大昔に廃れた京都の「西寺」でも…なぜか存在する「西寺前」のバス停 京都市バスのフシギなネーミング
京都市バスの停留所に、名前の由来となった施設やランドマークがもう実在しないのにそのまま名前を使い続けているところがいくつかある。
その一つが竹田駅東口(伏見区)と横大路車庫(伏見区)を結ぶ南8系統の「伏見インクライン前」。
インクラインは明治時代に琵琶湖の水を京都に引き込む疏水工事の一環でつくられた。
舟を台車に乗せて高低差を克服する傾斜鉄道で、京都では蹴上(左京区・東山区)が有名だが、近鉄伏見駅から東に進んだ先にある国道24号の高架橋あたりにも存在していた。
伏見インクラインは自動車に客や貨物を奪われ、1943(昭和18)年に運行を中止した。「伏見インクライン前」のバス停は、その10年後の53年3月の路線図で登場する。
インクラインで用いた設備は1959(昭和34)年に撤去された。バス停は伏見税務署の前にあり、「伏見税務署前」に名前を変えても良さそうなものだが、「伏見インクライン前」が使われ続けている。
もっと古いもので言えば、「西寺前」(南区)のバス停。西寺は、東寺とともに平安京造営時に建てられたが、火事に遭い、鎌倉時代には廃れたとされる。今は跡地に国史跡の石碑などが立っているのみだが、大昔にあった幻の寺をバス停名にしているところがなんとも京都らしい。
北大路バスターミナルなどと北区の原谷地域を結ぶM1系統の「原谷農協前」(北区)も今は当該の施設がない。農協といっても、戦後間もなく結成された「洛北開拓農協」のことで、2008年に解散した後、跡地は公園に姿を変えた。
なぜこうしたケースが起きるのか。
市交通局自動車部運輸課の依田智明担当課長は「想像ですが」と前置きしたうえで、「いずれもずいぶん昔からあったり、主に地元の人が使ったりするバス停なので、定着度合いを見て変えることをしなかったのでは」と指摘する。
また、一般的に「バス停の名前を変えるとなると、路線図や停留所の表記を変える必要が生じる」といい、コストや手間も判断材料になっているようだ。
ただし例外もある。千本通で市電の停留所時代から親しまれた「出世稲荷前」(上京区)は2013年に「千本旧二条」に名称を変更した。近くにあった出世稲荷神社が左京区に移転したためだった。
依田課長は「さすがにこれは間違いの元になりますので」と苦笑い。同じ場所にバス停を設置する京都バスと西日本JRバスも「千本旧二条」にそろえている。
(まいどなニュース/京都新聞・国貞 仁志)