能登地震で1か月、迎えを待ち続けた猫さん→背中にガラスの破片が刺さっていたが…4か月後には、新しい家族のもとへ
能登半島地震から半年。現地では今も全国各地から集まったボランティアさんたちが、多くの動物たちの命を救ってくれています。しかし、その活動は救助・保護して終わり、ではありません。飼い主さんを捜して返す、飼い主さんが飼育困難な場合や野良猫だった場合は新しい家族になってくれる人を捜す、見つからなければ終生飼育する…保護した後のほうがずっと長いのです。
兵庫県尼崎市で暮らす猫の風さんが今の家族と出会ったのは3月下旬、兵庫県内で開催された譲渡会でのことでした。トライアルを経て5月に正式譲渡されたのですが、石川県珠洲市の半壊家屋の中で発見されたのは1月中旬だと言いますから、幸せをつかむまでに約4か月かかったことになります。風さんは発見から半月後に保護され、金沢市に避難していた飼い主さんが諸事情により飼育困難になったことから、所有権放棄の書類を交わした動物愛護団体『つかねこ』の活動拠点である兵庫にやって来たのです。
発見時、風さん(当時の名前はぷーさん)の背中には硝子の破片が刺さり、顔には無数の小さな傷があったそうです。地震発生から半月の間、どれほど過酷な状況で生き抜いてきたのか…。発見したつかねこ代表・安部壮剛氏は動物病院に搬送し、応急処置。すぐにでも保護したいところでしたが、震災当初は持参した簡易ケージの数に限りがあり、食欲のあるぷーさんに対して、もっと緊急度の高い猫たちがいたことから、ぷーさんは置いて行かざるを得ませんでした。
■猫「ボクを連れて帰って」→4度目の訪問で保護
その後、安部氏が珠洲市へ行くたびに、健気に“お出迎え”してくれたぷーさん。「ボクを連れて帰って」と言わんばかりにアピールしてきたと言います。ところが、そこにはまた優先順位の高い猫たちがいて、ぷーさんは現地に残ることに。安部氏は何度も何度も謝りました。そして「きっと迎えにくるから」と約束して兵庫へ。ぷーさんを保護できたのは、発見から4度目の訪問となった2月1日のことでした。
関西に来た当初は下痢が続きケアも大変だったそうですが、良質のフードをもらい、リラックスできる環境で暮らすうち元通り元気に! もともと人馴れしていたことから、3月下旬の譲渡会に参加することになりました。
そこで新しい家族と出会ったわけですが、ご家族は「ぷーさんに、自分たちが選ばれた」と言います。
「被災地で保護された猫を引き取りたいと思っていました。その中でも、選ばれにくそうな猫かなと。誰にでもアピールする猫でしたが(笑)、私たちが選ばれたと思っています」
■保護から譲渡につなげる活動はフルマラソンのようなもの
つかねこが保護した被災猫は、続々と新しい家族のもとへ巣立っています。とはいえ、もちろんまだ決まらない子もいるし、そもそも保護しているのは被災地からだけではありません。安部代表夫人は、その活動を「フルマラソン」だと話します。
「野良猫を増やさないTNR活動(T=Trap/捕獲し、N=Neuter/不妊去勢手術を施し、R=Return/元の場所に戻す)をしていますが、中には負傷していたり行き場のない猫たちもいて、どうしても保護が必要になります。保護が続くと正直、金銭的な問題やお世話する人のマンパワーの問題も出てきますが、だからと言って放置するわけにはいきません。『保護したら解決』と思われがちですが、本当はそれからが長い道のり。体調が悪ければ通院も必要ですし、人馴れさせたり、心のケアが必要な子もたくさんいます。この活動は果てしないフルマラソンのよう。保護して終わりではなく、新しいご家族と繋ぐことができて初めて感動のゴールとなるのです」
(まいどなニュース特約・岡部 充代)