大谷選手と水原氏報道「有名人相手であれば言いたい放題」に違和感 “根拠のない犯罪認定”と依存症への理解促進…豊田真由子が指摘
大谷翔平選手の通訳水原一平氏が、銀行詐欺罪で訴追され、大谷選手の潔白が証明されましたが、本件に関し、日米で「大谷選手に知られずに送金をできるわけがない、違法賭博にも関与していたのでは」といった 「事実や、法令・ルールに基づかずに、自己の経験や価値観のみに依拠して、大谷選手の名誉を傷つける見解」が多く報道されることに驚き、番組等でも、当初から、潔白と考える根拠を申し上げてきました。
多様な考え方や表現の自由はもちろん尊重されねばなりませんが、しかし、特に人の名誉にかかわることに関しては、きちんとした根拠や分析に基づくことが必要であり、「有名人だから、なにを言われても仕方ない、よもや、犯罪行為の濡れ衣を平気で着せてよい」ということには全くならないと、私は思います。
さらに、なぜ昔からスターが身近な人に裏切られるケースが多発するのか、依存症の深刻さなども含め、人間の心の危うさ、そして、ガバナンス体制の必要性や、人種差別、海外生活やデジタル社会の落とし穴など、今回の事件がもたらした様々な教訓についても、考えてみたいと思います。
ポイントは、以下のような点です。
・大谷選手の名誉を棄損する報道
・水原氏は「極悪人」なのだろうか?
・「依存症」は深刻な「病気」
・ガバナンスの重要性
■大谷選手の名誉を棄損する報道
さかんに言われていた「本人に知られずに多額の送金ができるわけがない」、「この額を引き出されて気付かないわけがない」というのは、『大谷選手が嘘をついている』ということを前提にしていますし、また、「大谷選手が違法賭博に関わっていた可能性」、「MLBを処分される」、「(結果的に)違法賭博に利益供与・マネーロンダリングに加担したことになる可能性」といったことは、同様に、大谷選手の説明や、法律・MLBルールの構成要件や目的を無視した言説でした。
私は、あれほど真摯に野球に取り組み、稀有な結果を出し続けている人が、そんなことをするわけがない、という感情論だけではなく、加害者たる水原氏がそう言っているだけ(しかもすぐに撤回している)で、大谷選手は否定している、後述するように、知られずに送金することは十分可能だったと考えられる、そして、そもそも、大谷選手の名誉を棄損するからには、メディアも個人も、きちんとした客観的根拠に基づくべきで、「有名人相手であれば、なんでも言いたい放題」の状況というのは、本当によくないと思っていました。
日本も米国も(先進国は通常)、厳格な「罪刑法定主義」を採っており、「なにをしたら、どういう罪に該当し、どういう処罰・処分を受けるか」について、明確な規定があります。そして、「過失」でも処罰される旨の規定が特にあるもの以外は、通常は、当該行為についての「故意」が必要です。
「知らない間に自分の口座にアクセスされて、預金の窃盗被害に遭った」場合に、それが結果として違法賭博の掛け金に使われていたからといって、「違法賭博事業に資金提供する意図」「違法事業を促進・幇助する意図」等は認定し得ないと思われ、米連邦法の条文(18 U.S.C. § 1955,1956,1957など)を見ても、到底、構成要件に該当するとはいえないと考えていました。
また、賭博に関するMLBのルール(Rule21 (d)Gambling)は以下のようになっています。「すべての選手、審判、球団及びリーグの職員について、
・自身の職務が関与しない野球の試合に賭けたら、1年間資格停止
・自身の職務が関与する野球の試合に賭けたら、永久追放
・違法賭博業者を通して賭けたら、コミッショナーが事実と状況を判断し然るべき処分
・違法賭博を運営もしくは違法業者のために働いたら、1年間資格停止
一体これらのどこをどう読めば、「大谷選手が永久追放される可能性」が出てくるのか、発言するからには、ちゃんと説明してほしいと思いましたし、あくまでも処分というのは、処分する理由・必要性があるからするわけで、MLBそして米国にとって、大谷選手が、どれほど有為な存在であるかも考えれば、到底考えられない、番組などでも、そう発言してきました(が、「全面的に擁護し過ぎ」と言われたりしました)。
もちろん、大谷選手の脇が甘かったという指摘はその通りだと思いますが、そのことは誰よりも、大谷選手自身が痛感しておられるだろうと思います。
■水原氏は「極悪人」なのだろうか?
大谷選手にとって、水原氏は通訳としてのみならず、生活全般のサポートをするマネージャーの役割も果たし、非常に頼りになる心強い存在であったことは、傍から見ていた我々にも伝わってきていました。信頼していた人物にこのような形で裏切られた大谷選手の気持ちを考えると、本当にやりきれない思いがします。
ただ、「大谷選手を支えるいい人だと思っていたのに全く違った。欺きながらあんな風に平気でずっとそばにいて、なんてあくどい奴だ」といった、水原氏の人格やこれまでの貢献を単純に全否定することには、私は少し違和感があります(事の経緯や、起訴状で示された水原氏と違法賭博の胴元とのやり取り等を見ると、不信感が極まることも理解できるのですが…)。
どれほど才能あふれる大谷選手でも、世界的な大舞台で新たにスタートを切り、常に活躍し続けることは、容易なことではなかったはずです。また、残念ながら、BLM(Black Lives Matter)やヘイトクライムといったことからも分かる通り、米国には、いまだ、根強い人種差別・偏見が存在します。黒人やヒスパニック、そして、日本人を含むアジア系も、“差別される側”であり、そのことは、米国留学時に私も幾度も痛感しました。
米国は才能あふれ努力をする人を広く受け入れ、心から称賛するお国柄でもあり、それ故に世界中から人を惹きつけてやまない人材の豊富さや層の厚さは特筆すべきでありますが、そうはいっても、MLBにおける人種差別も歴史的に問題とされてきており、「米国の国民的スポーツ」で活躍する「アジア人の大谷選手」にとって、言葉以外の様々なハンディも確実に存在してきたはずです。
そうした中で、水原氏は、長きに渡り、懸命に大谷選手を支えよう・守ろうとしてきたはずで、元からこんな不正を行おうと狙っていたわけではないでしょう。大谷選手の大活躍は、その才能と努力と人格の賜物であるわけですが、水原氏が、その一端を支えていたことは、水原氏への感謝が繰り返し述べられていることからも、確かなことであったでしょう。
水原氏は、大谷選手を支える存在としての強い自負も喜びもあったでしょうが、一方で、眩いばかりに光が当たるスーパースターのすぐそばにいて、「自分はそうではない」という切なさや虚しさのようなものも、もしかしたらあったかもしれません。
古今東西、信頼する側近に裏切られる権力者やスターの例は、枚挙に暇がありません。それくらい、人間の心理というのは、複雑で難しく、危ういものなのではないでしょうか。
手練手管の賭博の胴元(やその裏にいると言われるマフィア)から見れば、水原氏は、さぞかし「巨大なネギをしょったカモ」でもあったことでしょう。
心の弱さもあったでしょうが、類まれなスーパースターの“相棒”となったこと、ギャンブル依存症、莫大な資金を悪用できる環境、こうしたいくつかの条件が重なり、水原氏は大きく人生を狂わせました。
人間は弱い生き物です。だからこそ、こうしたことが起こらないよう、人間の欲望を暴走させない仕組み、実効的なガバナンス体制を築き、機能させることが絶対に必要なのだと思います。
(※本項は、水原氏の行動を擁護する趣旨ではありません。)
■「依存症」は深刻な「病気」
今回、水原氏の保釈条件のひとつに、「ギャンブル依存症の治療」がありました。
もちろん、ギャンブル依存症だからといって、犯した罪が許されるわけではありません。ただ、「依存症」は深刻な病気であり、罰を与えるだけでは問題は解決しない、基本的に治療をしないと治らない、結果として、再犯する可能性も高い。したがって、本人及び社会双方のために治療が必要、ということが広く認識されることが大切だと思います。
水原氏の賭けの頻度や金額は異常にしか見えませんが、ある意味、依存症患者の典型的な行動パターンともいえます。
人間の脳内に、ギャンブル等で味わうスリルや興奮といった行動により、快楽物質(ドーパミン)が放出されると、中枢神経に作用し、快楽・喜びにつながります。行動が習慣化されると、快楽物質の強制的な分泌が繰り返され、すると、次第に中枢神経の機能が低下してしまい、以前のような強い快感や喜びを得ようとして、ますますギャンブルの頻度や金額が増えていく、という悪循環に陥り、もはや自分の意志ではコントロールできなくなります。
そして、どんなに負けても、なぜか「次こそは勝てる」と思い込み、そして「これで最後にするから」が延々と続くことになります。正常な判断がつかなくなり、びっくりするような嘘を重ね、人間関係を壊し、会社をやめ、破産し、家族から縁を切られ、人生をぶち壊す--そういう人が、世の中に一体どれほどたくさんいることでしょうか。
かつては、アルコールや薬物、ギャンブル等に依存するのは、本人の意志の弱さや道徳観念の問題とされてきましたが、人間の脳の作用による病理であるということが分かってきました。各種の犯罪行為につながるリスクも高まることにかんがみれば、たとえ治癒への道のりは容易ではないとしても、医学的治療や福祉的支援等につなげていくこと、そしてそのことによって、少なくとも、患者がひとりきりで、あるいは家族だけに抱え込ませないようにすることが重要であると、社会が認識することが求められていると思います。
■ガバナンスの重要性
海外で生活した経験のある方はお分かりになると思いますが、言葉も習慣も全く違う場所で生活を立ち上げ、仕事をしていくことは、めちゃくちゃ大変です。
私は在ジュネーブ国際機関日本政府代表部に赴任した際、銀行口座の開設や部屋の賃貸借契約等には、現地採用の日本人職員の方が、付き添ってくれました。これは、言葉の問題というより、本人に影響の大きい重要な契約については、不利益を被らないよう細部まできちんと把握するために、万全を期しているということだと理解していました。
そうした場合に、さらに言葉が分からなかったとすれば、そのハードルがどれほどか高いものとなるかは、想像に難くありません。私も当初から言っていましたが、水原氏は大谷選手の銀行口座開設にも付き添い、さらに野球に集中したい大谷選手の生活全般のサポートをしていたのであれば、銀行のログイン情報も知っていたでありましょうし、銀行からの取引確認の通知先を、自分に変更していれば、大谷選手に一切気付かれずに、送金を繰り返すことも可能であったでしょう。
実際、水原氏は、大谷選手本人になりすまして、銀行と電話でやり取りをしていたそうです。いくら二重三重のセキュリティの仕組みがあっても、本人になりすまされてしまえば防げない、という、デジタル取引の落とし穴が改めて露呈したともいえると思います。「そんなことあり得ない」と主張していた米国の人たちは、英語を母語とするため、異国で「言葉が通じない」ことの大変さと、そこから派生する事象についての想像ができないのだと思います。
そして水原氏は、大谷選手と、代理人や会計士等との間に立って、双方に対し、自分に都合良く話を作り変えていたようです。大谷選手は、「代理人や会計士等がすべての口座をちゃんと監視していると思っていた」と捜査当局に話したそうですが、実際は「水原氏を介してのみコミュニケーションが行われる」という状況が存分に悪用されていました。
そして、結果的に大谷選手を全く守れていなかったバレロ氏等代理人たちの責任も大きいように思います。
また、不正送金された額は約24.5億円と、極めて多額であるわけですが、大谷選手のように、野球一筋で、お金にあまり頓着せず、こまめに口座をチェックしなければ、気付かないということも十分あり得るだろうと思います。
『大谷選手にとって、24.5億円はそれほど痛手ではないだろう』といった意見もありますが、「お金に頓着しない」=「お金を大事に思っていない」では決してないと思います。能登半島地震の被災地や子どもたちへのグラブの寄贈など、常に社会貢献活動に熱心に取り組む大谷選手であればこそ、そのお金をもっと多くの方に役立てたかったと思っておられるのではないでしょうか。
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今回の事件は、信頼している人だからといってすべてを任せてはいけない、不正を起こせないような実効的なガバナンス体制の必要性、なりすまし等のデジタル社会の深い落とし穴、人間の弱さ、依存症の怖さ・治療の重要性、人は自分の経験や価値観からのみ物事を判断する、等々--、社会にとっても我々にとっても、多くの教訓と注意喚起をもたらしています。
◆豊田 真由子 1974年生まれ、千葉県船橋市出身。東京大学法学部を卒業後、厚生労働省に入省。ハーバード大学大学院へ国費留学、理学修士号(公衆衛生学)を取得。 医療、介護、福祉、保育、戦没者援護等、幅広い政策立案を担当し、金融庁にも出向。2009年、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部一等書記官として、新型インフルエンザパンデミックにWHOとともに対処した。衆議院議員2期、文部科学大臣政務官、オリンピック・パラリンピック大臣政務官などを務めた。