世界でいちばん長い木造の橋「蓬莱橋」 全長897.4メートルで「やくなし=厄無し」!?縁起の良い橋でも人気

静岡県島田市を流れる大井川に、まっすぐ一直線に伸びる木造の橋が架かっている。蓬莱橋(ほうらいばし)という名で、全長897.4m、通行幅が2.4mある。じつはこの橋、世界でいちばん長い木造歩道橋なのだ。しかも国内でも数少ない賃取橋(ちんとりばし)、すなわち有料の橋としても有名だ。

■本来は観光用ではなく地元住民の生活路

島田市をおおむね南北に流れる大井川。木造では世界でいちばん長い橋として1997年にギネス認定された「蓬莱橋」がある。

橋が架かっているあたりの地域は、川を挟んで北側が市街地、南側が田畑の広がる農地になっている。島田市農林整備課によると「蓬莱橋は農道橋であり、主に農業者の利用を目的としていますが、現在は観光客の利用も増えています」とのこと。年間で約10万人の観光客が訪れ、うち約1%が外国人だという。

約60年前の1962年に撮影された写真を見ると、橋からスロープで河川敷へ降りる構造が見える。島田市役所によると、詳細は不明ながら何らかの理由で損壊したため、応急的にスロープを設けたのではないかとのこと。

橋に使われている木材は主に米松(べいまつ)で、強度があって梁(はり)や桁(けた)に適している樹種だとか。加工しやすく、加工後の狂いも少ないのが特徴。しかし最近は、修繕の際に、県内産の杉や檜を使うこともあるそうだ。

「老朽化が進行し、修繕箇所が多くなったことから、維持管理コストが増加傾向にあるのが課題です」

ちなみに「蓬莱」表記について、島田市のホームページでは「名称に使用している漢字はコンピュータの文字にないため、近い文字で表記しています」とアナウンスされている。筆者も正しい字を探してみたが、やはり変換は叶わなかった。

■徳川16代目当主の言葉が名称の由来になった

蓬莱橋が誕生したのは明治に入ってからのことで、その経緯が詳しく伝わっている。

ときは1870年(明治3年)、徳川宗家の家督を継いで16代目当主となった徳川家達(いえさと)は、静岡藩70万石の藩主として、家臣らとともにこの地に移り住んでいた。

家達が藩内の志太(しだ)・榛原(はいばら)・小笠(おがさ)の三郡を見回ったとき、前年に牧之原(まきのはら)を開墾するため入植し、名を潜蔵(せんぞう)と改めていた旧幕臣・中条景昭の家に立ち寄った。

その潜蔵を従えて横井十番出(いまの島田球場あたり)で行われていた堤防の改修工事を視察して休憩した折に、潜蔵に向かって「農は里の宝、向こうの山は宝の山、みなで力をあわせ宝の山を切り開けよ」と激励した。そのとき家達が指差したのが、谷口原(やぐちばら)で、いま市街地の対岸にある田畑が広がっているあたり。当時は開墾が行われていた。だが、当時はまだ橋がなかった。

開墾が進み、開墾農家から県に対して「橋を架けてほしい」との要望が出された。許可が下りたのは1878年12月5日、翌年1月に木造の橋が完成した。

「橋に名前をつけよう」ということで、いろいろな意見が出た。町の識者に意見を求めたところ、かつて家達が谷口原を指差して「宝の山」といったことにちなんで「蓬莱橋」にしたらどうかというので、1979年1月13日付で正式に「蓬莱橋」が誕生したという。

その後幾度も修繕や改修を繰り返しながら、現在まで維持されてきた。1962年に撮影された写真を見ると、当時は現在のように観光資源としての整備はされておらず、生活道路の一部といった佇まいだったことが分かる。

先述したように、蓬莱橋の長さは897.4mある。これを「897.4=やくなし=厄無し」と数字の語呂合わせで、縁起のいい橋としても人気があるそうだ。

   ◇   ◇

▽渡橋料金

歩行者(大人)100円 (小人:小学生)10円

自転車    100円

1カ月定期券 800円

未就学児・障がい者手帳をお持ちの方は無料

(まいどなニュース特約・平藤 清刀)

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