大鵬元付け人、天龍沈痛「優しい横綱」
大相撲からプロレスに転向して今年で格闘技生活50年目を迎える天龍源一郎(62)は19日、“原点”である二所ノ関部屋の偉大な先輩、大鵬さん(納谷幸喜氏)の死を悼んだ。天龍は1963年12月、中学2年で福井県から上京して角界入りした。当時、大鵬さんは横綱2年目で「大きいな、お前。頑張れよ」と、声をかけてもらったという。
入門前は「強すぎるところが嫌いだった」そうだが「体が大きいことは格闘技に有利なことを教えてもらった。この言葉を励みにした」と、振り返った。「若い衆にも偉ぶることなく、優しくていい横綱。立派な人だった」と話す。
プロレス転向後は池上本門寺の節分会で、一緒に豆まきもした。WAR時代に両国国技館で里帰り興行を開催した際には、駐車場で大鵬さんと偶然顔を合わせ「元気にしているか」と、激励された。
新弟子時代は大鵬さんの付け人も務めた。大鵬さんが、北海道から送られてきたイクラのしょう油漬けをうまそうに食べているのを見て「どんなにおいしいのか」と、盗み食い。それ以来、イクラのしょう油漬けが大好物になったという。
大鵬さんの訃報は、かつての力士仲間から知らされたそうで「(大相撲に)入ったころは既に大横綱だった。亡くなられたと聞いて、すごい出来事と思った。ご冥福をお祈りします」と、神妙に話した。