新宿・歌舞伎町の老舗バンドカラオケが苦境 たけし軍団が常連でしょこたんも 元祖V系バンドのギタリスト立花たくやさん「理想の空間、続けたい」

日本の飲食業界に壊滅的な打撃を与えたコロナ禍。感染拡大から4年以上を経て、一応の沈静化をみた今もその影響は深刻だ。

アジア屈指の歓楽街として知られる新宿・歌舞伎町もその例に漏れない。中小規模の個人店を中心に、居酒屋、バー、スナックなど多くの店舗が経営の危機に陥っているというのだ。

ギタリストの立花たくやさん、サックスプレイヤーのMimiさん夫妻が営むスタジオ向日葵もその一つ。向日葵は1970年代末から1980年代にかけVISUAL SCANDALやdriving force、後にZIGGYに参加する戸城憲夫が在籍したrevue(レヴュー) 等のロックバンドで活躍したたくやさんならではの本格的な音響とお二人の生演奏で歌を歌える、いわゆる"バンドカラオケ"。

2004年のオープン以来、サラリーマンからロック、プロレス、漫画等のサブカルファンまで広い層に愛されてきた名店だが、いったいどんな状況なのだろうか。お話を聞いた。

ーーお店の状況は?

たくや:毎月、家賃が払えるかどうかの綱渡り。負債が積み重なっていつの間にやら4桁万円に…実にヤバい状況です(笑)。

ーー具体的にどんな変化があったんでしょうか?

たくや:コロナ禍の間に常連の方たちが定年退職や、生活パターンの変化で歌舞伎町に飲み来なくなってしまったんです。しかも家賃は値上がり。それでも今年は春から初夏にかけて回復しつつあったんですが、7月以降は酷暑の影響でまた壊滅的な状態になりました。2019年までは週末いつも満席でお客を断らないといけないくらいだったのが夢のようです。

Mimi:これまでもリーマンショックや東日本大震災後の不景気を経験しましたが、今のほうがはるかに厳しいですね。コロナ禍でお酒、カラオケ、歌舞伎町がスケープゴートにされた影響が今も続いていると感じます。

ーーお店を始めた経緯は?

たくや:1984年にバンド活動を止めてディスカウント系の会社を始めました。初めは良かったんですが、バブル崩壊の影響もあって1999年末には「もうダメだ」と。そんな頃にたまたま昔のバンド仲間に再会して、彼がやっていた歌舞伎町のスナックで働き始めたんです。そのうち昔からお世話になってる方に呼び出されて「お前は飲み屋しか出来ないだろうから店を始めろ!」と銀行の封筒を渡されました。それで今のお店の横の小さなテナントで向日葵を始めたんです。

ーードラマティックな展開ですね。

たくや:今思えば本当にそうですよね。幸いすぐにお店が繁盛したので借りたお金は1年間で色をつけて返済。最後にお金を持って行った時に「あんたよく頑張ったね。来月の周年は行くよ」と言ってくれたんだけど直後に病気で亡くなってしまいました。急死の連絡が来た時には身体が硬直して涙が滝のように流れたのを今でも覚えています。

ーーMimiさんとの出会いもこのお店だったとか。

たくや:近くに朝までやってるロックバーがあったんですが、そこのママが店を閉めたくなったら「向日葵はまだ開いているよ」とうちに酔客を送り込んでくるんですよ。Mimiもその一人でした(笑)。

Mimi:向日葵が開店した直後ですね。どうやらその前にも一度会ったことがあるみたいなんだけど、何日も眠らずに飲み歩いていてるような時期だったのでちゃんと覚えてないんですよ(笑)。

ーー結婚にいたった経緯は?

たくや:定休日にゴールデン街にあった寿司屋に行こうとしたら偶然道で彼女に会って。「向日葵行こうと思ってたのに」と言うので「じゃあ一緒に飲みに行こうよ」と新宿2丁目に飲みに行って、それからずっと一緒にいます。10日目くらいに「俺たち付き合う?」って聞いたらOKしてくれて、そのまま事実婚で20年を超えました(笑)。

Mimi:当時、私は錦糸町のお店でハコバン(店固定のバンド)をやっていたんですが、そこを辞めて向日葵に入るようになりました。

ーーいろんなお客さんが来られますが、ビートたけしさんとお二人のスリーショットはインパクトありますね。

たくや:たけし軍団のお宮の松と玉袋筋太郎が常連で、映画『アウトレイジ ビヨンド』(2012)の公開前日に宴会の流れで連れて来てくれたんですよ。欧陽菲菲さんのアルバム曲とか50年代の映画音楽とか歌の選曲がシブくて、お話聞いたら下積み時代にジャズ喫茶のボーイをしたり、浅草フランス座でストリップのBGMを選曲をしたりしていたということでした。僕のギターを気に入ってもらえたみたいで「マスター、俺のバンド入れよ。マネージャーから連絡させるから」って言ってくれたんだけど、今のところまだ連絡はないですね(笑)。

ーー中川翔子さんのお母さん、中川桂子さんからも周年のお祝いが届いてますね。

たくや:常連さんの紹介で知り合いました。僕は1979年から1981年頃、赤坂BYBLOSというディスコで働いていたんですが、それを話すと「その頃よく行った!」と盛り上がって意気投合したんです。当時、桂子さんは麻布十番でお店をやっていたので、お互いに行き来するようになりました。一度、しょこたんを連れてきてくれたこともあるんですよ。

ーーお二人にとって向日葵とは?

たくや:ずっと楽器や機材に触れていられる、音楽のことを考えていられる理想の空間です。僕は昔、楽器屋で布団敷いて寝るのが夢だったくらい機材好きなんですよ(笑)。できるならこのままいつまでもお店を続けていきたいですね。

Mimi:私にとってはお客さんたちに楽しさを提供できる喜びが大きいです。私は人よりも不器用な性格だと思うんですが、向日葵にいる時は世間の役に立てているという実感が持てるんです。頑張ってこの逆境を乗り越えたいと思います。

◇ ◇

たくやさんとMimiさんの夢が詰まったスタジオ向日葵。ホストクラブやコンセプトカフェばかりではない、古き良き歌舞伎町を感じることのできる居心地のいいお店だ。10月から早割や深夜帯割などのお得なキャンぺーンも始まっているので、ご興味ある方はぜひSNSをチェックして足を運んでいただきたい。

スタジオ向日葵(ひまわり)店舗概要

住所:東京都新宿区歌舞伎町1-4-12 ミヤタビル5F

TEL:03-3207-5292

営業時間:月、火、木~日、祝日、祝前日: 19時~翌5時L.O

(まいどなニュース特約・中将 タカノリ)

関連ニュース

ライフ最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    ランキング

    話題の写真ランキング

    リアルタイムランキング

    注目トピックス