セルビア入りした俳優・尚玄を待ち構えていた4人 台本なし全編英語ゲリラ撮影 「僕と監督にはドリフターという共通項がある」
「普段とは違う筋力と脳みそをフル回転させました」。それもそのはず。俳優の尚玄(45)が全編英語セリフで主演した映画『すべて、至るところにある』(1月27日公開)には、脚本という概念が存在していなかったのだから。
■バルカン半島でまさかのゲリラロケ
撮影前に聞いていたのは「役柄は映画監督」「撮影地はバルカン半島」程度。セルビアに入国した尚玄を待っていたのは一台の車。監督のリム・カーワイ、共演者のアデラ・ソー、カメラマンが待ち構えていた。録音スタッフが運転手を兼ね、尚玄を加えた5人が本作のオールスタッフ。即興演技を中心に、各地を転々としながらのゲリラロケが敢行された。
この実験的スタイルで製作された『すべて、至るところにある』は、国籍や国境にとらわれない創作活動を続ける“シネマドリフター(映画流れ者)”こと、マレーシア出身のリム監督によるバルカン3部作の完結編。パンデミックと戦争が襲う現代を舞台に、忽然と姿を消した映画監督のジェイ(尚玄)を探すためにバルカン半島を訪れたエヴァ(アデラ・ソー)が、彼の痕跡を辿っていく。
■前作も台本なし
「リム監督を一言で言うなら、人たらしでしょうか。劇中でとある人物が『もう俺をお前の映画に巻き込まないでくれ!』と言いますが、あれはリム監督が彼から実際に言われた言葉です。でも『巻き込むな!』と言いながらも、本人がその状況を再現するために撮影に参加しているわけですから。なんだかんだ結局は『仕方のない奴だ…』とみんなが手伝ってしまう。だからこそ本作のような唯一無二の作品が撮れたんです」
そういう尚玄もリム監督に感化された一人である。
「リム監督とはこれで3度目。そういえば前作『あなたの微笑み』も台本はなかったです」と笑いつつ「台本なしの行き当たりばったりの撮影であっても高いクオリティに仕上げられるのがリム監督の凄いところ。その信頼あってこその3度目。これが初めましてだったら、きっと引き受けなかったはず」と独特のセンスにほれ込んでいるのだから。
■実はバックパッカーだった
リム監督の尚玄に寄せる信頼も厚いようだ。
「リム監督自身は否定していますが、僕が演じたジェイという映画監督はリム監督を反映したキャラクターのような気がします。とあるシーンの撮影中にリム監督から『ジェイに“シネマドリフター”と名乗らせたい』という指示があって『え?俺の役ってリム自身のことなんだ』と察したりして。その辺りから真似ではないけれど、リム監督の要素を役に注入していこうと思った」
そもそもこの2人にはドリフターという共通項がある。
「僕は旅が大好きで、20歳の頃から数えて訪れた国は60カ国くらい。結婚する前は劇中で演じたジェイのようにゲストハウスに泊まって、出会う人たちに色々と教わりながら次の目的地を決めるようなバックパッカーでした。見たことのない世界を見たいという好奇心が強くて、旅の予定も決めず帰りのチケットも取らない。自分のマインドをオープンにして次に向かう場所のサインを感じる。そんな心の状況がたまらなく好きでした」
■次回のオファーも受ける?
とはいえ即興を活かした台本なき撮影の日々は、自問自答の連続だったらしい。
「役作りという事前準備ができないわけですから。撮影地に行ってリム監督から指示を受けて演じるまでの極端に短い時間の中でジェイというキャラクターを浮かび上がらせて、全シーンにおいて一貫性も保たなければいけない。あくまでジェイという役を演じなければいけないわけで、尚玄という自分が出てはダメ。普段とは違う筋力と脳みそをフル回転させたのでグッタリと疲れました」
台本もなくて全編英語セリフのゲリラ撮影。一般的な映画作りとはかけ離れたスタイル。さすがの尚玄もリム監督とのタッグに終止符かと思いきや、そうはならなそう。
「リム監督がまた僕に声をかけてくれたら?二つ返事で引き受けてしまうと思います。いや、ちょっとは悩むかも…」とおどけつつも「リム監督は毎回、挑戦的な役をくれる。それが僕として凄く楽しい」
人たらしのリム監督に魅入られた尚玄。その引力に抗うことは…難しいようだ。
(まいどなニュース特約・石井 隼人)