人間愛と家族の絆を描く田中壱征監督、広島を舞台に新たな構想を語る 戦争で傷ついた祖父から受け継いだ想いとは
ヒューマンな作品で知られ、フランス・カンヌでも称賛された映画監督の田中壱征さん(50)が世界平和への願いを込め、広島を舞台に撮影する構想を明かした。今夏に広島市内で厚生労働省推薦映画「ぬくもりの内側」(2021年完成)をプレミアム上映。さらに8月6日、広島の平和記念式典に出席したことで、その思いをより強くした。今後も人間の尊厳や平和、家族の絆などを描いていく。
■作品の背景にあるのは自身の生き様
田中監督は2歳で両親を失い、祖父母に育てられた。その後、インターネットのない時代にバックパッカーも経験するという異色の経歴を持つ。
初めてメガホンを取ったのは2015年から製作された長編オムニバス映画「Tokyo Loss」で、21年には監督、原作脚本を手がけた「ぬくもりの内側」が完成。白石美帆、三田佳子、音無美紀子さんらが出演し、主題歌「家族写真」は縁あって森山良子さんが担当した。
さらに22年には沖縄県後援「風が通り抜ける道」を製作し、こちらは比嘉梨乃、山田邦子、SHINOBU(元DA PUMP)、具志堅用高、大林素子さんらが出演。23年春には沖縄国際映画祭、カンヌ国際映画祭と相次いでレッドカーペットを歩く栄誉を得た。
「風が通り抜ける道がカンヌ国際映画祭で正式出品作品まで届かなかったのは、すべてわたし自身の力不足です。しかし、地元の公式アテンドホテルで特別上映され、本場カンヌのレッドカーペットを単身でも歩くことができたことはとても勉強になりましたし、やっと自分自身のスタート地点に立てたように思えました」
■「ぬくもりの内側」は余命宣告された人間にフォーカス
18年に米国ハリウッドで開催されたオスカーアカデミー賞90th/ Viewing Partyにも公式参加するなど、長年にわたって海外ネットワークを持つ一方、国内でも着実に力をつけ、高い評価を得て来ている田中作品。この「ぬくもりの内側」は、千葉県南房総のとあるホスピスを舞台に展開される終末期医療と人間愛をテーマとしたもの。余命宣告をされた人間が「最期の人生をどう愛で生き抜いて行くか」に焦点をあてた作品だ。撮影地は千葉県をはじめ、沖縄県、鳥取県や長野県、大阪府枚方市、タイ、オーストリアに及ぶ。
完成したのは21年秋だったことからコロナ禍により、一般劇場公開の延期を余儀なくされた。しかし、内容が高く評価され、厚生労働省推薦の映画になり、22年春からは文化庁主催で全国の小中高等学校や文化施設で文化授業として「学習上映」を重ね、のべ1万人の生徒が鑑賞している。
■厚労省推薦映画として生徒1万人が鑑賞
「一般劇場公開のタイミングは大幅にずれてしまいましたが、大変ありがたいことに厚労省から推薦をいただき、文化庁主催で学校学習上映ができるようになったんです。それにより、全国の多くの生徒さんに『繋がって行く命』『心を託すこと』の大事さを伝えることができました。中には、自殺を取りやめてくれた生徒さんもいて、学校から送られてきたお手紙によって、あとでそれを知ったときには実際に涙を堪えるのができませんでした」
■平和活動の一環として広島市で上映
その後、東京、大阪のイオンシネマでの一般劇場公開を経て、今夏の8月4日には広島市のEDION紙屋町ホールにおいて「永遠の平和と愛に向けて」というタイトルで「ぬくもりの内側」のプレミアム上映会を開催。平和活動の一環として行われたもので広島市長の松井一實さんや映画に出演した女優の三田佳子さんからの祝電も届くなど、1部2部の構成で400人が来場し、満員御礼となった。
舞台挨拶に立った田中監督は「父母から続く私たちのご先祖様は20代に遡ると、約200万人以上、存在するそうです。天国に逝ってしまった御先祖様たちは天国から絶え間なくずっと愛を送られていると思うんです」と話しかけ、マイクを握り直して力強くこう続けた。
「だから私たちは地球に生まれた時点からすでに「ぬくもりの内側」に存在しているんです。これが映画の大事な主旨ですし、毎日心の中に入れてくれたら本望です」と訴え、喝采を浴びた。その後、上映会の売上の一部を広島市に「平和への推進」として寄付している。
■平和祈念式典にも参列し、世界平和を願う
広島との縁は深く、監督自身は20年に「瀬戸内の風」を製作。この作品では広島市原爆ドーム、宇品港、宮島、竹原市町並み保存地区、尾道市御袖天満宮などを舞台にし、広島市フイルムコミッションと広島市の協力を得て、原爆ドームを上空から映した空撮映像も試みている。さらに、2度と戦争を起こさないためにも現在の復興を成し遂げた平和な広島市の街並みを映像に残し、世界に対し「国際平和」を広く訴えており、8月6日には平和記念式典にも参列。黙祷をした。
「騎兵隊として出兵していた大正3年生まれの祖父は戦時中、足を撃たれ、終戦後、ギリギリでなんとか生き延びて帰国。毎年夏になると、祖父は戦争で失った戦友との思い出にひたり、何回も涙を流していました」と戦争の悲惨さを訴え「そんな祖父の姿を見て、育ったせいなのか、79年前の「1945年8月終戦」の夏には強い思いがあります。戦争で失った命や魂そして、終戦日を全世界の方々は決して忘れてはいけない。その意味で広島、長崎という存在は大きいと思います」と結んだ。
幼いころに両親も、住む家もなくし、祖父母に育てられた。そして、20代にはバックパッカーとして世界を旅して回った。そんな稀な人生経験を持つ田中監督は常に人間味に溢れ、決して格好をつけることがないフラットな性格の持ち主。25年以降もヒューマンな作品をつくり、「NO BORDER的な国際平和と社会」を目指していきたい、と話している。