暗殺、裏切りを重ねた戦国の梟雄はモダン思考 大勢力のはざまで「負けない」宇喜多直家 直木賞作家が人物像を新解釈

 岡山のまちの礎を築いた英傑でありながら、とかく暗殺や裏切りを重ねた“梟雄(きょうゆう)”として語られる戦国大名宇喜多直家(1529~82年)。その評価を「死後440年にわたり背負わされてきた汚名」として著書「涅槃(ねはん)」(2021年)で新しい直家像を提示したのが、今年直木賞に輝いた作家の垣根涼介さん(57)=横浜市=だ。11月に岡山市内で講演し「武家の宿命にもがき苦しみながら、懸命に生き抜いたモダン思考の武将。それが直家だ」と熱く語った。

 備前国、砥石城(現岡山県瀬戸内市)を治めた宇喜多氏の嫡子として生まれ、一度は没落した家を戦国有数の勢力に復興した直家。一方で舅(しゅうと)で亀山城(沼城、現岡山市)の城主だった中山勝政(信正)を酒に酔わせて謀殺したり、備前を挟んでにらみ合う織田、毛利氏の間で寝返りを繰り返したりしたことから斎藤道三、松永久秀と並ぶ「戦国の三大梟雄」にも数えられている。

 ただ、その生きざまは江戸期の軍記物「備前軍記」によるところが大きく、一次史料も少ないため実像を包むベールはいまだに厚い。垣根さんは、直家が手を染めた数々の謀略は「織田信長や毛利元就らにしても同等のことをしていた。戦国期の武将にとって日常茶飯事でしかない」と主張。にもかかわらず直家が悪く言われるのは、嫡男の秀家が関ケ原の戦い(1600年)に敗れて大名として滅んだ後、江戸期も残った毛利氏に裏切り者扱いされた上に、江戸幕府が推奨した儒教により謀略が悪事とみなされたためとして、「歴史は勝者の都合でねじ曲げられる。この一面性に一太刀浴びせたかった」と直家を主人公に据えた思いを語った。

 2013年に歴史小説に活動の幅を広げた当初から取り上げたかったといい、7、8年前には岡山を3回ほど取材。直家が備前統一の一歩を踏み出した乙子城跡(同市)や勝政を排除した後に入城した亀山城跡など足跡をたどり、構想を膨らませた。一方「参考文献と言えるものはほぼなかった」とも。備前軍記などの概要は頭に入れつつ「あくまでも作家としての想像力で、私なりに解釈した直家像を作り上げた」と話す。

■舅謀殺も悩んだ末の決断

 経済の重要性を認識し、わが国で初めて交通の要衝に武士と商人が共存する岡山城下町を具現化。敵であっても有能とみれば家臣にスカウトして重用し、政略結婚が当たり前の時代に後室のお福と恋愛結婚した直家。勝政の謀殺も君主浦上氏の意向に背けず、悩んだ末の決断として書いた。「本質的には気弱で用心深く、危機察知能力にたけた人物ではないか」

 そんな人格を形成するに至った背景を、数え6歳のとき砥石城が落ち、少年期を商人のまち・福岡(現瀬戸内市)の商家で過ごした点に求め「そもそも今でいう武士道の概念で生きていない」と推察。数ある戦国武将の中でも「特異な存在」と位置付け、少年期にかなりのページを割いた。

 「直家が置かれた状況は、現代の日本に重なるものがある」とも指摘する。米国と中国のはざまで、両大国に配慮したかじ取りを求められる日本。勢力図がめまぐるしく入れ替わった戦国期と、科学技術の進歩などで社会環境が大きく変化する現代。「世の流れが速いときは、生き残ることが全て。徒手空拳からのし上がり、大勝できずとも負けない戦いを続けた直家を、もう少し認めてあげてもいいのではないか」

(まいどなニュース/山陽新聞)

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