「ケンミンの焼ビーフン」誕生秘話 台湾出身の高村健民と妻ヨネ 二人三脚で世界初の即席焼ビーフン開発
お米の麺といえば、「ケンミンの焼ビーフン」。兵庫県神戸市に本社を置く、ケンミン食品株式会社の人気商品です。肉や野菜と一緒に、フライパンで蒸し焼きにして3分で完成!その手軽さだけでなく、グルテンフリーの時代の波に乗り、売り上げ急上昇中の人気商品です。
さらに、「世界一長く販売している焼ビーフンブランド」としてギネス世界記録にも認定されました!
今ではビーフンだけでおよそ150種類もの商品があり、 さらにライスパスタやライスペーパーなども販売し、年商は93億円!順風満帆のように見えますが…その裏側には苦労を乗り越え、米にこだわり続けてきた熱い思いと努力があったのです。
3代目社長・高村祐輝さんに、そんな即席焼ビーフンの誕生秘話についてうかがいました。
■引き揚げてきた人々からの要望
戦後間もない1947年。台湾出身の高村健民さんは、神戸で真珠の卸業を営んでいました。
そんな中、台湾や東南アジアから引き揚げてきた人たちから、「現地で食べたビーフンをもう一度食べたいので、作って欲しい」との要望を受けます。
ビーフンは紀元前に中国南部で生まれたと言われ、台湾や東南アジアで愛されていた食材。しかし、当時の日本ではまだ一般に知られる存在ではありませんでした。
ビーフンの国内進出に商機を見出した健民さんは余っていたタイ米30kgを使い、自宅で生ビーフン作りを始めます。
日本では知名度の低いビーフンを広めるべく、妻と二人三脚で取り組む開発。ちなみに、妻の名は「ヨネ(元の名は米子)」。偶然にもビーフンとゆかりの深い名前でした。
「米は五穀の王様」を口癖に地元の料理店にビーフンを販売。こうして神戸の町に少しずつ認知を広めていきました。
■奮闘の中、業界を揺るがすニュース
一方、「作るのが面倒くさい」という声が…。調理中に切れやすくくっつきやすいため、プロでも扱いが難しいとされた素材だったのです。
世に広めるには、簡単に調理できるようにしなければ!そう考えた矢先…製麺業界を揺るがす大事件が発生。
1958年、日清食品が世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発売したのです。お湯をかけて2分で食べられる即席麺は実に画期的なものでした。
実は数年前からビーフンの乾麵化に取り組んでいた健民さん。先を越される形となってしまいました。
■ビーフンの乾麵化に妻の行動がヒントに
あらゆる方法でビーフンの乾麵化に挑む健民さん。天日干しは天候に左右されたり、ゆっくり乾燥させても湯戻しに時間を要してしまいます。
日清のチキンラーメンを生み出した、油を使って一瞬で麺の水分を蒸発させる「瞬間油熱乾燥法」も試してみたものの…ビーフンが膨らみ、湯戻しできない状態になってしまうことが判明。小麦と米の大きな違いを痛感します。
油を使わない乾燥方法を模索する日々。そんな中…妻・ヨネさんのある行動でヒントを得るのです!
それは、ヨネが淹れたお茶にありました。健民が目を付けたのは、同じく乾燥させているお茶の葉。調べてみると、熱風で乾燥させる機械の存在が明らかに。すぐに静岡から乾燥機を取り寄せると、これがうまく進み、1960年ついに乾麵化に成功します。
現在でも続くこの熱風乾燥法。油を使わない低カロリーな麵は今の時代に合っているかもしれないと、3代目社長・高村さんは話します。さらに、より調理が簡単になるように、麺には味付けを実施。今に続く「鶏だし醤油味」はヨネが開発したものです。
こうして開発から10年、世界初の即席焼ビーフンが誕生!定番となったビーフンは、米を愛し、そしてヨネを愛した結果、生まれた商品だったのです。
■知名度を全国区に飛躍させたCM
1980年代。スーパーでの実演販売で地道に販路を広げていましたが、この方法だけでは限界がありました。健民さんの息子で2代目社長・一成さんは、失敗したら社長のバカ息子と言われるかもしれないというリスクを承知で実演販売の予算を削り、「CM」に予算を継ぎこむ決断をしたのです。こうして完成したのが…
「おかあちゃん、ケンミンの焼ビーフンにピーマンいれんといてや~」ではじまる、シュールすぎるインパクト大のテレビCM。これが奏功し、焼ビーフンの知名度は全国区に拡大したのです。
限られた予算の中で、一回見たら忘れられないものをという一成の思いが、印象強いCMに反映されたのです。反響の一方で、ピーマンの産地から「子どもがピーマンを食べなくなる」というクレームも数多く受けたそうです。「最後の料理ではピーマンはちゃんと入っているので…と説明していた」と一成さんは笑います。
■「スーパーで見つからない」問題
その後、グルテンフリーの食習慣が広まり、2010年代にも注目されることになったビーフン。そんな中社長に就任した3代目社長にも壁が立ち塞がります...!
ケンミン食品には、以前から「スーパーで売っていない」という声が届いていました。もちろん売っていないはずはないのですが…ラーメンのコーナー、乾物のコーナーなどスーパーによって売り場がまちまち。これが焼ビーフンを発見できない要因だったのです。
ここで祐輝さんは驚きの提案をします。それは、焼ビーフンをスーパーの「野菜売り場」に置くこと。コロナ禍において、野菜がいっぱい食べられる焼ビーフンの人気が高まっていたのです。
しかし、交渉はそう簡単ではありませんでした。野菜売り場に置こうにも、スーパーは売り場によって担当がついており、担当の枠を超えるのは困難だったのです。特に売れ行きの良い焼ビーフンについては、簡単に手放すはずがありませんでした。
窮地に立たされたマーケティング担当は妙案を思いつきます。それは「野菜メーカーとのコラボレーション」。メーカーに飛び込み営業をかけます。
豆苗で知られる村上農園の販促物として、売り場に焼ビーフンの写真付きのPOPを置いてもらうことに成功。さらに、焼ビーフンのパッケージにも豆苗を掲載することで、相乗効果を狙いました。こうして、念願の野菜売り場での焼ビーフン販売が実現したのです。
この作戦を皮切りに様々な野菜生産者とのコラボレーションを行い、焼ビーフンは着実に売り上げを伸ばしています。
■番組情報
〇番組名
日経スペシャル もしものマネー道もしマネ
〇内容
『もしもの時』に備えるマネー道!マネー活用バラエティ!
〇放送日時
テレビ大阪 第1~3日曜日 午後2時放送!放送終了後はYouTubeチャンネル、TVerで無料見逃し配信中。
(まいどなニュース/クラブTVO編集部)