故中村メイコさんと知られざる京都との縁 東京から疎開した一家 小説家の父「奈良・京都の文化を学べば、メイコにとっていいことだぞ」
2023年末に89歳で亡くなった俳優・タレントの中村メイコさん。訃報記事を掲載すると、60代男性の読者からメールが届いた。「京都との関わりが全く触れられていないですね…」。終戦直後、京都府南部の旧寺田村(現・城陽市)でメイコさんが一時期暮らしていたというのだ。明るい人柄で最晩年までテレビで活躍していたが、京都と縁があったとは。戦前からのスターの知られざる足跡を探して歩いた。
まず、府立図書館(京都市左京区)で自伝やインタビュー本を読んでみた。戦時中の生活を振り返るくだりでは必ず、家族で東京から奈良に疎開した経験に触れている。だが、京都にいたとの記述は見当たらない。
メールにヒントが添えられていた。メイコさんが京都での思い出を寄稿した文集が、城陽市立図書館にあるという。書棚で見つけたのは「永遠(とわ)の希(ねが)い-私の戦争体験記」。1988年に市が発行したものだった。
表紙をめくると、メイコさんの寄稿文が最初に載っているではないか。題は「私の戦後は、寺田から始まった」。直筆のサインまで印字されている。
「まだまだ東京へ帰るには時期が早い。ヤミ市がひしめき、いい環境の場所ではない。奈良・京都の文化をこの時期に学べば、メイコにとって、それはいいことだぞ」。小説家の父の一言で、奈良からほど近い寺田村の元村長宅に身を寄せたという。奈良で国民学校を卒業したとの記述があり、年齢から計算すると47年以降の一時期のようだ。
それにしても、どんな経緯で寄稿してくれたのだろう。巻末に記されていた編集委員の一人で、事務局を担当した西村邦彦さん(76)=精華町=が教えてくれた。
「城陽との縁を知る市民の声を聞き、相談したのだと思います」。当時を生きた人には有名な話だったというが、秘書広報課長だった自身は知らず、若手の職員も驚いていたという。「執筆を快諾いただき感激しました。お会いすると、明るく、優しい方でしたよ」
メイコさんは村での日々を「なつかしい、なつかしい」とつづっている。「初めての海水浴」と思い出に挙げたのが「木津川水泳場」。奈良電(現・近鉄京都線)の木津川鉄橋下にかつてあり、大勢でにぎわった場だ。
今から40年前の本紙記事にもメイコさんとのつながりを示す記述があった。当時の今道仙治市長(故人)が水泳場に通った少年時代を振り返る中、「中村メイコが、仮設の舞台でミュージカルのようなものをみせてくれた」と証言していた。
記事にはメイコさん本人の語りもある。「木津川で泳ぎを覚えたんです。いつもお手伝いさんの監視つきでしたけど…。大切な思い出です」。2歳で子役デビューし、すでに大スターだったとはいえ、子どもらしい姿が浮かんでくる。
■劇団に元村長の息子
ところでなぜ、メイコさん一家は寺田村を選んだのか。文集には「あるつてを求めて」とあるだけだった。
記者は寺田の集落に足を運んでみることとした。城陽市は戦後にベッドタウンとして開発が進んだが、近鉄寺田駅の周辺は今も古い家並みが残っている。
道行く年配の方に聞き込みをすると、ほとんどの人がメイコさんの逸話を「知ってる、知ってる」と声を弾ませた。「髪をくるくるしていて、きれいだった」と語る女性(90)にも出会った。
元村長の縁者である西山重喜さん(75)からも話を聞くことができた。「当時を知る人は少ないだろうね」と話し始めながら、メイコさんが頼りにした「つて」には心当たりがあるという。
村長の息子である故西山正輝さん。山本周五郎の原作を久里子亭が脚色した「江戸は青空」で、監督デビューした映画人だ。キネマ旬報社の辞典には、メイコさんの劇団「メイ・フラワー」に俳優兼司会者として加わり、各地を巡演していたともある。重喜さんは「子どもの頃、ベレー帽をかぶったおっちゃんがおったのをうっすら覚えてる。面白い人でしたよ」という。
■「一様にキラキラ」
メイコさんは寄稿文で戦後の寺田の地をこう振り返る。「のんびりと静かではあったが、何やら文化に対して非常に敏感で、新しく始められつつある平和な時代、自由な時代に対して、みんなが一様にキラキラと積極的であった」。蔵を改造したダンスホールで「ティーンエージャー」たちとマンボを踊り、「寺田イモ」の甘みも覚えていた。「私の戦後は、寺田なんだ。今もそう信じてる」
戦時中、メイコさんは小学生ながら軍隊の慰問に回り、特攻隊のもとを訪れることもあった。「分かっていました。この人たちはもうすぐ死んでいくんだって。一度飛び立ったら帰ってきてはいけないことも、母から聞いて知りました」(「昭和二十年夏、子供たちが見た日本」)
戦争の悲しみを見つめた少女だからこそ、終戦直後の貧しい時代にも、寺田の村にキラキラした輝きを見たのだろうか。生涯、明るく楽しい人だったという人柄が、京都での日々を振る返る文章からも十分にしのばれた。
(まいどなニュース/京都新聞)