車いすテニス上地結衣選手、パリ・パラ金メダルの裏にターニングポイント 「変わらないと勝てない」努力と試行錯誤の日々が映画に
パリ・パラリンピックの車いすテニス女子でシングルス、ダブルスの2冠を達成した上地結衣選手の挑戦の日々を追ったドキュメンタリー映画「The Break 世界一、負けず嫌いのテニスプレイヤー、上地結衣。」の劇場公開が始まった。あの悲願の金メダルの裏にどれほどの努力や試行錯誤があり、そしてどれだけ多くの人たちの支え、励ましがあったのかをじっくり伝える作品だ。上地選手は「どれも思い入れのある場面ばかり。私の負けず嫌いなところもたくさん切り取っていただいた」と喜んでいる。
先天性の潜在性二分脊椎症を抱える上地選手。11歳で車いすテニスを始めると瞬く間に頭角を現し、2012年、高校3年生でロンドン・パラリンピックに出場。2014年には初めて世界ランキング1位を記録するなど、日本を代表するトップアスリートの一人として第一線を走り続けている。
■東京からの3年、ターニングポイントに密着
「The Break」は、東京パラ(2021年)での上地選手のプレーに感銘を受け、新たにスポンサー企業となった映像制作会社ギークピクチュアズ(東京)の企画・製作。同社ディレクターの新山正彰さんが監督を務め、3年間にわたる長期密着取材を敢行した。
そして、東京パラ後のこの「3年間」が、まさに上地選手が大きな進化を遂げるターニングポイントだった。
「東京で自分にできる全てを出し切ったけど、それでも勝てないという現実を突きつけられました(シングルス銀、ダブルス銅)。次のパリに向け、何らかの変化が絶対に必要なのはわかっていた。じゃあ、何から始めればいいの?という試行錯誤の3年間でもありました」
それまで「感覚重視」だった自身のプレーを極力言語化してチームに伝えるようになり、練習時に気づいたことなどをメモする習慣も初めて身につけた。
特に大きいのは、エンジニアと協力しながら、慣れ親しんだ車いすの抜本的な改良に取り組んだことだ。
「自分でもどうなるかわからない中でのスタートでした。パリに向けて出発する直前ですら、本当にこれでいいのかという不安が拭い切れていない状態。それでも最後は、パリのさらに先、この車いすなら自分の目指すプレーができるかもしれないと思って決断しました。目の前の勝ちというより、未来を見据えての選択だったんです」
自身のキャリアを“Break”するトライアンドエラーを重ねた結果、上地選手はパリ・パラ直前のブリティッシュ・オープン(7月)で、シングルス優勝。日本ではあまり報道されなかったが、28連敗を喫していた宿敵ディーデ・デ・グロート選手(オランダ)を約3年半ぶりに下しての優勝であり、パリ・パラ前の上地選手にとっても非常に大きな意味を持つ結果…のはずなのだが、勝利した瞬間の上地選手、そこまで嬉しそうな顔をしていないような?
「すごく久しぶりにディーデ選手に勝てて、もちろん嬉しくないわけではない。でも体の状態や新しい車いすの馴染み具合は、実はそこまで良いものではありませんでした。それで勝ててしまったので、『自分はここでは喜べない』とチームに伝え、すぐに気持ちを引き締めました」
「だから、あの勝利で確信を持ってパリに行けたわけではないんです。不安定な要素もすごく多かったので、『パリでは1回戦負けか、決勝まで行くか、そのどちらかだろう』と思っていたくらい。蓋を開けてみないとわからないけど、東京での悔しさを思い出して、ブリティッシュに近いセッティングに賭けました。その思いを理解し、力を尽くしてくれたチーム全員の力で勝ち取った金メダルなんです」
■コートの外の“素顔”、たくさんの人たちの支え
映画は、コートの外にいる飾らない上地選手の姿も紹介。ファンや車いすエンジニア、母の芳美さん、そして練習相手を買って出てくれたレジェンド国枝慎吾さんら、多くの人との関わりも丁寧に描かれている。
「普段コートで戦う時は1人だけど、後ろにはいつもたくさんの人がいて、私を信じて支えてくださっています。障害があるので、私は周りに助けていただく機会がどうしても人より多い。両親には幼い頃から『感謝の気持ちを忘れず、何を返せるのか考えなさい』と教えられてきました。こうして映画にしていただいたことで、感謝の思いを表現できたような気がしています。応援してくださるみなさんに少しでも伝われば嬉しいです」
◇ ◇
「The Break 世界一、負けず嫌いのテニスプレイヤー、上地結衣。」は全国の映画館で上映中。
(まいどなニュース・黒川 裕生)