トラ初の日本一に導いた吉田義男さん「前監督の功績も忘れてはならない」 アレ果たした「岡田阪神」に望むことは? 

 プロ野球の阪神が、38年ぶり2度目の日本一を達成した。1985年に監督として初の日本一を果たした吉田義男さん(90)=京都市中京区出身=に、教え子でもある岡田彰布監督の采配や今後の期待を聞いた。

 -38年ぶりの日本一は、かつて指導した岡田監督が遂げた。

  「苦楽をともにした同志の岡田監督が日本一を達成してくれて、本当にうれしい。最初の日本一の後、(90年代を中心に)暗黒時代が続き、97年から2年間は私も3度目の監督をやった。2003年や(前回、岡田監督が指揮を執った)05年はリーグ優勝してチャンスはあったけどね。長かった」

 -38年前は強力打線を前面に出した。今年は投手を中心とした守りの野球だった。同じ日本一でも対照的なチームカラーになった。

 「結果的に38年前は打力で日本一を勝ち取った。ただ、1984年の暮れに2度目の監督に就任した後、取り組んだのはセンターラインの強化で、今年のチームと共通する。当時、真弓がショートでセカンドは固定されてなかった。まず真弓を呼んでコンバートを話し合った。彼は『試合に出られるなら、どこでもやります』と言ってくれた。それで、すんなりライトに移した。伸び盛りだった平田(現ヘッドコーチ)をショートに、捕手に若手の木戸を抜てきした。彼はPL学園高や法政大でキャプテンを務め、どちらでも優勝している。野球の技術以外にそうした経験も評価しての起用だった。そして、二塁手として入団したものの、そのころはポジションが固定されてなかった岡田にセカンド再挑戦を促した。岡田も『やります』ってね。当時の岡田は、けががあってね。でも、トレーナーやコーチに意見を聞いても『できます』『もう大丈夫です』だった。だから岡田をセカンドに固定した。センターには北村と弘田がおり、このセンターラインで弱いと言われた投手陣をもり立てようと、キャンプ中はずっと守備を練習した。岡田と平田には個人ノックも随分とやって、若い二遊間の連係を高めた」

 -岡田監督が守りに重点を置いたのは、そうした経験があったからなのだろうか。

 「意識的にかどうかは分からないが、守りが大切との思いがあるのだろう。やっぱり内野手出身の監督ですからね。遊撃手の中野をセカンドに移し、木浪をショートに配置して強固なセンターラインを確立した。夏場以降はセ・リーグで独走したが、最後まで守り重視の信念を貫いた岡田監督の采配が要因だ」

 「攻守で四死球を重んじる采配も見逃せない。打者には選ぶように、投手には与えないように求めた(打者はリーグ最多551四死球、投手はリーグ最少の357与四死球)。本塁打は巨人が阪神の倍ほど打ったが、得点は阪神の方が多い(阪神は本塁打84本でリーグ最多555得点。巨人はリーグトップの164本で同3位の523得点)。四死球を得点に結び付け、(リーグ1位の防御率2・66の投手陣が)失点につながらないように努めた。四死球重視は(V9時代の)川上監督がたたき込んで巨人の伝統になっていたが、今では阪神が上回っている」

 「日本シリーズ第7戦は森下の安打の後、大山が死球をもらい、ノイジーの先制3ランが飛び出した。先発でシリーズ初登板した青柳は、無駄な四死球を出さずに五回途中まで無失点に抑え、日本一への流れをつくった。あそこで青柳を使うところが岡田監督のすごいところ。シーズンは本調子でなく、シリーズで登板がなかったのに、迷わず先発させたでしょう。7戦目までいったら青柳と決めていたんでしょうね」

 -日本一はまだ2度目。

 「岡田監督には常勝・阪神をつくってほしい。若手や中堅選手が多く、現有戦力を底上げすれば期待できる。投手陣では村上や大竹、桐敷、岩崎ら、これからの成長が楽しみな選手が多い。打者では、大山がもっとホームランを打てるようになってほしいね。佐藤輝も、もっとできるはず。今後の成長が楽しみだ。前回、指揮を執った時はFAなどで補強に力を入れたが、今回は現有戦力を育ててチーム力を高めた。岡田監督が年齢を重ね、指導者として円熟の境地%uFF09に達したということ。年の功ですな。それとね、若手選手の育成は、矢野燿大(あきひろ)前監督の功績ということも忘れてはならない。私はプロの世界で約70年、生きてきた人間として、阪神だけでなく野球界全体を静かに見守っていきたい」

 「岡田監督は優勝を『アレ』と言い、球団はスローガンを『A.R.E(エー・アール・イー)』とした。この『R』は尊敬を表す『Respect(リスペクト)』。阪神は(野球という競技やOBに対する敬意を意味する)そういった言葉は、これまではあまり使わなかった。そこらへんが巨人とは違うの。巨人と阪神はプロ野球草創期からの歴史があり、対戦は今でも『伝統の一戦』と言われる。でもね、昔から『巨人には伝統があるけど、阪神に伝統はない』と言われてきた。確かに、巨人は昔から球団や監督が敬意といった(紳士的な)言葉を使っていたね。でも阪神は使わない。だから阪神に伝統はないなんて言われるの。それが悔しかった。だから、今年のスローガンを聞いて、タイガースで育った者としてうれしかったんですよ」

 -京都でも岡田監督を後押ししている。

 「京都も阪神ファンが多く、『メンバーズ80・岡田会』が支えている。今年1月には、岡田監督が『今年はアレします』と宣言して、本当に果たした。12月に祝勝会があるけど、多くの人が祝福してくれるでしょう。それとね、以前は京都でも公式戦を年に1回やってたんですよ。それが、いろいろな要因があってなくなってしまった。京都の野球活性化のためにも復活させてほしい。そのためには行政の協力が必要になるでしょうね」

 よしだ・よしお 1933年7月26日、京都市中京区生まれ。旧制市立第二商業から戦後に山城高校へ進学。同高2年夏に甲子園出場。その後、立命館大学を中退し、1953年に大阪タイガース(現阪神)入団。遊撃手として17年間プレーし、引退後は阪神の監督を3度、通算8年間務めた。92年に野球殿堂入り。兵庫県宝塚市在住。

(まいどなニュース/京都新聞)

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