東京ドーム700個分の敷地に浮かぶ「ハート形の池」に歴史あり 洪水防止のためにつくられて、今は恋人たちの聖地に

関東平野の北、渡良瀬川と利根川が合流する地域に広がる面積3300ヘクタール(東京ドーム約700個分)の渡良瀬遊水地。上空から見る風景の中にひときわ目立つハート形をした池が渡良瀬貯水池(谷中湖)だ。その形から恋人の聖地とされ、多くの観光客が訪れる人気スポットにもなっている。一方で、そこは地域に住む人々が、洪水と闘い続けてきた歴史があった。

■よく見ると大きなハートと小さなハートが並んでいる

「渡良瀬遊水地」と「渡良瀬貯水池」。分かりづらいかもしれないが、後述する洪水対策が整備されている地域全体を「渡良瀬遊水地」といい、その中にハート形の「渡良瀬貯水池」という池がある。かつてこの地にあった谷中村に由来して通称を「谷中湖」といい、首都圏へ生活用水を供給する水がめとしての役割と、洪水調節という重要な機能をもつ。紛らわしいので、本稿では以後「渡良瀬貯水池」を「谷中湖」と呼ぶ。

航空写真をよく見ると、谷中湖のすぐ北側にもうひとつ、ハート形をした小さな池があるのが分かる。大小ふたつのハート形が並んでいる、きわめて珍しい池なのだ。

「渡良瀬遊水地」は、栃木、群馬、埼玉、茨城の4県をまたいで洪水対策が整備されている地域である。

利根川上流河川事務所によると、このあたりは明治時代に「谷中村」という農村があって、養蚕や漁業で豊かな暮らしが営まれていた。しかし当時は、村の北側には赤麻沼と石川沼という2つの沼があり、さらに思川、巴波(うずま)川の流末が錯綜する地形のため、たびたび洪水被害に遭っていた。村を囲む堤防をつくったり、各家は水塚(みづか)という土盛りをしたりするほか、揚げ舟という避難用の小舟まで用意して洪水に備えていたという。

1890年に起こった大洪水と、足尾銅山から流出する鉱毒被害も広がっていたため、栃木県は1905年に谷中村を買収し、300世帯を移住させた。谷中村は廃村となり、治水計画が幾度かにわたって行われてきたのである。

■いまでは年間100万人が訪れる恋人の聖地に

渡良瀬遊水地が洪水を防ぐ仕組みを一言でいい表すと、川から溢れた水をいったん貯めておいて、あとからゆっくり流すということ。

1911年から始まった利根川の改修計画の中で、先述した4県にまたがる地域に、遊水地全体を囲う「周囲提」が築かれ、この地域一帯が遊水地となった。これは洪水を一時的に留めて、下流の被害を軽減する効果があるという。

昭和に入り、1939年に策定された利根川増補計画の中で、遊水地の中に3つの調節池が設定され、河川と調節池を区切る「囲繞堤(いぎょうてい)」が設けられた。さらに囲繞堤の一部に、水をわざと溢れさせる一段低い「越流堤(えつりゅうてい)」を設けて、流量が自然に調節される仕組みもつくられた。河川の水位が上がったとき、中小規模の洪水は速やかに流下するが、大規模な洪水は越流堤を越えて調節池へ流れ込む。調節池でいったん貯留された水は、洪水がおさまってから排水門を開けて川へ流されるため、下流域へ一気に流れないようになっているそうだ。

調節池は一度につくられたのではなく、三度にわたって順次整備されていった。最後の第3調節池が供用を開始したとき、時代は平成に変わっていた(1997年)。

過去には何度も実際に機能しており、直近では2019年の台風19号「令和元年東日本台風」で東京ドーム約130杯分の水を貯留し、首都圏の洪水被害防止に貢献したという。

80年以上にわたって取り組まれてきた大プロジェクトの中で、洪水調節や都市用水の取水を目的に設置されたのが、ハート形の谷中湖だった。

谷中村があった頃の役場跡や神社跡などを残して整備した結果できあがった形が、偶然ハート形になったというわけだ。

その形の珍しさもあって、観光スポットとしても知られるようになった。多いときで年間約100万人の観光客が訪れるそうだ。

「ハート形の谷中湖にあやかって、道の駅『かぞわたらせ』や『栃木市渡良瀬遊水地ハートランド城』が恋人の聖地となっております」(利根川上流河川事務所)

渡良瀬遊水地では、ふだんはスポーツやレクリエーションも楽しめる。また多様な動植物が生息し、2012年7月にはラムサール条約に登録された。

(まいどなニュース特約・平藤 清刀)

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