「何度も死を覚悟しました」巨大な2本の梁の下敷きに…激痛とともに押しつぶされそうな恐怖の3時間 SNSにつづった実録が話題に
「何度も死を覚悟しました」
石川県出身、俳優で脚本家の阿部能丸(のうまる)さん(63歳、本名・和田秀樹)が実家に帰省中、能登半島地震に遭い、家屋が倒壊し生き埋めになった時のことをX(旧Twitter)に投稿。救出されるまでの壮絶な状況や思いがつづられ、話題を集めました。
阿部さんは1月1日、石川県七尾市の介護施設にいるお母さんに会いに行った後、今は誰も住んでいないという実家に戻って休んでいた際、地震に襲われたといいます。
「実家は築70年の木造住宅。一度目のグラっと来た時は大したことはなく収まったのですが、二度目の時は長くて大きいなと驚いていたところ、飾ってあった父の遺影が落ちたと思うやいなや壁が崩れて。天井から梁やがれきが落ちてきました。その間、あっと言うまで身動きを取る間もなく、数秒の出来事でした。倒壊家屋の下敷きになったんです。
気が付くと巨大な2つの梁が私の体の上に乗り、1本は右脚を強く締め付け、激痛を感じて。もう1本は私の胸から顔にかけて覆うように乗り、それが時間が経つごとに沈んできて、私を押しつぶそうとしました。あらん限りの声で助けを呼びましたが、津波警報が出たため、近隣の方たち皆、避難し、人の気配は感じられなくなりました。もしこのままの状態で津波が来たら……。火災が出たら……。助けが来なかったら数時間で梁に押しつぶされる……。何度も死を覚悟しましたが、それでも私は力を振り絞って『助けて、助けて』と叫び続けていました」
■地震発生から2時間、警察官が駆け付け、消防隊員の必死の救助!
突然の家屋の倒壊でがれきに押しつぶされそうになった阿部さん。死を覚悟しながらも、地震発生から2時間ほど経った時、どこからか声が…警察官が駆け付けたのです。
「実家から車で1時間くらいの所に妹夫婦が住んでおり、妹が『(実家に)兄がいるはずです』と警察に通報してくれました。妹の所には実家の近隣の方が家がつぶれたと連絡してくれたようで…そこで警察の方が駆け付けてくれたんです。警察の方ががれきの中から助けを求める私に向かって『和田さーん、警察です! 今、消防隊に連絡したので、もうちょっと我慢してくださーい」との声が聞こえ、私は『ありがとうございます!』と返事をしました。その後、消防隊の方たちが来てくれたのは、それから30分後くらいだと思います」
消防隊員も駆け付け救助を開始。完全にぺしゃんこになっている家屋の屋根の一部を壊し、そこから阿部さんが下敷きになっている中へ入りました。
「『お父さん大丈夫ですか?』『お父さん頑張りましょう!』と声を掛けられ、私の手を強く握って私の意識を確認してくれました。私の上に乗った梁はあまりに重く、応援のメンバーを呼ばれたようですが、それでも梁は動かず。ノコギリで梁を切り、一本の梁を半分にすることで私の上半身は自由に。
その自由になった上半身を引っ張って、もう一本の梁の下から抜き出してくれました。脚の上に乗っていた梁の下から、引っ張り出してもらい、脚の激しい痛みから解放され、ただただホッとしましたね。救出された後、消防隊の方に『今、何時ですか?』と聞くと『(午後)7時半ですね』と答えてくれて。地震発生は午後4時過ぎですから、私は約3時間半にわたりがれきの下敷きになっていたことが分かりました」
■病院に運ばれ入院 脚の筋肉の細胞が一部損傷…8日間にわたる点滴治療を受けた
救出された阿部さんは、そのまま救急車で七尾市内の病院に運ばれ、入院となりました。
「病院には電気は来ているのですが、断水しており、暖房も止まっていました。消防隊の方が気付にとくれたペットボトルの水があり、それで軽く口をゆすぎましたが、一晩中、口の中が細かい砂でしゃりしゃりしてました。助けられて病院に運ばれた時には脚には軽い痛みしかなかったのですが、『脚の筋肉の細胞が一部だめになってるので、点滴を打って身体の中の毒素をおしっこと一緒に出しますと言われ1日の夜から点滴を打ち、退院の当日9日の午前中まで打ち続けていました。
このほか、手やおでこに軽い打撲、脚にいくつかの擦り傷、あとがれきの下でもがいていたせいか、背中や首筋に筋肉痛がずっとあり、今も首筋に軽い痛みがあります。あと、がれぎの下でずっと助けを求める声を上げていたので、入院5日目くらいまでしわがれ声になっていました」
治療のため8日間は24時間ずっと点滴を打ち続けて、9日の午後に退院。自宅のある東京へ戻ったとのこと。翌日の10日には七尾の病院で書いてもらった診断書を持って、かかりつけの病院に足を運びました。2時間ほど点滴を打ち、さらに精密検査を受け、医者から「通院は必要ない」と言われ、現在は自宅療養とリハビリを続けているそうです。
「いきなり生き埋めになった時は驚きましたが、住宅が集まっていたエリアなのですぐに助けが来てくれるだろうと思っていました。でも津波警報が出たため、人の気配が全く感じられなくなった時には、心底恐怖を感じました。気がつくと身体の上に乗った梁が自重で少しずつ下がってきており、その時の恐怖は言葉に表せません。私は死ぬ思いをしましたが、ほんの数時間のことで、現在も先が見えない苦しみと戦っている被災地の方には、ただただ今後の苦しみからの解放をお祈りしてしております。生まれ育った何よりも大事な思い出の詰まった故郷の街の復興を心から願います」
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■「生かされた。これから何かやらなければいけないことがあるはず」
震災時に眼鏡を失くしたという阿部さん。行きつけの眼鏡専門店「OWNDAYS(オンデーズ)」の池袋西口店に訪れたところ、能登半島地震により同社で購入の眼鏡を破損、滅失された被災者のため眼鏡の修理や交換の対応をしてくれることが分かりました。能登の病院の診断書や入院費の請求書などを提示し、眼鏡を新調したとのこと。
また東京に戻って来て、役者仲間やお世話になっている映画監督から「助かったのは生かされたのであって、あなたにはこれから何かやらなければいけないことがあるのだと思うよ」と励まされ、これからも仕事にまい進していくとのことです。
【阿部能丸さん】
俳優、脚本家。 代表作に『うらぼんえ』(ぴあフィルムフェスティバル2023審査員特別賞)『おんな殺し屋弔お蓮』(配信、DVD販売予定あり)『姑獲鳥の夏』『電エースカオス』『ゲスに至る病』 など。Xアカウントは@noumaruisgod。
(まいどなニュース特約・渡辺 晴子)