特攻初作戦80年、兄忘れられず 94歳妹、特攻戦死者は6千人

 太平洋戦争中の1944年10月、日本軍がレイテ沖海戦で初の特攻作戦を実行してから80年。6千人以上に上ったとされる特攻戦死者のうち、22歳で戦死した学徒兵上原良司は、敗戦を予見し、自身を「自由主義者」と称した遺書を残したことで知られる。「特攻は死刑みたいなもの」。そう語る妹登志江さん(94)=千葉県松戸市=は、帰省した兄が家族に「さようなら」と3回叫んだ大声が忘れられない。

 上原は長野県安曇野市(旧有明村)で、医院を営んでいた家の三男として育った。慶応大在学中の43年に学徒出陣。45年5月11日、沖縄戦への出撃基地だった鹿児島県の旧日本陸軍知覧飛行場から飛び立ち、沖縄の洋上で米海軍機動部隊に特攻し、死亡した。

 上原家は長男と次男も戦争で亡くした。戦後、靖国神社への参拝を続けた母に兄の言葉を伝えることはできなかった登志江さん。兄の言葉が引っかかり、母の死後は靖国神社に足は向かない。「国のために命をささげたとか美化するようなことは私の気持ちに合わない」

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