自民青年局「過激ダンスショー」が浮き彫りにした“昭和のおっちゃん”政治の現実 豊田真由子「極まった国民の不信を払拭するには…」
自民党青年局の“過激ダンスショー懇親会”が問題になっています。
たしかに「うわぁ…」と思う映像で、国民・県民を代表して政策を担う議員が集まる、党の公式会合での出来事として、大きな違和感があります。「TPOが分かっていない」「時代の変化に付いてきていない」「すべてが男性目線」といったことに留まらず、そもそも、「一体なぜ、こういうことが起こるのか」、「その背景にあるものはなにか」の本質的問題として考えることが大切なのではないかと思います。なぜならば、「こういった価値観が支配的な中で、県民・国民にとって影響のある様々な政策が決められている」ことになるからです。
※なお、本件は、TPOを考えれば不適切だった、ということになるわけですが、ダンサーの方々は、呼ばれて、一所懸命お仕事をして、場を盛り上げていた、ということであって、そうした行動や職業等を否定的に捉えているわけでは全くありません。むしろ、こうして社会で大きな問題とされることで、結果的にダンサーの方々を傷付けるようなことがあってはいけないと思っています。
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今回の件から、見えてくる問題として、以下のようなことがあると思います。
・議員側に女性がひとりもいない。
・「若手」のはずなのに、発想が古すぎる。
・おかしいと思っても、意見を言える状況にない。
・国民目線に立っていない。
これらのことは「政治あるある」で、「日本の政治って、そういうもの」という認識(+ある種の諦め)ができてしまっているように思うのですが、改めて考えてみると、やっぱり、こういうこと自体が、「なにをするべきか、してはいけないか」について、国民の感覚との乖離が極めて大きくなっていく要因になっている、看過してはいけない問題であり、いわゆる「派閥の裏金問題」にも通ずるものでもあるようにも思います。
まず、党の青年局というのは、党本部、都道府県連、市町村支部にそれぞれあり、男女関係なく、一定の年齢(例:45歳)以下の若手議員や党員をメンバーとして活動をする組織で、台湾を含む外交や地方へ出向いての活動などをしています。私が所属していた頃は、毎月、東日本大震災の被災地にうかがっていました。
■議員に女性がひとりもいない
今回の研修会・懇親会は、和歌山県青年局が主管ということですが、集合写真を見ると、女性がひとりもいません。和歌山県の自民党県議は28人で、そのうち女性はひとりだけで、ご年齢から青年局のメンバーではなく、したがって、この懇親会の場に女性はひとりもいない、ということになったのだと思います。
和歌山県に限らず、全国の都道府県議会における自民党県議の中に女性が何人いるか、をざっと見てみると、それぞれ、おおよそ1~3名で、女性はゼロ、というところも少なくありません。
自民党の国会議員に占める女性の割合は、10.2%(衆議院7.7%、参議院20.6%)ですので、国政よりも県政の方が、一層ジェンダーバランスが取れていない場合も多い、ということになります。なお、各党の国会議員に占める女性の割合は、立民18.8%、維新13.2%、公明13.3%、共産28.6%、国民18.8%、れいわ16.7%、社民50%となっています(内閣府「国会議員、直近の国政/統一地方選挙の候補者・当選者に占める女性割合」より、筆者算出)。
人口の半分は女性ですので、やはり、県民・国民に、直接多大な影響を与える様々な政策を作る場に、女性がいない、あるいは、極端に少ない、というのは、異常なことではないでしょうか。
企画した県議によれば、今回の懇親会は「“多様性”がテーマだった」とのことですが、むしろ、自民党に“多様性”が無いことから、こういうことが起こってしまったということなのではないでしょうか。そしてそれは、政治の世界に女性が入っていきにくい、女性が活動しにくい、といった内部の話に留まらず、そのことによって、広く政策に歪みが生じるということが、本当の深刻な問題だと思います。
ちなみに、党本部青年局の藤原議員や中曽根議員は、主催者である県連から招かれた側ということで、内容も相談を知らされていなかったと思われ、一般論として、「もてなされる側」が「もてなされる方法」について、その場で異議を唱えられるか、というと、ちょっと難しかっただろうと思います。さはさりながら、「これはちょっとマズイ。やめましょう」との対応ができなかったのか、との声は当然に出てくると思います。
さらに、自分が政治の世界にいた頃を思い返すと、ただでさえ少ない女性議員たちの心の持ちようとして、「自分たちは、男社会に入れてもらっているわけだから、自分が女であるということで、迷惑がられてはいけない。既存の強固な価値観を持つ人たちに、『だから女は面倒でイヤなんだよ』と思われてはいけない」といった呪縛があったように思います。だから、もし、この懇親会の場に女性議員がひとりいて、問題意識を感じたとしても、男性集団特有のこうしたノリや盛り上がりを前に、「やめましょうよ」と声を上げ、割って入って行けたかどうかは、疑問だと思います。だからこそ、問題の本質的な変革には、その世界において、女性がマイノリティでなくなること、が絶対に必要なのだと思います。
■発想が古すぎる/異論を唱えられない
なぜ、こうした“昭和のおっちゃん”的な価値観が根強く残っているかというと、政治では、新陳代謝が働かない、連綿と続く古い価値観に若手も飲み込まれてしまう、厳格な年功序列で異論を唱えられない、といった構造的問題があると思います。
市町村議会では、一選挙区の定数が多い(一選挙区の平均の議員定数は、市議会23.2人、町村議会11.7人)ので、同じ政党に属する議員が何人もいて、新規参入も可能ですが、一方、都道府県議会は、一選挙区の定数が1~2名であることが多く、現職に対して、同じ党の新人が挑む構図というのは、基本的にほとんど見られません(公認は、基本的に現職議員に対して出されます)。
つまり、その政党からは、同じ人が都道府県議会議員の席に座り続けることが多く、新陳代謝が起こりにくい、ということになります(もちろん、国政でも同じことが起こります)。
今回の懇親会の発案や参加者は「若手」の方々だったはずですが、なぜこうなってしまったのでしょうか?政治の世界では長年務めている年配の方が多く、旧来の価値観が支配的で、かつ、極めて厳格な上下関係の中で、抗うことは難しく、場合によっては、そうした価値観に飲み込まれてしまう、ということにもなるのだと思います。そういう中で、異論を唱えたり、新たな時代に即した価値観や行動を果敢に打ち出したりするのは、容易なことではなくなってしまうわけです。
これは、自民党派閥の還付金問題で、「以前からある慣習だった」「派閥から言われたことに従っただけ」といったことにも、通ずるものがあるのではないかと思います。
もちろん、ベテラン議員の方々の経験や見識といったようなものは、政治の世界において極めて重要ですし、すべての年配の方の発想が柔軟でないということもありません。ポイントは、今の日本政治は、年齢やジェンダーのバランスに、あまりにも偏りがある、かつ、厳格な年功序列で、風通しが悪すぎる、ということだと思います。
■県政と国政の溝
国会議員と地方議員の力関係について、昔の自民党は、強大な権力を持ったベテランの国会議員が、地元の地方議員を束ねて動かし、権勢をふるう、といったイメージが強かったと思いますが、今は大きく変わっています。一部のベテランの国会議員を除けば、地元では、地方議員の方がずっと力を持っていて、特に新人や若手の国会議員や候補者は、地元ではヒエラルキーの一番下でいじめられる、というような場合も、実は少なくありません。誰に選挙の公認を出すかなどを巡って、都道府県連が、党本部と激しく対立するといったことも、各地で見られるところです。
こうしたことも、「党本部の青年局長なんだから、都道府県支部の青年局に、注意して言うことを聞かせるべきだった」という意見に、私が「実態はちょっと違うんだよな…」と思う理由でもあります。
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今回の懇親会問題には、政治の世界の旧態依然とした価値観、ジェンダーのアンバランス、年功序列、国政と県政の溝などの問題が、如実に表されていたと思います、だからこそ、一人ひとりが根本的に意識を変える努力が必須であるとともに、制度的強制(クオータ制や定年制など)を含めて、具体的に変革を形にしていくことを考えないことには、極まった国民の政治不信を払拭するような成果をもたらすことは到底できないだろうと思います。
【参考】
・内閣府「国会議員、直近の国政/統一地方選挙の候補者・当選者に占める女性割合」
・全国市議会議長会「市議会議員定数に関する調査結果(令和4年12月31日現在)」
・全国町村議会議長会「町村議会実態調査結果の概要(令和5年7月1日現在)」
◆豊田 真由子 1974年生まれ、千葉県船橋市出身。東京大学法学部を卒業後、厚生労働省に入省。ハーバード大学大学院へ国費留学、理学修士号(公衆衛生学)を取得。 医療、介護、福祉、保育、戦没者援護等、幅広い政策立案を担当し、金融庁にも出向。2009年、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部一等書記官として、新型インフルエンザパンデミックにWHOとともに対処した。衆議院議員2期、文部科学大臣政務官、オリンピック・パラリンピック大臣政務官などを務めた。