「生き残った箸をお返しに」地震で被災した輪島塗箸の製造元が再建に向けてクラファンに挑戦「輪島はまだ途方にくれている人も」
国の重要無形文化財に指定されている伝統工芸「輪島塗」の里、石川県輪島市で塗り箸の卸製造・販売している「岩多箸店」(代表・岩多裕之)。1月1日に起きた能登半島地震で被災し、今も休業を余儀なくされています。同店は鉄骨造だったためか幸い建物の倒壊は免れたものの、建物と製造の機械を修理しなくては箸の製造の再開は困難とのこと。この地震で無事だった在庫の箸をリターン(支援してくれた人へのお返し)に、再建資金を募るためクラウドファンディング(CAMPFIRE)に挑戦しています。
「輪島の復興には輪島塗は必要不可欠。輪島塗に関わる一企業として、生き残った箸を頼りに再起をかけ、クラファンを始めました。開始から2日と半日で初めに設定した目標額5百万円を達成。プロジェクトを通じて皆さんから『輪島うるし箸が欲しい!』『震災に負けないでほしい!』と応援の声をいただき、良いスタートを切れて心強い気持ちです。とはいえ、再建費用は数千万単位…ネクストゴールを目指し、一日も早く箸の製造を再開できるよう頑張ります」と同店は話します。
今回の地震での輪島の被害状況や、再起に向けての意気込みなどをクラファンに挑んでいる3代目岩多貴之さん(30)夫妻に聞きました。
■年末年始休業中だった輪島塗箸の製造工場 地震発生の翌朝、店の様子は…
--創業は?
「昭和40年です。岩多家は岩多裕之社長(56)夫妻、私たち息子夫婦の4人に従業員は10名(職人9名と事務員1名)となっております。地震による休業前はお土産物店に並ぶ箸からノベルティ用のオリジナル箸の製作まで年間数十万膳製造していました」
--今回の1月1日夕方の地震発生時のことをお聞かせください。
「地震が発生した日は年末年始休業中で、その日のお昼は毎年恒例社長の兄弟家族で集まり、お節などを食べながらいつものお正月を過ごしていました。私たち息子夫婦は2歳の子どもの昼寝もあったため13時頃には別れ自宅に戻っていました。社長夫妻も15時頃には自宅に帰っており、それぞれの自宅で16時過ぎに地震に遭いました。地震はよくある地域でしたので震度4くらいなら『おっ。結構揺れたね』といいながらやり過ごすくらいでした。しかし、今回のものは明らかに違い、22年12月に建てたばかりの新築がギシギシ音をたてて激しく揺れました。突き上げられる、振り落とされるような揺れの中、必死に息子を抱きしめていました。後に輪島市も震度7だったことが分かりました」
--避難されたそうですね。
「はい。すぐに『しばらく避難生活になる』と分かりました。大津波警報が発表され、私はいろいろと荷物を持っていこうとあれこれしていましたが、『津波くるから早く!!』と夫に一喝され車に乗りました。高台の自衛隊分屯地への一番近くの坂は下から見て既に渋滞。翌日知ったのですがが、一番近い青葉ヶ丘団地の坂は途中で崩落し道が寸断されていたようです。次に近い墓地を通る坂から上がりましたが、落石や建物の倒壊、お墓もバラバラ、道路の地割れもありながらも何とか車1台は通れました。
途中で頭から血を流したおばあさんとご家族を乗せ、自衛隊まで上がりました。救護が必要なおばあさんを乗せていたので自衛隊分屯地内に車両ごと入れさせてもらえ、そのまま朝まで車中泊しました。夜、真っ暗な空が赤く染まり煙が立ち昇っていました。夜中、赤い空を見ながら眠れない夜を過ごしました」
--地震発生の翌朝、お店の様子は?
「私たち息子夫婦は翌朝行けておりません。社長たちは自宅横の岩多箸店の駐車場で車中泊していましたので、朝になり店の様子を見ると隣の建物が全壊し、岩多箸店に寄りかかっていたそうです。道路にはそのがれきが散乱。岩多箸店の搬入口の重い扉がとれており、工場は全てのものが散乱していて外から見ても中に入れる状態ではありませんでした。少し余震が落ち着いてから片付けに行くと在庫棚や箸を製造する機械も倒れていました。足の踏み場はもちろんなく、ガラスも割れていて。倒壊した建物が寄りかかっている部分は壁もサッシもゆがみ、今にも流れ込まれそうな状態で雨漏りもしており、前の道路も割れていました…」
■再建には資金が必要 クラファン開始から2日と半日で当初目標額5百万に達成!
--再建に向けて、クラファンを始めたのですね。
「もともとコロナ渦で売上がひどく落ち込んだ時に妻が始めたSNSですが、約4年で岩多箸店公式X(旧Twitter)はたくさんの方々とつながることができました。被災後発信できるようになってしばらくは石川県や輪島市の義援金への支援を繰り返しお願いしておりましたが、岩多箸店に直接支援したい応援したいという声も多くあり、社長夫妻にクラウドファンディングしませんか、と持ちかけました。もともと社長たちはクラファンに抵抗がありましたが、再建には資金が必要です。従業員さんの雇用もあります。
応援してくれる、後押ししてくれる方がたくさんいるので岩多箸店の力にきっとなりますから任せてくださいと、私たち息子夫婦で初めてのクラウドファンディングにチャレンジしました。建物や設備に大きな被害が出ております。箸の製造の機械は特注で30年以上活躍していたものもありました。輪島はまだまだ業者さんにみてもらえる段階にありません。1日でも早く製造の体制を整え、箸づくりを再開したい思いです」
--開始から2日と半日で初めに設定した目標額5百万円を達成しましたね。
「おかげさまでSNSを通じた企業公式アカウント仲間やフォロワーさんのご支援と拡散のご協力もあり、達成できるのか不安だった目標金額にもすぐに到達し、ありがたい気持ちでいっぱいです。今後も次のネクストゴールを目指して拡散のお願いを続けております。被災している業者さんと連絡がつき、見積もりや修理の依頼をしてもらうところからです。クラウドファンディングのリターンにつきましては地震から生き残った在庫がありますので物流が回復次第お届けします。在庫の出荷はできるので、無事だった金沢市内の取引先などにはできる限り直接納品に伺いたいと思っています。また集まった資金につきましては、建物の修繕費用、特注機械数台の修理や必要ならば買い替えの費用、そして従業員さんも雇用しておりますので、皆さんの生活を守るためにもそれを含めた固定費に使わせていただきます」
■後継者不足が深刻だった輪島塗業界に震災で打撃 箸店「輪島は報道以上の悲惨な被害状況」
--今回の地震により職人さんの住む場所、工房が軒並みつぶれ、小売店が並ぶ朝市も焼き尽くされてしまったそうですね…。地震後の輪島塗業界の現状をお聞かせください。
「近年後継者不足が深刻だった輪島塗業界。ほぼ全員が大きな被害を受けました。うちのように後継者がいるところはこのようにクラファンなどですぐに行動できますが、そうでない人がほとんどです。家や作業場、店を失い、まだまだ途方にくれている方もたくさんいます。そんな中でもまた再建すると歩み始めた方々もいて、輪島朝市や輪島塗の関係者みなさんそれぞれが少しずつでも立ち上がっていき、支え合い、みなさんが帰ってこられる輪島にともに復興していきたいと思います」
--輪島の復興に向けての思いは。
「この震災により輪島は報道以上の悲惨な被害状況です。そんな中でも昔観光に行った輪島にまた行きたい。輪島塗を助けたいと言ってくださる方が多くいて、実際に支援してもらっています。岩多箸店は幸運にも在庫の箸が生き延びていて、製造はできなくなりましたが、その箸をクラファンのリターンに出すことができます。こんな時に被災した方から品物を受け取るなんて…と言われましたが、ぜひとも岩多箸店自慢の輪島うるし箸を使ってほしいし、この先も使い続けてほしいと思います。
たくさんの工程、たくさんの職人さんの手により仕上げられた箸を好きになってくれるファンが増えたら、被災地への支援の輪がその先も大きくなると信じています。このクラファンから漆塗りってこんなに普段使いしやすんだ。かしこまる必要もないんだと、日常の身近なものになってもらえたらうれしいです。そしてこの先も輪島で輪島塗が何百年何千年も続いていくことを願っています」
(まいどなニュース特約・渡辺 晴子)