北の湖、千代の富士も憧れた大鵬の背中
元横綱大鵬の納谷幸喜氏の死去の報を受けて、日本相撲協会の北の湖理事長(元横綱北の湖)は19日、初場所7日目(両国国技館)の打ち出し後に会見した。
「昭和の一時代を築かれた偉大な大横綱。本当に残念です。心からお悔やみを申し上げます」
同じ北海道出身の横綱大鵬は、あこがれのヒーローであると同時に、横綱に昇進してからは大きな目標となる存在でもあった。自身の入門時(1967年1月)には、すでに2度目の6連覇を達成し、まさに全盛時代を迎えていた。「少しでも近づけたらいいなと思っていた。横綱になってからは、大鵬さんを目標に頑張ることができた」と、常にその後ろ姿を追い続けてきた。
引退後には独立し、大鵬部屋(現大嶽部屋)の近くに北の湖部屋を創設。「同じ町内会でしたから、私の弟子にも指導していただきました」と思い出を語る。昨年の九州場所後に車いすに乗って協会を訪れたのが最後の対面になったという。同理事長はその後大嶽部屋に弔問に訪れ、「ゆっくり休んでいただきたい。安心した顔をされていました」と話した。
32回に迫る九重親方31回V また、九重親方(元横綱千代の富士)は「残念です。(現役時に)よく二所一門に出稽古に行って、いろいろ指導していただいた」とコメント。大鵬の32回に迫る優勝31回を記録したが、「大鵬さんという大目標があったから、自分も頑張っていけた」と振り返った。
貴乃花親方(元横綱)は、3年前の理事選挙で初めて当選した時に“良かったな”と声をかけられ、身の引き締まる思いになったことが印象に残っているという。「あまり具合が良くないと聞いていたのですが、ただただびっくりです」と語った。