意見を求められていない」(大野知事)ということのようですので、実質的に、その条例案を作成するまでの段階において、どれだけ丁寧に多くの意見を聴き、調整をし、それらを踏まえて作ったものなのか、という点に、大きな疑問が残ります。

特に、子どもに関する政策については、私は、国においても、いわゆる有識者だけではなく、当事者である保護者、そして、子ども自身の気持ちも汲んであげられる仕組みになるといいのだけど、と昔から思っています。

■欧米の一般的ルール

欧米では、国によって、また米国では、州、郡、市によっても、対象年齢(一義的な年齢を定めていない場合もある)や内容等に違いはありますが、一般的に、合理的な安全措置を講じずに、子どもだけで留守番や外出、車内で待たせる等の行為は、状況によっては「児童虐待」に当たり、保護者が逮捕され、子どもと引き離されたり懲役刑が科されたりすることもあります。

日本人が欧米の観光地に行き、子どもをホテルの部屋に置いていたり、ショッピングモールのどこかで待たせてたりしたら、(見つかれば)警察に通報されることもあります。逆に、欧米の人が、日本に来た際に驚くことの一つが、「子どもがひとりで電車に乗っている」、「学校に送り迎えをしない」、「公園等で子どもだけで遊んでいる」といったことです。

欧米のこうした規制の背景には、治安の悪さ、児童虐待に関する考え方の厳格さ、それ故に「ネグレクト(育児放棄)や事故や犯罪などから、子どもを社会全体で守る」という意識があります。

したがって、今回の条例案の考え方自体は、世界標準で見れば、必ずしもおかしいとは言えず、また、子どもをターゲットにした犯罪被害の深刻さを考えれば、核家族化が進み、地域のつながりも希薄になっていく中で、昔(私が子どもの頃もそうでした)は当たり前だった「子どもだけで、家や外で遊ぶ」といったことも、事故や誘拐などのリスクに子どもを晒していることになる、と言われれば、それはそうかもしれないけど…、とは思います。

ただ、政策には、「導入の必要性」、「内容の妥当性」、「実現可能性」が求められます。

そのルールを導入するべきか、という議論とともに、「現在の日本で遵守することが可能か? 困難だとすれば、それはなぜか? それを解決するにはどうしたらよいか?」といった包括的な議論と具体策無しでは、対象者(保護者)は途方に暮れてしまいます。環境が整っていない中で、新たな厳しいルールを作っても、(啓蒙以外の)現実的な意義は乏しくなります。今回、多くの反対意見が出た根本的原因も、ここにあります。

■社会システムや意識の違い

では、「基本的に、子どもだけで過ごさせてはいけない」というルールのある国では、一体どうしているのでしょうか?

例えば学校の送迎は、スクールバスや自家用車の利用等が一般的だと思いますが、学校から帰っても、大人がそばについていないといけませんので、例えば、学童(始業前と放課後に預けられるbefore & after school club等)を利用する、祖父母などの親戚が担う、シッター等のサービスを利用する、仕事を時短勤務にする・日によって早めに切り上げる、等のいろいろな方法で、工夫しながらやっている、ということになります。

まずそもそも、「仕事や家庭に関する考え方」とそれに基づく働き方の違い、周囲や社会に理解が浸透しているということが、大きいと思います。

人生において、家族や自分の時間を大切にすることに価値が置かれ、残業や職場の飲み会などは基本的になく、夕食は家に帰って家族で取る、というのが基本的なスタイルで、仕事の仕方も「無駄なことをしている時間はない」となり、効率性が強く追求されることになります。「家庭や個人の生活を大事にすることを前提とした職場環境」になっており、この違いは、実は様々なところに影響しています。

それに、男女ともに家事育児を当然のこととして担い、専業主婦・主夫の家庭であっても、ワンオペ育児が当然の前提になっていたりはしません。また、日本もそうですが、ひとり親家庭で奮闘される方も多いです。

そして、そうしたルールが、社会の中で広く認識されているので、子育て中かそうでないかに関わらず、理解があり、「子どもの送迎や、具合がわるくなったから迎えに行く」といったことに対して、批判やプレッシャーを受けない、周りに遠慮しなくて済む、ということになります。当事者だけではなく、周囲の人や社会全体が、そう認識していることが重要なのだと思います。

(なお、こうした国においても「保護者が過剰に管理することで、子どもの心身の発達を阻害するおそれがあり、子どもたちだけで通学や留守番させることで自立心を育むべきだ。」といった考えに基づく、フリーレンジ・キッズ運動といった動きもあることを、付言しておきます)

そしてまた、子育てのしやすさ、という観点で言うと、欧州で子育てをして、子ども連れや高齢者や障がい者に対して、皆で配慮をするということが、極めて自然に行われている印象を受けました。駅の階段(地下鉄は古くてエレベーターが無いことも多い)やバスの乗降等で、必ず、周囲の方が何人も寄って来て、助けてくれます。また、駅空港や美術館などでは、子ども連れ・高齢者・障がい者用の「優先レーン」があり、電車の中では優先席でなくても、席を譲られます。

社会の中で、「なんらかのハンディがある人には、サポートをする」という意識が浸透しており、それが小さい頃から身に付き、個人の行動にも反映されていっているのだと思います。もちろん、子ども連れの側にも周囲への気遣いや感謝が必要だと思いますが、日本に帰ってきて、「ベビーカーで外出するのは肩身が狭いので控える」という話を聞いて、違いを痛感しました。

■ニーズに沿ったサービスの普及

<学童施設>

放課後に子どもが過ごす場所のひとつとして、学童施設が重要ですが、待機学童、過密や人材不足などが深刻です。こども家庭庁によると、学童保育の利用児童数は、2023年5月時点で計144万5459人(前年比3.8%増)で、希望しながらも利用できない待機学童は1万6825人(10.8%増)いるとのことで、需要の高まりに整備が追いついていない状況です。

小学校の教室を活用することが、安心や効率性の点からもニーズが高いわけですが、学童保育は厚生労働省、学校は文部科学省の所管で、必ずしもスムーズではない、といった話もあります。習い事を受けられる、地域の方がスポーツや料理などを教える、企業とコラボしたプログラムを実施するなどの工夫をしているところもあります。

子どもたちが長い時間を過ごす場所が、できるだけ良い環境であるように、そしてそもそも、子どもが学童に入れず、保護者が仕事を辞めざるを得ないといったことがないように、行政は整備と充実に力を入れるべきだと思います。

<チャイルドシッター>

欧米では、チャイルドシッターサービスが普及しています。日本では「シッターは、富裕層が利用するもの」といったイメージがありますが、「子どもだけで過ごさせてはいけない」という厳格なルールがある国では、所得階層に関わりなく、どの家庭でもシッターを利用するニーズが高くなります(ひとり親家庭のニーズは、一層切実です)ので、シッターという仕事が、プロの職業としても、学生(大学生や高校生)のアルバイトとしても、広く普及しています。知人の家族や紹介、評価付きのマッチングサイトやネット掲示板といったルートがよく使われているようです。

リンナイ(株)の調査(※)によると、「働く女性のうち、定期的にシッターを利用している人の割合」は、米国52.0%、韓国20.0%、ドイツ16.0%、スウェーデン15.0%、日本7.0%。そして「保育サービスを利用している人の割合」は、スウェーデン77.0%、独45.0%、韓国42.0%、米国35.0%、日本25.0%だったそうです。

(※)2019年1月に、日米韓独ノルウェーで、25~39歳の仕事をしながら育児をする女性500人(各国100人ずつ)を対象に、インターネットで行った調査。(調査数が少ない、対象の抽出方法が不明、といった精度の問題はあるかと思います)

私は、役人時代、スイスとフランスで、二人の子どもを出産しました。特にスイスでは、自分と子ども二人だけで、外交官としてWHOでパンデミック対応等をしていたので、シッターさんがいなければ、成り立ちませんでした。保育園に子どもを迎えに行って、買い物をして、家に帰って、子どもと遊びつつ、食事の用意や、掃除、洗濯、お風呂、帰宅が遅くなる時には、寝かしつけもしてくれました。まさに、子どもといる間は、愛情深く「その家の母親の代わり」になってくれる、大変心強い存在でした。

一方、帰国後の日本では、シッターサービスはあまり普及しておらず、競争原理も働かないからなのか、どの会社も「家事は一切やりません。子どもの食事は、用意されたものは食べさせます(が作ることはしません)」「子どもが眠っているときは、安全確保のために、何時間でもただずっとそばで座っている(SIDS防止のため、常に呼吸の確認をしている由)」でした。それでいて、(会社を通すのでそうなるとは思いますが)、価格も非常に高く、とてもじゃないけど、無理だなあ…、という感じでした。

「家事をするかしないか」という話というよりも、それぞれの家庭のニーズにちゃんと沿う形で、広く柔軟に、そしてリーズナブルに利用できるサービスがもっと普及すれば、子育ての大きな負担軽減になるのだけどな、と思います。

金銭的な負担については、近年行われている政府の公的補助のようなものも有効だと思います。ただし、今の日本では、若い世代が、経済的理由等から結婚や出産に踏み切れない、国や社会の将来に希望が持てないといった問題、長い経済停滞や進まぬ賃上げ、物価高騰による国民生活の負担増などの中で、対応せねばならない問題が山積しており、限られた財源をどこにどう使っていくかという点からの、きちんとした議論と納得感、そのための一定の線引き等が必要だと思います。

シッター市場の成熟は、国内の雇用創出という点でも、可能性があるのではないかと思います。なお、欧米でのシッターの担い手は、移民や出稼ぎ等の方も多く、数や心構え等の点でも、日本とは違っている面もあると思います。また、密室でのシッターによる子どもの虐待等も深刻な課題となっており、どうやって子どもの安全を確保するかということも、普及を考える上では、非常に重要な論点だと思います。

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今回の条例改正を巡る問題が、子育てのしやすい環境づくり、働き方や社会の意識の変革、必要な施設やサービスの整備などについて、広く建設的な議論が深まり、実際に変わっていくきっかけになるとよいと思います。

◆豊田 真由子 1974年生まれ、千葉県船橋市出身。東京大学法学部を卒業後、厚生労働省に入省。ハーバード大学大学院へ国費留学、理学修士号(公衆衛生学)を取得。 医療、介護、福祉、保育、戦没者援護等、幅広い政策立案を担当し、金融庁にも出向。2009年、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部一等書記官として、新型インフルエンザパンデミックにWHOとともに対処した。衆議院議員2期、文部科学大臣政務官、オリンピック・パラリンピック大臣政務官などを務めた。

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