前人未到の軽四駆市場を切り開いた「小さな名車」 スズキ・ジムニーの半世紀ストーリー
中古車市場では、全モデルとも高値傾向にあるスズキのコンパクト4WD・ジムニー。1970年に初代が登場し、これまでに世界販売台数は300万台。
初代が登場するまで「軽四駆」は日本はもちろん世界的にも前例がなかったわけですが、ジムニーのヒット以降、他社から様々な軽四駆車が登場していることはご存知の通り。これまでに3回のフルモデルチェンジを行ったジムニーの各モデルとそのストーリーを紹介します。
■【1970年】ニッチと思われた四駆市場に革命を起こした初代
初代ジムニーが登場した1970年当時、国内の自動車メーカー全体での四駆各車の販売台数は年間5000台程度。この時代は四駆は日本では「ニッチなモデル」という意識が強かったようです。
そんな中、軽四駆となればさらにニッチ感も増しますが、スズキの考えは真逆。「廉価で手軽に使用できる四輪駆動車の存在価値が高まっている」と初代ジムニーを世に放ちました。
当時のプレスリリースにはこんな言葉が残されています。
「従来からの四輪駆動車の主な用途であった産業用だけでなく、山岳、積雪地帯の商店、製造業、狩猟、つりなどから遊びの車としてのレジャーかーに至るまで個人需要も含めて幅広い用途を開拓できるものと期待される」
この言葉通り、発売後は土木・建設の測量や林業パトロールなどでプロの道具として、また、手軽にアウトドアを楽しめる軽四駆として、国内でコンパクト4WDの市場を築きました。また、現代の自動車の多くがシャシーとボディ一体型のモノコック構造を採用する一方、ジムニーは初代モデルからシャシーとボディ別体のラダーフレーム式。これは悪路を運転した際の衝撃、エンジンの振動などをドライバーに伝わりにくさせるためで、この構造は直近のモデルまで一貫しています。
■【1981年】実用からスタイリッシュへ。支持を強固にした2代目
余談ですが、昭和世代にお馴染みのテレビドラマ「太陽にほえろ!」の若手刑事マカロニ(萩原健一)も劇中でジムニーの初代モデルに乗っていました。登場してまもないジムニーのイメージがいかに新しく、実用性と斬新さを兼ね備えていたかを示しているように思えます。
以降、発売以来バンタイプ、幌タイプ、メタルドアタイプなどの様々なラインナップを追加した初代は、11年連続で四駆商用車部門販売台数1位に輝きました。
そして、1981年に初のフルモデルチェンジ。2代目が登場しました。
実用車イメージが強いジムニーをスタイリッシュにしたモデルで、2人乗りの初代から4人乗りに。また、初代が海外でも支持が厚かったことを受け、さらに世界戦略車としての意味も込めたモデルでした。
2代目も年を重ねるごとに様々なラインナップを追加。初代からさらに多くのユーザーを獲得しました。
■【1998年】丸みを帯びた3代目。幻の2WDタイプもあった
1998年には2度目のフルモデルチェンジ。3代目は改定された軽自動車規格に対応し、ボディは丸みを帯びたデザインに一新されました。
オンロード・オフロード双方の走破性や室内の快適性を大きく向上させました。派生ラインナップとして、2001年には2WDの後輪駆動車・ジムニーJ2が登場。ジムニーのコンセプトをオンロードのみに特化させたタイプで、コアなファンから注目を浴びましたが、2001年の1年間のみで販売が終了しました。
■【2018年】コンセプトを継承し「より乗りやすく」進化した4代目
2018年には3度目のフルモデルチェンジを実施し4代目が登場。直線的なスクエアボディへ変更されました。
初代から半世紀近く継承され続けた技術・コンセプトをそのままに最新技術が投影されたモデルで安全性・走破性・快適性全てを向上。初代から受け継がれるラダーフレームもそのままですが、剛性を高める技術を追加し、「より乗りやすい」ジムニーへ進化しました。
4代目は発売前から絶大な支持を受け、予約段階から生産台数が受注に追いつかなかったほどでした。コロナ禍の部品供給遅延の影響なども受け、現在も新車の納期は半年以上ともいいます。
前例がなかった軽四駆市場を切り開き、初代発売から半世紀以上がたってもジムニーはユーザーから絶大な支持を受け続けています。実用から街乗りまで、様々なシーンに対応できるジムニーは「小さな名車」であり続けることでしょう。
(まいどなニュース特約・松田 義人)