血便と腹痛に苦しみ、トイレに1日20回…一般就労が困難でも見つけた希望 「潰瘍性大腸炎」の鉄也さんはウェブメディアの運営者に

大腸の粘膜に炎症が起こり、粘血便や下痢、腹痛などの症状が現れる「潰瘍性大腸炎」は原因が解明されていない、指定難病だ。ブロガーの鉄也さんは、学生時代に潰瘍性大腸炎を発症。一般就労が困難になり、紆余曲折の末、“メディア運営者”という働き方に辿り着いた。

■腹痛と血便が見られて「潰瘍性大腸炎」が判明

日頃から腹痛に悩まされていた鉄也さんはある日、トイレに行った時、血で染まった便器を見て驚愕。内科を受診すると痔の可能性があると言われ、薬を処方された。

だが、効果を感じられず、再び病院へ。すると、医師から大病院での大腸内視鏡検査を勧められる。

検査の結果、「潰瘍性大腸炎」が判明。血便が出たことへの不安感が大きかったため、病名を知った時はショックよりも安堵が勝った。

「でも完治させる方法がなく、一生付き合っていく必要があることは悲しかったです」

一時的に症状が悪化することはあったものの、学生時代は処方薬の服用で比較的安定した学校生活を送れていたという。

高校卒業後は、学校推薦でメーカー業界で働くことに。入社試験と面接が行われた日、鉄也さんは健康調査票のような書類への記入を求められたため、社員と思われる試験会場の監督者に「潰瘍性大腸炎のことを書いたほうがいいですか?」と質問。

すると、「今、元気なら書かなくていい」と言われ、自身も持病をオープンにすると落とされる可能性があると思ったため、クローズ入社を選んだ。

「ただ、潰瘍性大腸炎で通院する必要があることは入社後すぐ、上司に伝えました」

■入社2年目で病状が悪化して2度の入院治療

働き始めて2年目、病状は悪化。血便や腹痛が酷くなり、1日20回ほどトイレに駆け込むようになる。処方薬を服用するも、症状は改善せず。鉄也さんは約1カ月間、入院治療することとなった。

入院中は点滴で栄養補給をし、絶食。体重は10kgも減ったという。

退院後に行われた産業医との面談では、入社試験時に病名の記載を迷った健康調査票のような書類に持病を書いていなかったことを指摘され、「潰瘍性大腸炎と分かっていたら採用しなかった」と言われたそう。

「監督者とのやりとりは言った言わないの水掛け論になり、証明もできないので言いませんでした。産業医からは、もう少し休んだらどうかと言われましたが、意地で職場復帰しました」

産業医とは1カ月おきぐらいに面談し、体調確認。復帰後しばらくは残業と夜勤はなしという条件だった。病気でもやれると証明したい。そう思っていたが、復職して半年ほどが経過した頃、病状は再び悪化。再度1カ月ほど入院をした。

「退院後も血便が出るなど症状が安定せず、休職する形になりました」

体力仕事を続けていくことに限界を感じた鉄也さんは休職中に何度か設けられた産業医との面談で、体力仕事ではない部署に異動したいとの希望を出したが、人事部には認められず。

そこで、休職期間が終了するギリギリのタイミングに医師から就労可能の診断書をもらい、産業医との最終面談に望む。だが、予想していた通り、復職は認められず。休職期間満了により、鉄也さんは退職となった。

「潰瘍性大腸炎の症状には個人差があり、突然悪化したり、再燃したりすることもあります。なりやすい性格がある、ストレスを溜め込まないように、と言われることもありますが、症状を自力でコントロールすることは難しいと感じています。原因の究明がなされ、よりよい新薬が開発されてほしいです」

■初の海外旅行で「世界の広さ」を知った

退職後はしばらく自宅療養した後、ハローワークで職探し。障害者雇用枠での就職も考えたが、窓口の難病サポーターから、潰瘍性大腸炎の患者は障害者雇用枠に応募できず、一般雇用となることを聞かされた。

ならば、体力勝負ではないデスクワークに就こう。そう考えたが、当時の鉄也さんはパソコンのキーボード入力すらできない状態。悩んだ末、病院に通いながらアルバイトをしたり、職業訓練学校に通ったりしていた。

そんな時、人生を変える出来事が。友人に誘われ、病気の悪化を気にしながらも踏み切った台湾旅行で“世界の広さ”を知ったのだ。

「初めての海外旅行でした。言葉はじないのに現地で出会った人と心が通い、日本とは違ったにおい、言語、空気を感じて異文化を体験する中で、台湾の文化や価値観にもっと触れたいと思いました」

その後、鉄也さんは文章を書く仕事への憧れから、とある企業が出していたライターのアルバイト募集に応募。未経験でも採用してもらえ、SEOライターとなった。

だが、「台湾をもっと知りたい」という気持ちが抑えきれず、ワーキングホリデー制度を使って台湾へ行くことを決断。

「仕事は辞めたくなかったけれど、チャンスは今しかないと思って。上司に業務委託のような働き方を相談しましたが、当時は在宅ワークができる制度が整備されておらず契約が結べなかったので、クラウドソーシングサイトでライター業を始めました」

だが、クラウドソーシングサイトの案件は低単価。加えて、実力派ライターには叶わないとも感じ、働き方を変更。台湾へ行くタイミングで「台湾観光ドットコム」というブログを開設し、メディア運営をするようになった。

■地道にブログ更新してきた努力が実って

当時は台湾への日本人旅行者が過去最多を記録するなど、台湾メディアは盛り上がっており、鉄也さんのブログは開設後1年間、収益がほぼゼロ。だが、コロナ禍になり、多くのメディアやブロガーがサイトの運営を停止したことで、コツコツ更新してきた鉄也さんのブログが評価されるようになる。

「初めは1年間運営して収益が出なければやめようと思っていましたが、台湾は人生の転機をくれたので諦められなかったんです」

「台灣最美的風景是人(台湾で最も美しい景色は人)」という言葉がある台湾は持病との向き合い方に苦しむ鉄也さんに職を与え、人の温かさを思い出させてくれたのだ。

現在、鉄也さんのブログはウェブメディア化。最近では、インフルエンサーとコラボした台湾ガイドブック『ズズの台湾2024:初めての台湾ひとり旅』をkindleで発売した。

今後は運営に力を注ぎ続けながら、病気を持つ人でも参加しやすい台湾ツアーも決行したいと話す鉄也さんには、もうひとつ夢がある。それは、病気と生きる人が中心となって運営するウェブメディアを立ち上げることだ。

「入退院を繰り返していた当時の私と同じように、病気ゆえに会社を辞めたり、在宅で働くことを希望されたりする方と一緒に何かを創っていきたいです」

そう思うようになったのは、潰瘍性大腸炎の専門病院で見かけたリクルートスーツ姿の女性が強く印象に残ったからでもある。

女性は終始、顔をゆがめてお腹を押さえ、苦しんでいたそう。その姿を見た時、鉄也さんの頭に浮かんだのは、かつて自身が激しい腹痛に耐えながら仕事をしていた時、事務員さんから言われた「そんな状態でも働かなあかんの?」という言葉だった。

「自分が言われた時は、腹痛に耐えながら働くの当たり前のことだと思っていましたが、彼女の姿を見た時、私の頭にも事務員さんと同じ言葉が浮かんだ。なんとか頑張ってほしいと願うことしかできず、歯がゆかったです」

昨今では潰瘍性大腸炎を公表する著名人も増えており、病気に対する理解が広まってきてはいるが、まだ十分ではない。潰瘍性大腸炎は症状や重症度に個人差があるため、鉄也さんは同じ病気の人と自分を比べて卑下せず、時には思い切って休んだり、環境を変えたりして、違う世界を覗きながら付き合ってほしいと話す。

鉄也さんが辿り着いた持病との向き合い方や無理をしすぎない働き方は、誰かの希望になる。

(まいどなニュース特約・古川 諭香)

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