「寝たきりのピアニスト」が奏でる希望の音色 難病・脳脊髄液減少症の苦しみから生まれた曲“ひかり” 動画で届ける生きる力
女優の米倉涼子さんが公表したことで、病名の認知が広がった「脳脊髄液減少症」は脳脊髄液(髄液)が減ることで起立性頭痛(立位によって増強する頭痛)や吐き気、眩暈、全身のだるさなど様々な症状が現れる。
星野希望さん(@hoshinonozomimi)は数年前、交通事故に遭い、脳脊髄液減少症を発症。
当初は「なぜ、こんなことになってしまったのか」という絶望が消えず、生きている意味を見出せなかった。
■交通事故に遭って「脳脊髄液減少症」を発症
脳脊髄液減少症は交通事故やスポーツ外傷などによって髄液が漏れ出すことで発症するため、誰にでも起こり得る疾病である。
希望さんは交通事故の衝撃で脳や脊髄を包んでいる硬膜が破れて脳脊髄液が漏れ出し、脳脊髄液減少症となった。
「起き上がると髄液が漏れて症状が劇的に悪化するので、24時間寝たきりの生活となりました」
脳脊髄液減少症は髄液が減少するだけでなく、大脳や小脳が下がり、脳と頭蓋骨を繋いでいる神経や血管が引っ張られる。その結果、引き起こされるのが激しい頭痛や吐き気などといった症状だ。
希望さんの場合はめまいや、よじれるような全身の痛みなども24時間感じている。
当初は、全てに絶望。毎日、泣いていた。希望を持ち、採取した自身の血液で髄液が漏れている穴を塞ぐ「ブラッドパッチ」という手術を何度も受けたが、病状はよくならず。
頭痛や吐き気などから食事もあまり食べられないため、対症療法である点滴で命を紡ぐようになった。
「痛い思いや辛い思いを繰り返しても治らない生き地獄の中、“生きる覚悟”と“生きる意味”が必要になりました」
■自分を生かしてくれた「ひかり」という自作曲
絶望と不安しか感じられない日々から抜け出すきっかけをくれたのは、泣き明かした日に見た朝日だった。
「窓から見えたわずかな光が暗闇から明るい朝日に移り変わった時、なんて美しいのだろうと、再び涙しました。その時、不思議なメロディが降りてきたので歌詞とともに紙に書きとめ、『ひかり』という曲名をつけました」
同時に希望さんは、今まで自分の心が「死にたい気持ち」だけに支配されていたことに気づいたそう。
「来る日も来る日も病気のことや治る治療のことだけを考え、夢も希望も何もありませんでした」
そんな“自分の今”に気づいたことで、希望さんの考えは変わる。たとえ、死にたい気持ちの濃度が変わらなくとも、生きたいと思える理由を作れば、「死にたい気持ち」を薄めることはできると思うようになったのだ。
「だから、〇〇できるようになったら〇〇しようという考え方を取り払いました。病気が良くなったら、治ったら…ではなく、今できる範囲内で最大限の楽しいことをしようと」
真っ先に「したい」と思ったのは、ピアノを弾くことだった。自分の心を照らしてくれた「ひかり」を弾きたい。そう強く思い、寝たきりという鍵盤が見えない状態で音だけを頼りに演奏の練習をスタート。
試行錯誤を重ねた末、希望さんは「ひかり」を弾くことができるようになった。
「ひかり」が弾けるようになった後、希望さんは新たな活動を始める。自分に生きる希望を与え、死への道を踏み留まらせてくれた「ひかり」が誰かの心に灯ったら嬉しいと思い、SNSやYouTubeに演奏動画を投稿し始めたのだ。
■日常の配信を通して「脳脊髄液減少症」への理解を広める
「ひかり」の演奏動画を投稿し始めた希望さんはやがて、他の自作曲や人気J-POP、童謡などの演奏動画もSNSで公開するように。
今の自分にできることを見つける力をどんどん磨いていき、書道やバイオリンの演奏も楽しむようになった。
「メイクは自分で寝たまましており、着替えは母に手伝ってもらいながら行っています。作品を見てもらえたり、ピアノ演奏を聴いてもらえたり、温かいコメントをいただけることがとても嬉しくて励みになり、塞ぎ込んでいた気持ちが明るくなりました」
そう話す希望さんは今後、音楽アルバムの製作やエッセイの執筆など、次々と湧き出てくる“やりたいこと”と丁寧に向き合い、ひとつひとつの作品を創り上げていきたいと考えている。
「脳脊髄液減少症は事故などを機に誰にでも起こり得る病気ですが、まだ世間にはあまり認知されておらず、病気の診断・治療ができる病院も非常に限られています」
検査や治療法も研究途上の病気だからこそ、これからの医療の発展を強く願う希望さん。当事者が少しでも肩の力を抜いて生きられる未来が、1日でも早く訪れてほしい。
(まいとなニュース特約・古川 諭香)