欧米で人気、和柄の木版クリスマスカード 戦後、進駐軍、商社マンのお土産に 富士山や舞妓の絵柄

 かつて日本で製作された木版画のクリスマスカードがビンテージ品として、欧米のネットショップや古書店で人気を呼んでいる。日本の風景や浮世絵などの絵柄が精巧な技術で色鮮やかに刷られたカードだ。なぜ海外で売られているのか。京都市東山区の伝統木版画の工房を訪ねると、ある歴史が見えてきた。

 六波羅蜜寺の近くにある佐藤木版画工房。二代目で摺師(すりし)の佐藤景三さん(83)は、かつて刷ったクリスマスカードの見本を大切に残している。雪景色の富士山や舞妓、花車、獅子舞に興じる子どもたちなど、ファイルに納められた図柄は450を超える。

 「もともとうちでは進駐軍のお土産用として刷っていました」と佐藤さん。第2次世界大戦後、占領期の京都市内には絵はがきを手がける版元がいくつかあった。佐藤さんの工房は、そのうちの一つである表現社から図柄指定で注文を受け、クリスマスカードを刷っていた。カードはPX(米軍専用店)などで販売され、進駐軍の関係者や朝鮮戦争で滞在した兵士らに人気を呼んだ。当時の京都新聞の記事によると、1951~52年のクリスマス時期は全国で30万枚のカードが売れたという。

 占領期が終わると、新たな需要が生まれる。「高度成長期とともに、日本の商社が急成長しました。商社マンが海外の取引先へのあいさつ状として、木版画のクリスマスカードを送ったんです」。佐藤さんは日吉ケ丘高日本画科を卒業すると、木版画の受発注の流れを学ぶため表現社で2年間働き、その後、父が創業した工房に入った。

 「当時、工房の仕事の主流はクリスマスカードでしたし、工房に入って最初に刷るのもクリスマスカードでした。京版画の技術がすべて入っているのです」。刷毛(はけ)やバレンの動かし方、色彩のグラデーションや水加減、線の生かし方…。小さなカードとはいえ精巧さが求められ、1枚の図柄で平均20回重ね刷りした。「毎年30柄ほどあり、1柄で5千~6千枚、人気の柄だと5万枚は刷りました。ノルマは1日に1色3千枚と数をこなすので、良い訓練になりました」

 当時はクリスマスカードを船便で送ることが多く、受け取り手に届く時期を逆算した結果、刷りの作業は7~8月がピークで、お盆返上で仕事をした。金閣寺や五重塔、日本画や浮世絵など日本らしい図柄が好まれ、「富士山は人気がありましたね。社長や専務といった立場の人が使うことが多く、毎年図柄を変えました。子どもの絵は女性の社員さんが使っていました」と佐藤さん。あいさつ状として実際に使われるだけでなく、63年に出版された「明治以降 京都貿易史」によると、京都の版元からニューヨークなどの日本商館を通じて、米国各地に輸出されてもいた。

 潮目が変わったのは、大阪万博が開かれた70年ごろ。印刷技術が進歩して、安価で大量生産できるようになり、版元各社は次第に木版画のクリスマスカード作製をしなくなった。佐藤さんの工房への注文も減り、現在、クリスマスカードは刷っていない。

 大量のクリスマスカードが海を渡り、欧米の古書店やネット書店で販売されているとみられる。京版画の高度な技術を駆使したカードは美しいが、現代の日本で新たに生産するには、手間を考慮すると高価となり、実現困難だそう。「今見てもきれいでしょう」と佐藤さん。木版画を学ぶ大学生が訪れるたび、工房スタッフがクリスマスカードを披露すると「すごい」と歓声が上がるという。

(まいどなニュース/京都新聞)

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