「素敵な器ができているかにゃ?」ろくろを回す音が聞こえるとそばに寄ってきて、出来栄えを「監督」する猫がいる窯 大好きなお父さんの肩の上に「また乗りたいにゃ」
佐賀県武雄市にある工房「玉峰窯(ぎょくほうがま)」。陶芸家の中尾哲彰(てつあき)さん(72)が独自に開発した釉薬「銀河釉(ぎんがゆう)」の焼き物は、まるで天空に広がる無数の星々のような輝きを放ち、一目見ただけで作品の宇宙へ引き込まれてしまいそうになる。数々の世界的な賞を受賞してきた哲彰さんだが、昨年、肺の病気で入院して以来、近くの病院で療養中。妻の知佳子さん(66)、長女・優理さんの夫でオランダ人の弟子・ステンさん(28)、長男の真徳(まさなり)さん(26)が力を合わせ、窯を盛り立てている。哲彰さんは昔から黒猫が好きで、窯では現在、ネルソン(オス、3歳)が看板猫を務める。哲彰さんの作陶にいつも寄り添い、肩の上に乗るのが大好きだったネルソン。お父さんがいなくて寂しい日々だが、今は弟子のステンさんの上達を温かく見守っている。銀河釉やネルソンのことなどについて、真徳さん、知佳子さん、ステンさんの3人に話を聞いた。
真徳さん 学者肌の父(哲彰さん)は大学の哲学科を中退し、窯業を営んでいた祖父の後を継いで22歳のころから作陶を始めたのですが、網膜剥離という病気になり、目が見えず病院のベッドの上で1年ほど過ごした時期があったんです。精神的にも辛い思いをしていたそのとき、天空に輝く銀河が心に浮かび、その星々に救われたそうです。それで何年も独自に釉薬の研究を重ね、生まれたのが銀河釉の焼き物です。
知佳子さん 夫が学生だったころから、目の病気で入院中だった時も含め、約20年間をずっと一緒に過ごしてきたのが「チャーチル」というシャムの黒猫でした。気が強い子でしたが、夫にとってはいつもそばにいて心許せる相棒のような存在だったんです。チャーチルが黒猫だったことから、亡くなった後も夫は特に黒猫を愛するようになり、窯には何代にもわたって相棒の黒猫がいます。
知佳子さん ネルソンは3年前、娘(優理さん)が里親募集している方から譲り受けてきたんです。3匹生まれた子猫のうちの1匹で、ここに来たときはまだ生後2週間くらいでした。夫は猫をなつかせるのが上手でね。土を自在に操る大きくて優しい手でなでなでしてもらったら、猫の方もメロメロになってしまうんでしょう。ネルソンも小さいころからそんな夫が好きで、大のお父さん子になりました。
知佳子さん 夫がろくろを回し始めると、その音を聞いて近づいていきます。そして、ちゃんとできているか器の出来栄えをチェックするかのようにそばでたたずみ、ずっと寄り添っているんです。特に寒いときなんか、ろくろを回している夫の肩の上に乗ってじっとしていることがよくありました。ネルソンにとってそこは「特等席」。その姿がとてもほほえましくて(笑)
真徳さん そうそう、お母さんがその動画を撮っていたので、僕がYouTubeに「猫と陶芸家の日常」と題して投稿したら、「ほのぼのする」「癒される」と多くのアクセスをいただいて、それをきっかけにたくさんの方々が窯やネルソンのことを知ってくれるようになったんです。ネルソンは野良猫とかに対しては臆病ですが、人間にはなされるがまま。人なつこく、お客さんがきても逃げたりせず、ウエルカムという感じです。
知佳子さん 病院はこのすぐ近くなので、よく見舞いに行くんですけど、病室でいつも「ネルソンは?」ってまず尋ねられます。それで私たちは「今日のネルソン」を動画に撮って、こうだったよとみせるのが日課です。「工房に戻りたい」といつも言っています。まだまだ創りたいものがあり、創作意欲は止められないようです。今の夫にとって、ネルソンは生きる支えになっていると感じます。
ステンさん 日本に来る前、オランダでは蘭農家で働いたり趣味で柔道をしたりしていて、陶芸は美術の知識もなく、まったくの素人でした。一昨年、(優理さんと)結婚するとき、ここに挨拶にきて、お父さんの作品を見たときは本当にその美しさにびっくりしました。それで自分もやってみたいとお願いし、弟子入りしたんです。そうしたら、すぐ入院されてしまって…。今は面会のとき、自分の焼いた器を持っていって指導してもらっているのですが、早く元気になって、もっと工房で技術を教えてほしいです。
真徳さん ステンは今年春、テレビ局の方から声をかけられ、日本を訪れた外国人を紹介する番組に出演。ステンがここに来て、本格的に作陶をするようになってまだ1年少しですが、ネルソンより有名になったかも(笑)
ステンさん いまは暑いので夜の涼しい時間にろくろを回すことが多いですが、ろくろの音を聞くとネルソンがやってきて、そばに座ります。まるで「今日の調子はどう?」って尋ねるみたいに(笑)私にとっては先輩なので、ネルソン監督って呼んでいます。
真徳さん 今春の有田陶器市前に、ステンがろくろを回していたら、ネルソンが父にやっていたように、ステンの肩の上に登ったんですよ。そのときたった一度だけでしたけどびっくりしました。父のことが恋しかったのか、あるいは、ステンのことを職人として認めた証なのか(笑)ネルソンはお父さん子なので、本当は父の肩の上でくつろぎたいんだけれど…という寂しい気持ちなのかもしれません。
ステンさん あのときは嬉しかったですね。ネルソン監督に認められたようで(笑)
真徳さん 父は「混沌とした今の世の中に一条の希望の光となるような焼き物をつくりたい」とよく言っています。たとえばですが、鬱やストレスなど自分ではどうにもできない精神状況に置かれていて、「綺麗だ」と感じることのできる心の余裕さえ持てなくなっていた方が、うちの銀河釉の器を見て「久しぶりに美しいという感情を味わえた」と安堵されることがあります。そんなときは父の作った器ってすごいなと感じます。
真徳さん 「宇宙から地球を見たら、国境なんて見えない。芸術は国境、宗教、思想など異なる文化の壁を超えて、人に勇気や希望を与えたり、傷ついた心を癒したりする力がある。私の創る銀河釉もその一つでありたい」との父の思いを、これからも僕たちがしっかりと受け継ぎ、家族で協力して守っていきたいと思っています。
ステンさん 師匠(お父さん)が工房にいない今は、自分でいろいろ仮設を立て、チャレンジできる期間だとポジティブに捉えています。ゴールは師匠を超えることですが、そのレベルはものすごく高いから、今は毎日やれることをやる。でも、いつかは師匠のレベルまで到達して、自分のオリジナリティを出していけたらと。ネルソン監督の指導のもと、窯を盛り立てていけるよう、一緒にがんばります(笑)
【施設名】「銀河釉 玉峰窯」
【住所】佐賀県武雄市山内町宮野23580-1(工房)
【ホームページ】https://www.gingayu.com
【Youtube】https://www.youtube.com/@gingayu_gyokuhogama
*8月16日から30日まで、TUTAYA BOOKSTORE岡山駅前店にて開催されている「イロドリの夏展」に出展。夏をテーマにした銀河釉や器や、ネルソンが描かれたTシャツなどネルソングッズも販売する。
(まいどなニュース特約・西松 宏)