犬が看取り、猫がおくる…ペットと暮らせる老人ホームでの「奇跡の日常」 人と動物が“共に老いる”感動の記録が書籍化
■「人間の死を看取る犬がいる。それが衝撃でした」
「人間の死を看取る犬がいる。その事実を知ったのは、2022年の秋のことです。大げさではなく、衝撃でした」
話題の新刊『犬が看取り、猫がおくる、しあわせのホーム』(光文社)を上梓した石黒謙吾さん(62)は、そう語ります。
神奈川県、横須賀に2012年に開設された「さくらの里 山科」。ここは猫や犬がともに暮らせる特別養護老人ホームです。高齢者が愛犬や愛猫と同伴で入居できる公的施設は極めて少ないことから、NHK「ETV特集」でも採り上げられ、注目されました。
『犬が看取り、猫がおくる、しあわせのホーム』は、「さくらの里 山科」の入居者、猫、犬、献身的に支えるスタッフの姿を写しだしたフォトドキュメンタリーブックです。著者の石黒謙吾さんは累計90万部を記録したベストセラー『盲導犬クイールの一生』をはじめ、犬や猫に関する著書・編著を18冊もリリースしてきた大の動物好きとして知られています。
そんな石黒さんが一眼レフカメラを携え横須賀へ足しげく通い、入居者の最期まで寄り添う犬猫と、反対に犬猫をおくる入居者たちの姿を撮影、取材しました。この本は膨大なカットから厳選した109枚の写真と、ホーム誕生から2023年6月までの11年間に起きた感動的なエピソードを含む30編のルポルタージュによって紡がれています。
石黒「カメラの撮影モードは、あえて始めからモノクロに設定しました。一般的にはカラーで撮って、あとからモノクロに変換します。そうすればどちらでも使えるので汎用性があるわけです。しかし、『それでは潔くないな』と思い、『この本のためだけに撮る』という覚悟で、そうしました」
■入居者はすべての動物をかわいがっていた
「さくらの里 山科」の、犬と猫と暮らせる4つのユニットは取材を終えた2023年6月の時点で40名と20匹が入居していました。
石黒「犬どうし、猫どうし、みんな仲がいい。喧嘩をしている様子を1度も見たことがないです。そして、おとなしい。お年寄りの優しいオーラや、ここにいる誰しもが味方なんだという安心感が動物にも伝わるんじゃないでしょうか」
もちろん、動物どうしだけではなく、人と動物の垣根もないのだそうです。
石黒「自分が飼っていて一緒に入居した犬や猫だけではなく、入居者みんながホームにいる動物すべてをかわいがっていました。前を横切るたびに頭をなでたり、抱きしめたり。そんな光景を見て、『まるで長屋の子どもだな』と思いましたね。長屋に住む子どもたちを、長屋の大人たち全員で育てるという、昭和の頃にあった風景が蘇ってきましたよ」
■犬との悲しい別れがきっかけだった
「さくらの里 山科」は、デイサービスを運営していた若山三千彦さんが創設した、日本で初めて犬、猫との同伴入居を可能とする公的施設です。きっかけは、ある高齢男性の悲しい最期にありました。
ミニチュアダックスフントを飼っていた、一人の男性がいました。男性は老人ホームに入ることになったもののペットの同伴は認められず、飼い犬は泣く泣く保健所へ。デイサービスの職員が見舞いに行くと、男性は「自分は家族を殺してしまった」と悔いながら号泣。生きる気力をなくし、およそ半年で亡くなってしまったのだそうです。
その話を聴いた若山さんは胸が痛み、「福祉には、まだまだ足りない部分がある」と、ペットと暮らせる特別養護施設をつくろうと決心したのだとか。
■人の死を感知し、看取る犬
「さくらの里 山科」の名を巷に知らしめた大きな理由の一つが、2012年の春からここで暮らす古参の犬、文福の存在でした。柴犬系の雑種、オスの文福。彼はなんと「人の死期を感知し、看取る」行動をとるのです。
文福は入居者に死期が近づくと、次第に近くに寄ろうとしはじめます。逝去の3日前あたりから個室のドアの前から離れずに座り、いよいよお別れの時が訪れると、横たわる老人に寄り添い、顔をぺろぺろと舐め、最期を看取るのです。入居者は、そんな文福を抱きしめ、やわらかな顔で召されていくといいます。
石黒「文福は11年間、同じユニットで暮らしていた入居者の全員、およそ40名を、例外なく一連の行動をとって看取ったのだそうです。偶然とは思えないですよ」
人の往生を悟る、文福。裏を返せば、彼が行動を起こせば、職員や家族は別れへの準備ができます。心を整える時間もできる。まるで彼が、人々が少しでも穏やかな気持ちでその瞬間を迎えられるよう、仕事をしているかのようです。
石黒「文福は、死への恐怖を少しでもやわらげてあげたいと、“おくり人”ならぬ“おくり犬”としての使命を自らに課している気がするんです。文福はもともと保護犬でした。殺処分のギリギリ1日前に引き取られたのだそうです。死にゆく他の犬たちから発せられたなんらかのメッセージを受けて、特別な能力を身につけたのかもしれないと、若山さんは話していました」
■人と犬がともに老いていけるホーム
石黒さんが取材中、もっとも長くともに時間を過ごしたのが犬の「大喜」でした。老いた大喜は自力での歩行がたいへんなので、いつもリビングの決まった場所で横たわっています。カートに乗って移動する練習も始まりました。
石黒「うちで飼っている豆芝のセンパイも老犬で、人間の年齢だと100歳に近い。カートに乗る生活になって、そろそろ2年になります。食事は抱いてスプーンで与え、夫婦で交代しながらおむつを替えているんです。そんな日々のなか、大喜が懸命に歩こうとする光景はリアリティを伴って、僕の心の深いところに刺さりました」
石黒さんが飼う犬は18歳、猫は13歳。高校卒業までの18年を合わせて36年間、人生の半分以上を動物とともに過ごしてきました。それだけに、身につまされたのでしょう。ここでは高齢なのは人だけではありません。犬や猫も同じように歳を重ねていく。生を授かった者たちの、さまざまな老いの姿があるのです。
■障害を抱えた猫も暮らす
この「さくらの里 山科」には、人と同じく、複雑な背景を抱える動物たちがやってきます。老いた犬、そして、障害を抱える猫もいるのです。
タイガとかっちゃんは、ともに脚が曲がっていました。保護された時点で人になれており、飼い猫だったと思われます。どちらもきれいでおとなしい猫ですが、障害があるため引き取り手が見つからず、施設長の若山さん動物保護団体から迎え入れたのです。
石黒「タイガの脚の状態を見ると、人に傷つけられた可能性もあって、そして『歩行に難があるため捨てられたのでは』ということです。怒りがこみ上げてきますし、動物たちへの深いお詫びの気持ちも湧き上がる。そしてそんな二匹が歩いたり、ジャンプしたり、じゃれあったりしているほほえましい姿を見ると、誰しも『私も頑張ろう』と思うことでしょう」
脚が不自由ながら歩こうとするタイガとかっちゃんのしぐさは、実際に入居者を勇気づけました。
石黒「自分の子どもがなかなか来てくれないと言い募っていた人が、『あの子たちのけなげな様子を見ているうちに寂しくなくなってきた』と元気になった例もあったそうです。動物たちが車椅子で生活する入居者に力を与える存在になっているんですね」
そんなタイガとかっちゃんは取材中に亡くなりました。
■献身的に働く介護職員
もう一つ、石黒さんが胸を打たれたのが、献身的に働く介護職員の姿。犬も猫も、人間と同じケアが必要です。仕事量は単純に2倍。「実際はそれ以上になっているように感じました」と石黒さんは語ります。
石黒「入居者の車椅子を押し、食事を用意し、排泄の面倒を見る。そのうえ犬や猫の世話があり、しかも老犬や老猫ならば介護も加わるのですから、たいへんですよ。職員さんの動作が止まっている姿を見たことがないです。なかには衰弱が進み、ほぼ視力を失っている動物もいる。そんな彼らの世話を、淡々と、おだやかにこなしていらっしゃるんです。頭が下がります」
■入居者の死後、動物はどうなるのか
さて、やはり気になるのは入居者の死後、「遺された動物たちはどうなるのか」という点です。遺族が引き取ることもありますが、ホームに残る場合もあるのだそう。
石黒「引きとれない理由は、動物とは住めない住環境だったり、お子さんが猫アレルギーだったり、さまざまなケースがあるらしいです。そういうとき、ホームの犬や猫として暮らします。なかには『猫や犬も、かわいがってくれた親の思い出が染み込んでる場所にいたいんじゃないか』と、あえてエサ代を支払ってホームに飼い続けてもらう遺族もいるようですね」
飼い主の死後の動物の飼育費は、遺族が支払うほか、寄付や補助を含めてやりくりしているのだそうです。なかには同じ個室に棲み続け、現在は3人目の入居者と暮らす猫のムギなど、犬の文福のような明確な行動はなくとも、入居者を看取り、おくる犬や猫は、ここにはたくさんいます。
■取材を通じ「他人事ではない」と感じた
石黒さんが「さくらの里 山科」を訪れ、まず感じたことは「これは他人事ではない」でした。
石黒「認知症は、急速に進行する場合もあります。そうなると計画的にペット問題の対策ができません。もしも認知症が一気に進んだり手足の自由が利かなくなったりして、犬や猫と暮らせなくなったら、どれだけ悲しいことか。実際、そういった例は少なくないでしょう。ペットとともに入居できる施設は、改めて素晴らしい理念のもとにあるのだと感じましたね」
高級な老人ホームならばペットとの同伴入居が可能な場合がありましたが、福祉行政の一環として安価で入居できる施設は、11年前にできた「さくらの里 山科」しかありませんでした。近年は新たに2か所が誕生したとか。まだそれだけなのが現状です。
石黒「高齢化問題、福祉の問題、保護犬・保護猫の問題がここに集結していて、取材をしていて自分の意識が広がったし、有意義な本が残せたと思います。こういったホームのニーズは今後、さらに増えると思うんですよ。入居を望む人はかなり多いでしょう。若山さんの取り組みがいっそう広く知られ、補助金が増えて各地に新たな施設が生まれ、高齢者が老人ホームで最期まで犬や猫と暮らすことが当たり前な世の中になればいいですよね」
新刊『犬が看取り、猫がおくる、しあわせのホーム』を読み、人が犬や猫を看取り、犬や猫が人をおくる静かな営みが全国に浸透することを願う気持ちでいっぱいになりました。
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▽『犬が看取り、猫がおくる、しあわせのホーム』(光文社)
石黒謙吾/著
『盲導犬クイールの一生』の著者が、刊行後23年目に贈る、静かな感動の記録ふたたび。最期の時まで寄り添う、長年愛した飼い犬、飼い猫。そして、保護犬、保護猫たち。人の死期を悟る奇跡の犬・文福たちと暮らす老人養護施設には、今日もあたたかな時間が流れる。
定価1,760円(本体1,600円)
(まいどなニュース特約・吉村 智樹)