「天才」の評価嫌った…大鵬の素顔
史上最多の幕内優勝32回を誇る元横綱大鵬の納谷幸喜(なや・こうき)氏が19日、心室頻拍のため都内の病院で死去した。72歳。優勝32回。そのうち15戦全勝が8回。6場所連続制覇が2度。大鵬というしこ名は「一飛び九万里」という中国の伝説上の怪鳥にちなんだ。その名の通り大空を舞うように活躍した。
だが「天才」といわれるのを嫌った。「私は1日に3度も4度もぶつかり稽古をやり、四股やてっぽうなど準備運動も他の人の3倍はやって努力した。天才なんかじゃない。努力、鍛錬を重ねた結果が成績に表れただけ」と口癖のように言った。「巨人・大鵬・卵焼き」といわれたが、現役時代は、このフレーズも嫌った。「私は一人で勝ち取った。団体競技の巨人とは違う」と気概を見せていた。
親方になって「さあ、これから」というときに倒れた。脳梗塞。36歳だった。「力士時代、強くなろうと血を吐くほど稽古した。その時の気持ちをもう一度奮い起こして、リハビリでは倍の努力をした」。日常生活に支障はなかったが、左腕、左足にまひが残った。体調を崩さなかったら「相撲界の顔」としてリーダーシップを取っていたかもしれない。
父親はウクライナ出身。終戦でサハリン(旧樺太)から母親の故郷北海道に渡った。生活は貧しかった。逆境をはね返そうというハングリー精神が力士大鵬を成功させた。そういう背景もあって現役時代から福祉活動には熱心だった。
「元気で相撲を取れることの幸せに感謝をして、ささやかでも自分でできる範囲で社会に還元したい」と、日本赤十字社を通じて全国各地に寄贈してきた献血運搬車「大鵬号」は70台。善意に対し、ライオンズクラブ国際協会から「人道主義大賞」が贈られている。