芦屋から飛躍したアンリ・シャルパンティエ 苦境を救った創業者の「彼女」 2代目が入社時、会社は赤字寸前 フィナンシェで再起図る

兵庫県芦屋市に本店を構える洋菓子店「アンリ・シャルパンティエ」。看板商品のフィナンシェは年間3300万個を販売し、そのペースは1.1秒に1個という大ヒット作。さらに、フィナンシェは元はフランス生まれなのにも関わらず、日本の同店のものが世界一売れているとして8年連続でギネス世界記録に認定されるという快挙まで果たしました。

■フランス生まれのフィナンシェを独自にアップデート

実は、日本人がフィナンシェと聞いて思い浮かぶ、ふわふわでこんがり盛り上がった形はアンリ・シャルパンティエが生み出したもの。本場フランスのフィナンシェは贈答用というよりも近所のパン屋さんで気軽に買う庶民的なお菓子。形も平べったく食感も硬いのですが、ふわふわのスポンジが好きな日本人の味覚を考慮し、独自に進化させたのでした。

お話しをうかがったのは、西宮に本社を構える「シュゼット・ホールディングス」の現社長、蟻田剛毅さん。看板商品となったフィナンシェを作った創業者の父、そして入社した時に直面していた倒産危機から再生に導いた息子の親子物語に迫ります。

■「時代を先取りしすぎた」名店のスタート 窮地を救ったのは創業者の“恋人”!?

「アンリ・シャルパンティエ」の始まりは、蟻田尚邦さんが1969年に阪神芦屋駅前に開業した喫茶店でした。

創業のきっかけは、尚邦さんがフランス料理店で修行していた時に一目惚れした「クレープシュゼット」という高級スイーツでした。これでお客さんを喜ばせたいと、考案者である「アンリ・シャルパンティエ」をそのまま店名にするほどのめり込んだこのスイーツを看板メニューに据え、喫茶店をスタートさせますが…。

待っていたのは、いきなり客が入らないという苦難。当時の喫茶店のイメージは「営業マンが時間つぶしに訪ねる場所」。女性がゆっくりとおしゃべりしながら過ごす文化はまだ定着していませんでした。

加えて、食文化が今ほど豊かでなかった時代、「食べるを楽しむ」という店のコンセプトは集客につながりませんでした。アンリ・シャルパンティエは時代を先取りしすぎていたのです。

このままやったらあと何カ月もつか...そんな尚邦さんの窮地を救ったのは、後に妻となるマサミさんでした。

彼女は商品の味にアドバイスするだけでなく、知名度を上げるために無料でケーキを配ります。さらにはベッドタウンである土地の特性から、夜帰ってくる客に来店してもらえるよう、それまで7時か8時に閉めていた店を夜遅くまで延ばすといった、リサーチを活かした提案を行います。

この作戦は見事に成功。アンリ・シャルパンティエは次第に芦屋で浸透していき、人気店への階段を登り始めたのです。

■百貨店出店のチャンスを辞退!?その理由は…「品質の担保」

オープンから5年が経ったころ、思わぬ出来事が起こります。百貨店から突然、出店依頼を受けるのです。

誰もが憧れるはずの百貨店への出店。しかし尚邦さんはその話を断ります。

その理由は、ケーキの品質を保つためでした。

当時、クリームを作る時にはバターが使っている場合が多く、それは多少固くて形が保ちやすく、日持ちもしたのですが、アンリ・シャルパンティエで作っていたのは生クリームを使ったフレッシュケーキ。その繊細さから、出荷時に崩れてしまう恐れがありました。

交渉は決裂かと思われた矢先、百貨店担当者から「店の横にキッチンを作る」とまさかの提案がありました。

「どうしてもアンリ・シャルパンティエに出店してほしい」。その熱意が尚邦さんに伝わり、出店が実現することになります。

生ケーキが百貨店に並ぶなどほとんどない時代、尚邦さんのケーキは連日行列ができるほど大好評!そして、この出店こそが、看板商品誕生のきっかけになるのです。

■庶民のお菓子から高級贈答品へ!看板商品・フィナンシェ誕生秘話

生ケーキだけでなく、長持ちする贈答用商品を考える中、尚邦はフランスのお菓子「フィナンシェ」に着目します。しかし、本国ではあくまでパン屋で売られている庶民的なおやつという扱いでした。

贈答用には向かないかと思ったところ、ここでターニングポイントが! 庶民的なおやつ菓子をケーキ職人が一流の材料を使って本気で作れば、贈答用としては最高のものになると考えたのです。

こうして生まれたのが、アンリ・シャルパンティエ独自のフィナンシェ。訪れたフランスやヨーロッパの人に、美味しいと言わせるも、フィナンシェにこんなにいい材料を使うのかと驚かれていたのですが、今では逆にフランスの有名店などで同様のフィナンシェが出されたりと、日本のレシピがヨーロッパに輸出され、トレンドとなるほどの成長を遂げています。

■明らかになる会社の危機…!思わず声を上げた後継者が挑んだV字回復大作戦

10年で11店舗まで拡大し、神戸を代表するお店になっていく様子を幼いころから見てきたのが…尚邦さんの息子で現社長・剛毅さんです。

実は、先代が築いた業績を落とす不安から家業を継ぐつもりはなく…はじめは広告代理店で働く道を選びました。

しかし、3年ほど働いた時に転機が。コンビニへスイーツを売り出したいという広告主との商談で、あらゆる質問に父から教わったスイーツの知識で答えることができたのだという。 

この経験から「やっぱりお菓子が好きだ」と再認識し、33歳でアンリ・シャルパンティエに入社することになりました。

とはいえ社長を目指すつもりはなく、前職の経験を生かし商品プロモーションを担当することに。しかし、会社の売り上げが減少し赤字寸前の経営状況という事実を知ります。新商品や新ブランドの急展開で、採算が取れなくなっていたのです。

追い打ちをかけたのは、社内の経営改革会議。剛毅さんは発言しないつもりでしたが…協力会社に商品を購入させる、新商品を展開したいなど、全員が好き勝手に発言を繰り広げていました。この危機的状況を肌で感じ取った剛毅さんは声を大にして怒りを露にするのです。

支えてくれている従業員、顧客に申し訳が立たないと考え、ついに改革を決意します。

とはいっても、ケーキ作りの経験もなく、会社としてもまだ新人。この苦境を打開したのは、父の「フィナンシェで勝負したい」という言葉でした。こうして、原点であるフィナンシェで再起を図るのです。

剛毅さんは食材の徹底的な見直しを行います。特に力を入れたのが、粉末として大量に使われている「アーモンド」。日本人はアーモンド菓子が好きであるということを踏まえ、価格は高いけれど最も香りが強い品種に変更した結果、生み出された新生フィナンシェは、世界一売れたフィナンシェとしてギネス記録に認定されるほどの大ヒットしたのです。

大ヒットの要因はこれだけではありません。フィナンシェの香りを試す「試香販売」を行ったのです。こうしたインパクトのある販促活動によって、試した客の5~6割が購入したと剛毅さんは語ります。

■効率化とは真反対!こだわりの「ひとり屋台」生産とは

そんなアンリ・シャルパンティエの生産現場に潜入!現在100店舗もあるため、毎日大量にケーキを作っていますが、ここでは効率化とは真逆の「ひとり屋台生産」が採用されています。通常、大量生産といえばべルドコンベアでケーキが流れ、分業で作業をしている様子をイメージしますが、この方法では、ひとりの職人がケーキ作りの最初から最後までを請け負うため、細部まで気を配ることができるのです。ちなみに、客の要望に合わせてケーキをカスタマイズすることも。

品質にこだわった製造法、そして腕のあるパティシエが数多く在籍しているからこそ実現できるサービスです。その実力は折り紙付きで、 2023年フランスで開催されたパティシエの世界大会において日本チームが優勝。 そのメンバーもアンリ・シャルパンティエに在籍しているパティシエでした。

次世代の育成にも力を入れており、パティシエを夢見る若者たちへの奨学金制度を導入し、 日本全体のパティシエ技術の向上にも貢献するなど、フィナンシェだけに頼ることなく、より美味しく、より楽しめるスイーツを追い続けています。

■番組情報

〇番組名

日経スペシャル もしものマネー道もしマネ

〇内容

『もしもの時』に備えるマネー道!マネー活用バラエティ!

〇放送日時

テレビ大阪 第1~3日曜日 午後2時放送!放送終了後はYouTubeチャンネル、TVerで無料見逃し配信中。

(まいどなニュース/クラブTVO編集部)

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